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日出でて作り
日入りて憩う
井を堀りて飲み
田を耕して食らう
帝力我に何ぞかあらんや
くだらない政治屋どもとそれの取り巻きの寄生虫を肥やすために働くくらいなら、晴耕雨読で身の回りだけを賄う生活を送るほうがいい。
さらには、こじんまりしたコミュニティの中で循環していくシステムを作り、 既製の自治体や政府などの世話にならない生活を送るほうがいい。
ネットがある、様々な自然エネルギーがある、そして地方に行けば過疎によって遺棄されてしまった肥沃な土地がある…… このくだらない国から独立できる要素は揃っている。
とっとと選挙権を放棄し、そのかわり、税を納めるのも止めようかと思う。
ちなみに、「帝力我に何ぞかあらんや」の詩は、中国の伝説の王「堯」が、平和な自分の治世下で、 庶民がどんな暮らしをしているのかお忍びで市井を巡ったときに、ある農夫が楽しげに謳っていた詩だ。
堯は、この詩を聴いて、自分の治世が順調であることに自信を持ったという。
2009/08/08 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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**一見きれいに見える海岸だが、海水浴場を仕切る安全ブイがゴミ避けとなって、海岸に漂着していないだけ。
他の浜は、漂着ゴミがそらじゅう目につく**
e4プロジェクトのメインイベントの一つであるビーチコーミング。これは、 ただ海岸に打ち寄せられた珍しいモノを探すというわけではなく、漂着ゴミを集め、分類することによって、 ゴミの海洋投棄の実態を探ろうというものだ。
長年、海岸の漂着ゴミを研究している鹿児島大学准教授、藤枝繁氏の指導のもと、全国各地で開催されるビーチコーミングのうち、 瀬戸内で開催されるプログラムにe4はジョイントしている。
漁網や漁業用のウキといった大きなものから、外国船が投棄した各種の容器類、そして、 砂の中に隠れている牡蠣養殖に使われるプラスチックの小さなパイプや畑に蒔かれる仁丹程度の大きさの徐放性肥料カプセルの残骸、 人工芝の破片……シーカヤックで無人島に渡って、周囲に人工物がまったく見えない海岸に上陸しても、これらの「人工物」は常について回る。
藤枝氏のビーチコーミングでは、海洋ゴミの投棄元を割り出し、その出所をなくすことで海洋ゴミをなくすことに取り組んでいる。
瀬戸内は閉じられた海であるため、投棄ゴミが滞留し、蓄積されていく。海岸はもちろん、澄んだ海の底にも沈殿したゴミが見られるし、 シーカヤックを漕いでいると多くの浮遊ゴミとすれ違う。
瀬戸内が「閉じられた海」と書いたが、もっと大きな視点で見れば、地球そのものが閉じられた環境であり、 大洋といえどもゴミや化学物質の汚染は、年々申告になっている。8月3日のナショナルジオグラフィックWEBニュースでは、 太平洋に投棄されたプラスチックゴミが滞留する『太平洋ゴミベルト』のレポートが掲載されているが、「南海の楽園」が 「環太平洋ゴミ埋め立て場」のようになっている現状は、車の窓からゴミをポイ捨てしたり、たばこの吸い殻を足下に捨てる振る舞い、 自分勝手で荒んだ人の心性が大規模な環境破壊の元凶だということがよくわかる。
閉じられた海でも、大洋に比べれば小規模な瀬戸内は、投棄ゴミの発生源もかなり特定できており、それを抑制し、 さらに清掃活動も浸透させていくことで、ゴミのない海を復元できる可能性がある。
それを実現するために、最初の一歩として、海底ゴミの「目に見える化」計画が始まった。
漁網などに引っかかった海底ゴミは、そのまま引き上げて陸へ運ぶと産業廃棄物として処理しなければならず、 自己負担となってしまうので、漁師はそのまま海底に戻すしかなかった。それをとりあえず期間限定で、 NPOが処理費用を負担する形で引き上げてもらい、巡回展示するという試みだ。
浜に打ち上げられた漂流ゴミももちろん問題だが、海底ゴミは、ふだん我々は目にできないため実感が少ない。それを「目に見える化」 することで意識してもらおうというわけだ。
これを皮切りに、瀬戸内全域で、ゴミの処理と海への投棄をなくす活動が展開されていく。
藤枝氏の調査によると、瀬戸内海に集まるゴミの量は年間約4400t。周辺居住民の数で割ると、 一人あたり年間90gを海へ投棄している計算になる。これは空きペットボトル3本分の量だという。「これぐらいいいだろう」 という軽い気持ちが、気がついてみると膨大なゴミの山を築いていることになる。
しかし、逆に考えたら、瀬戸内海へのゴミの投棄をなくし、地道に回収を続けていけば、 昔のきれいな海を取り戻すことが不可能ではない量でもあるという。
e4では、9月の26、27日に香川県と愛媛県の境に位置する仁尾で、アウトドアイベントを開催する予定だが、 ここでもシーカヤックやツリーイングなどのイベントと合わせて、ビーチコーミングも行う予定だ。
2009/08/07 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 06.ツーリズム | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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那須の静謐な森に囲まれたシックこの上ないバーが、期間限定の「バー・ラジオ」に。
雨がそぼ降る中、泊まっているコテージから傘をさして出掛けていった。
まずは、二期倶楽部の菜園で採れたミントを使ったモヒート。ロングドリンクはレギュラーのバーテンダーが作ってくれる。 ひんやりとした雨の山の空気をそのまま飲み物にしたような味わい。
そして、伝説のバーテンダー尾崎浩司氏にマティーニとマンハッタンを。
カウンターの内側に立つ尾崎氏は、小柄ながら、そこにいるだけで、場が引き締まる。といっても緊張感が漂うのではなくて、 「正しい旋律」の空気が流れるといった感じで、気が引き締まりながらリラックスできる独特の雰囲気だ。
シェイクもステアする音も、そして押さえたトーンの会話も、今まで経験したことのない心地良い「場」を構成している。
マティーニもマンハッタンも、今までけっこう飲んできたカクテルだが、尾崎さんのものは、まったく初めて飲んだように新鮮で、 不思議なのは、1時間あまり、ゆっくりゆっくり味わったのに、最後まで温くならなかったことだ。
青山の「バー・ラジオ」は、さすがに敷居が高い気がして足を運んだことはなかったが、この那須の一期一会で、 グッと身近に感じられた。今度、一人でこっそり訪ねてみよう。
2009/08/02 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
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昔、祖母を手伝って庭で採れた梅を様々に加工したことを思い出しながら、先月、 若狭の友人から送られてきた青梅を4種類のバリエーションで漬け込んでみた。
定番の梅酒と梅干し、そして梅シロップと梅サワー。漬け込んでから3週間が経ち、梅シロップがそろそろ飲み頃になったようなので、 炭酸で割って飲んでみた。
ほんのり青くて、後味が涼しい。
先週梅雨明けしたと思ったら、また前線が下りてきて、不快な気候が続いているが、蒸し暑く、 水分を取るとじっとりとした汗が浮かんできて、さらに暑さが増してしまうようなこんなときには、 汗まで清々しくなるような梅のジュースが気持ちいい。
まさに梅は梅雨の作物、梅雨を乗り切る作物だ。
最近は、市販の清涼飲料でも『梅よろし』といったものがあるが、本物の梅ジュースと飲み比べてみると、やはり人工的な味がする。
梅シロップや梅サワーは、梅雨のはじめに漬け込んで、梅雨明け頃が飲み頃となる。梅干しも、 土用の晴れた日に干せばすぐに食べられるようになる。いちばん暑い時期は、梅の恵みで爽やかに、健康的に乗り切れるというわけだ。 梅酒のほうは、じっくりと漬け込んで、1年経ったくらいから飲み頃に。こちらは通年楽しめる味となる。
梅一つとってみても、昔の人の知恵の深さと、季節に合わせて生活していたリズムの心地よさがよくわかる。
こうして、ちょっとした手間をかけることで、暮らしも心も豊かになるのに、 その手間を惜しんで複雑な分業社会にしてしまった現代人の愚かさも同時に感じてしまう。
「自給自足」などと、いきなり息巻いたりせず、まずはこうした身近にできることからはじめて、 昔ながらの自然でゆったりした暮らしのリズムを取り戻していきたいと思う。
さて、次は、ビールの仕込み第二弾かな。
2009/07/24 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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不老不死ツアーやお水送りのイベントでお世話になっている若狭の宿PAMCOの田辺さんから、 青梅がどっさり届いた。
皮がはち切れそうにプックリと膨らんで、梅雨時のしっとりとして涼しい大気のエキスを閉じこめた梅の実を手にとって、 その清涼な香りを嗅ぐと、梅雨という季節は、まさに梅のためにあるのだなと、あらためて日本人の語感の奥深さに唸らされる。
そして、同時に、幼い頃の記憶が呼び覚まされる。
祖母と一緒に庭にあった梅の木の周りにビニールシートを敷き詰めて、竹の物干し竿で枝を叩く。すると、 ボトボトと瑞々しい梅の実が落ちてくる。
そのままシートごと庭の平らなところに運び、一升枡で収穫を量る。
「今年は、たくさん採れたねぇ、10升もあったよ……何にしようかねぇ」
と、皺くちゃの顔をもっと皺くちゃにして喜びながら、早くも割烹着の袖をまくり上げて作業に取りかかろうとする祖母のせっかちが、
幼いながらも微笑ましかった。
「ホワイトリカー1升と氷砂糖と、それから塩を2キロ買ってきておくれ」
と、千円札を手渡され、近所の雑貨屋……といっても、古い民家の土間の一部にわずかな商品が並べられているだけだが……
へ走って戻ってくると、もう祖母は梅酒と梅干し用に収穫した青梅を選別し終えていた。
小学校の高学年になるまで虚弱だったぼくは、強壮剤として、よく祖母の作った梅酒を飲まされた。 減塩なんていう意識なしに作られた梅干しは、そのまま食べると口が曲がるほど塩辛かったが、チビチビと囓りながらだと白米がとても美味しく、 たくさん食べられた。山登りを始めた高校の頃は、山行のときには早出のぼくより必ず先に起きて、 「酸っぱい梅干しを食べると霧が晴れるんだよ」といって、でっかい梅干し入りのおにぎりを用意してくれた。
先天的に嗅覚が利かなかった祖母は、料理全般、大味だった。今では、 祖母よりも確実に素材の風味を生かした繊細な味付けができるけれど、あの脳天に突き抜けるような塩辛さの梅干しが時々食べたくなる。 田辺さんからいただいた梅の一部は、大量の塩で漬けて、懐かしい祖母の味を再現してみようか……。
しかし、梅という食材はすごいと思う。
その実にたっぷり染みこんだ梅雨のエキスは、砂糖や塩、焼酎で取り出せば、シロップや梅酢、梅酒となる。そして果肉のほうは、 梅干しになり、ジャムになり、コリコリとした食感で爽やかな味の酒漬けとなる。
まったく無駄がなく、加工の手間もかからない。
「大人になって、自分の家を建てたら、真っ先に梅の木を植えるんだよ」
収穫した梅の実の選別を終えた祖母は、毎年、同じことを言っていた……。
2009/07/01 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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昨年の秋から準備を重ね、取材も行ってきた「e4プロジェクト」が、ようやくスタートを切った。
「地球=自然を身近に感じること。すべてはそこから始まる」を旗印にして、まずは、自分が率先して、「大自然」ではなく身近な 「小自然」を意識して身の回りに目を向けてみると、そこには、ずっと見落としていた発見がいくつもあった。
アウトドアでの体験から、近年、気候変化が著しくて、いよいよ地球環境がおかしくなってきていることを実感する反面、 身近な自然の移ろい……カエルが鳴き始めたり、ツバメが巣作りを始めたり、麦が実をはらんで色づいたりといったことは、 着実に変わりなく季節を追って行き、そこには、ミニマムでフラジャイルであるからこそじつは逞しい自然の姿を見るようになった。
また、自分が田舎暮らしを現実的に意識し始めたことも、そんな身近な自然への愛着の深まりとも密接に結びついている。
e4は、対外的なメディアでありECではあるのだけれど、それはまず、自分の生活や考え方を見直す「場」であって、 そこで得た様々な知見をみんなで共有していくための「広場」であると、このグランドオープンを迎えて、リアルに思えるようになった。
2009/05/29 カテゴリー: 01.アウトドアライフ, 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
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里山や農村の景観は、本来、その土地の植生を生かして、長い時間をかけて里に住む人たちが作り上げていったもので、 都市計画のように机上の青写真と流行の建築家が作り出したものではない。
都市景観には、時代を象徴するダイナミズムがあるし、緊張感を孕んだバランスや創発性を秘めたカオスといった魅力はある。
だが、都市には、目を瞑ってゆっくりと息をつけるような安心感はない。それがあるのは、やはり、 自然と人とが長い間の関わりの中で作り上げてきた農村景観だ。
先日、農村工学研究所景域整備研究室を訪ねた際、室長の山本徳司氏が面白い話を聞かせてくれた。景域整備研究室では、 まさに本来あるべき農村景観の保全や記録に取り組んでいるのだが、農村景観には、目に見える環境調和性のバックボーンとして、 日本人の自然観、精神世界観があるのだという。
古来、日本人は、山岳を神の領域として恐れ崇め、里と山岳との間に「塞の神(さのかみ、さえのかみ)」を置いて境界としてきた。 塞の神の下の方は人の日常領域であり、上は人が立ち入るには畏れ多い神の領域、そんな目印だった。
山の神は、春になると山から下って、里を視察に訪れる。
その時、塞の神に乗り移り、小川をヤマメやイワナの背を借りて下り、途中からドジョウの背中に乗り移って田の用水に入り、 田の端にある桜の木に登って、里を見渡すのだという。そして、里に住む人たちの息災を願って、桜=塞鞍の木に花を咲かせるのだという。
山と里を結ぶ景観の変化にそんな物語を重ね合わせると、里山や農村の風景が心に安らぎをもたらしてくれることの意味がよくわかる。
■竹林の再生は……■
今回の取材で最後に訪れた『鶴を呼ぶお米』 を生産している小松島の農事組合法人くしぶちがある山里は、昔ながらの農村景観がそのままに残り、ただそこにいるだけでホッとする空間だ。
小松島市の西部に当たるこの周辺は、田植えが済んだばかりの田とそれを取り巻く竹林が目につく。
折しも、この地方名産のタケノコの収穫とその加工の真っ最中で、事務所の前の畑にはタケノコを煮るための大きな釜が据えられている。
だが、「タケノコ」と名乗るにしては、バカでかい。長さ1mほどもあり、大人が両手でようやく抱えられるくらいにズシリと重い。聞けば、このタケノコは、ぼくたちが普通イメージしている、早朝に地面を突き破って出るか出ないかといった頃合いのものを慎重に掘り出すものではなく、地面から出きって、 1mほどになったものを根本からバサッと切って収穫したものなのだとか。
ここでは、このタケノコ……というか竹の小学生高学年くらいのものを大胆にカットして、畑の大釜で茹でて、 缶詰に加工しているのだという。
やや灰汁は多いものの、丁寧に煮てやれば、地面の下から丁寧に掘り出したタケノコにも遜色のない、軟らかいタケノコ煮になるという。
ちなみに、ラーメンの具として使われる「シナチク」は、その名から中国特産のもののような先入観があるが、 これよりさらに成長した竹を切って煮て、それを醤油に漬けたものだそうな。そう言われれば、シナチクには竹独特の筋がある。
くしぶちの代表、浜田孝俊さんに、まずは竹林から案内していただく。
くしぶちの事務所から背後の山へ向かって狭い坂道を登っていくと、すぐに竹林に入る。尾根に出ると、そこも竹林で、 尾根筋の人が入りやすいところは丹念に手入れされて、射し込んでくる西陽に美しい影を落としているが、急峻な谷筋を見ると、 さっき事務所の横で見たタケノコが伸びるにまかされ、立ち枯れて倒れた竹もそのまま放置されている。
「昔は、こうした急な斜面の竹林も丹念に手入れしていたんですけど、担い手が高齢化して、人手も足らず、 こうして荒んでいってしまうんです」と、浜田氏。
手入れのされない竹林は密生によって地力が衰えて、いずれ林全体が死んでしまうのだという。 見晴らしの効くところから周囲を見渡すと、青々とした竹林の間々に秋色のように焼けた、 いかにも地力を落としてしまった林が点在しているのが見える。
「今、エコツーリズムやグリーンツーリズムが盛んになってきていますよね。死にかかった竹林を再生するために、私は、都会の人たちに来てもらって、鶴のお米やタケノコ、それからこれも特産の椎茸なんかを食べてもらい、竹林の手入れもしてもらえたらなと思っているんですよ」
急峻な斜面の竹林を見たときに、ぼくは、「これならツリーイングの技術を使えば、 アクティビティとして楽しみながらタケノコ掘りや枯竹の撤去ができるな」とすぐに思った。浜田さんは、 伝統的な竹篭編みの技術も持っているし、竹林の手入れの後で自作の竹篭作りなどすれば、体験も充実できて、 人もたくさん訪れるようになるのではないだろうか。いずれ近いうちに、e4プロジェクトで、そんなツアー企画を立ててみたい。
竹林へ登る途中、窓のない大きな倉庫のような建物が目についた。 これはおがくずを固めた菌床で椎茸を栽培しているファームなのだという。竹林を抜けきった山の上には、使用済みの菌床が集積されていた。
この使用済みの菌床が、竹林の中の枯れた竹を粉砕した竹繊維、さらに同じ町内で出る鶏糞に混ぜ合わされ、乾燥されて、 昨日訪ねたトマト栽培で土壌改良材兼肥料として使われている。
**たっぷりと有機成分を含んだ菌床。以前は、処理が厄介な「廃棄物」だったが、今はまさに「宝の山」だ。
**菌床と鶏糞は、竹の繊維と混ぜ合わされ、空気の流通の良い理想的な土壌改良材兼肥料となる**
こうして、地域で生み出されるものに注意深く目を向けて、みんなでその利用法を考える……ふと、「農業は脳業なのだ」 といっただじゃれのようなフレーズが思い浮かぶ。だが、みんなが体と頭を使って知恵を出し合い、情報を交換し、 互いに補い合っている徳島の農業のあり方は、羨ましいほど知的なコミュニティであると思う。クリエイティビティというのは、 まさに脳が生み出すもので、脳は体を動かし、人と接することで活性化される。ともすれば偏狭な都会生活の中で頭でっかちになりすぎて、 自分のオリジナルの発想よりも知識偏重に陥りがちな自分の脳味噌が恥ずかしくなる。そんなことを思いつつ、「地力は知力」 などという言葉も浮かんでくる……徳島の土地と人に触れあって、ぼくの脳もやや歪ながら活性化されたようだ(笑)。
■ツルを呼ぶお米■
さて、肝心の鶴を呼ぶお米だが、こちらは竹林が点在する四国らしい丘の連なりに囲まれ、海に面した扇状地に広がっている。
かつては海抜よりわずかに高い標高で、度々水害に襲われたというが、その分、保水力が高く、元々、良質の米ができるのだという。
ここを低農薬から無農薬へと移行させ、除草は農薬の代わりに機械除草として、さらに冬場には水張りをして湿地化することによって、 様々な水生昆虫が住むようになり、ナベ鶴が飛来し、用水ではタナゴが釣れるようになったという。
今は、ちょうど田植えの時期で、トノサマガエルの鳴き声が賑やかな田んぼは、すでに田植えの済んだところと、苗床が浮かべられて、 まさにこれからといったところがある。肝心の浜田さんの田んぼはというと、まだ地面を均した上に水が張られているだけで、 田植えをする気配がない……。
「今は、タケノコのほうが忙しくて、田んぼのほうには手が回らないんですよ」と、笑う。
じつは、本来、田植えは5月の終わり頃に行われるのが、稲の生育にとっては最適で、何故それがゴールデンウィークの頃になったかというと、人手を確保することが要因なのだという。
近年は、温暖化の影響で、本来の田植え時期よりもさらに遅らせてもいいくらいで、 ますます理想と現実が離れてきてしまっているのだという。
そんなことを浜田さんと話しをしている横で、コープ自然派徳島の中村さんが、車から小さな網とバケツを引っ張り出し、 傍らの用水をサッと掬ってバケツに網の中身をあけた。
そこには、元気に泳ぐメダカに、ヤゴ、そしてちょっとおぞましいヒルがいた。中村さんは、べつにねらい澄まして掬ったわけではなく、 ただ無造作に足元の用水に網を入れただけなのだが、一掬いでこれだけの生き物が入るのだから、 この田んぼの生物の多様性はかなりなものだろう。
メダカをただレッドデータブックに載せても蘇ってはこない。 べつに絶滅危惧種だからメダカを繁殖させようなどと考えているわけでもなく、ただ水田を昔のように自然な形に戻してやるだけで、 当たり前のように生物が戻ってくる。そんなことを実地に生物調査をして実感してもらおうということで、中村さんは率先して 「田んぼの生き物調査」を開催している。
バケツの中の小さいけれど多彩な生き物世界を眺めているうちに、自分の子供時代は田んぼの用水に捕虫網を差し入れて、泥と一緒にドジョウやザリガニを捕ったことを思い出した。せっかく買ってもらった捕虫網が、重い泥を持ち上げたせいで破れ、みつかると叱られるので物置の隅に隠したものだった。
40年以上前のそんな記憶を懐かしむぼくくらいの世代はいいが、虫取りやザリガニ取りも経験したことのない今の子供たちは、 田んぼの生き物調査を通じて、何を感じるのだろうか……。
鶴を呼ぶお米には、「田んぼの生き物調査米」というサブネームもつけられている。米も一つの生物として、虫や鳥や他の植物とともに、 ともに育みあって実を結び、そこに自然の力、地力が凝集する。そういうものこそ、本物の「大地の恵み」といえるだろう。
2009/05/07 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 11.人 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
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豊島を訪問した翌日、 徳島を訪ねた。徳島全域で有機農法や低農薬野菜、さらに安全な食品を提供している「コープ自然派徳島」 が徳島県内の農家と連携して有機農法で米を作り、冬でも水を張って湿地化する取り組みを始めたところ、 冬にナベ鶴が飛来するようになったのだという。
ナベ鶴は、全世界に1万羽が棲息するとされ、そのうちの90%が鹿児島県の出水市で越冬してきた。今までは、 当たり前のように出水市まで飛んで行っていたナベ鶴の一部が、この徳島の有機農法米の田んぼに魅かれ、 ここで越冬することにしたというわけだ。
何故ナベ鶴が越冬地を鞍替えしたのかは、ドリトル先生にでも聞いてもらわなければ真相はわからないが、 有機農法と冬の水張りを実践するようになった田んぼには、メダカやタニシ、 ヤゴやタガメといった昔の田んぼには当たり前に棲息していた水生昆虫たちが楽園を作るようになり、 今では希有ともいえるその環境に引き寄せられたのが一因だろう。
そもそも出水市に全生息数の90%が飛来してきたということが不思議だが、今、心配されている鳥インフルエンザが蔓延したりすれば、 それがいきなりナベ鶴という種の絶滅に繋がりかねないリスクをはらんでいるわけで、 徳島の田んぼなどに分散することはそのリスクを減らすということでも歓迎できることなのだ。
■地力を復活させる有機農法■
「地力」という言葉がある。 太古からその土地に住みついてきた微生物や菌類が少しずつ有機物を生みだし、土地を肥やしてきたその「力」のこと。昔の農業は、 その地力を最大限に生かすように、人がきめ細かく手を入れ、労力を注ぎ込むことで、健康な野菜や米を作っていた。
ところが、「人力」を節約するために、農薬や化学肥料を大量にばらまいたことで、 雑草とともに土地を肥やしてきた微生物や菌類も死に絶え、地力は衰えてしまった。
そうした「地力」を復活させて、そのポテンシャルを高めることが、「鶴を呼ぶお米」の原点だった。
有機農法というと、手間暇がかかり、収量はわずかで、できた野菜はいびつだったり虫食いがあったりといったイメージがある。さらに、 有機農法を実践するためには膨大な知識と経験が必要で、田畑を拓いて安定させるためには忍耐が必要だといった先入観がある。
ところが、今回、この取材をアレンジしてくれたコープ自然派徳島の佐伯さんは、 本当の有機農法は、新規就農者に最適で、収量を飛躍的に伸ばす近道なのだという。
どういうことかといえば、 コープ自然派徳島で佐伯さんや土地の改良指導に当たる中村さんが推奨する有機農法のスタイルというのは、先に上げた「地力」 をいかに回復して、土地のポテンシャルを上げるかということを主眼として、土地の栄養価やPHを科学的に測定して、 それを作物の品目に応じたレシピに合わせて調整していくというもので、その「ベーシックメニュー」 に従えば健康な作物が豊富に実るのだという。
さらに「ベーシックメニュー」を元に、農家自身が自分なりの工夫をして、センスを生かしていくことで、 収量も比較的簡単にアップしていくのだという。
「じつは、私たちが推奨している有機農法を実践してもらうのにいちばん苦労しているのは、普通の農家さんなんですよ。
この農法に切り替えて収量もアップするし、健康な作物が作れると、データを示して話しても、『素人に何がわかる、
自分たちは長年農業をしてきて、土地のことはよくわかっているんだ』とね。反対に、新規就農する人たちは余計な先入観がないから、
まずはレシピに従って安定させて、その先は自分たちで様々に実験して、どんどん新しいノウハウを開発しながら楽しく農業をしているんですよ」
と、佐伯さん。
とはいっても、この農法に興味を持ち実践している既存農家も少なくない。鶴を呼ぶお米は、まさにそういう農家から生み出されている。
■農業は楽しい!!■
佐伯さんは、まずゴーヤを栽培している坂野さんのハウスに案内してくれた。
かまぼこ形のビニールハウスの左右の支柱から天井に向かって蔓を伸ばしたゴーヤは、ハウスを緑のトンネルに変え、今、 まさに盛りのゴーヤの実がたわわに下がっている。ハウスの中の地面に切られた畝ではキュウリを栽培し、 冬場のキュウリを収穫するとほぼ同時に両側からゴーヤが蔓を伸ばしてきて、今時分、収穫のピークになるのだという。 作物の特性の違いに目をつけ、空間を最大限に利用しているわけだ。
坂野さんの畑では、土壌の安定を確保するために、ミネラルを補充しつつ、 土壌菌を培養して散布している。畑の世話をしつつ、菌を培養して発酵させる「醸造家」としての仕事もこなす坂野さんは、 土地に触れて、それが自分の見立てと世話で思ったように肥え、 そこから健康的な作物がたくさん生み出されるのが楽しくてたまらないという。
佐伯さんが次に案内してくれたのは仲間と農業法人を立ち上げて、離農農家の畑を借り、有機トマトを育てる井口さんの農場だった。 都会が良く似合いそうな溌剌とした好青年の井口さんは建築関係の仕事から介護関係へと変わり、 さらに農業に転身して6年目のまさに新規就農者で、「農業法人」という経営手法も、有機農法のアプローチも、 まさに今の農業の最先端といえる。
この農場では土壌の安定剤として、主に「液肥」と呼ばれるものが用いられている。これは、 豆腐の絞りかすであるオカラを主原料にして、これをパン酵母で発酵させ、液状にして施肥される。
ハウスの傍らにあるタンクを開けて見せてもらうと、ついこの間、 自分で作ったビールのような泡と香りが漂ってきて、ふと、またビールを仕込まねばなどと思ってしまった。それはともかく、 ハウス内の地面のPHをモニターしながら、ハウスの地中に張り巡らせたパイプを通して液肥を侵出させることで、 トマトの品種毎の最適なPH値を保つと同時に、酵母によって生み出されたアミノ酸が、 たっぷりとトマトに栄養と滋味を染みこませていく。試しに、熟れたトマトを一つ取っていただいてみると、それはとても甘い上に、 奥行きのある味わいが噛むほどに湧き出してくるようだった。
就農6年目の井口さんに、休みのときは何をしているのかと質問すると…… いかにもイケメンで作業着もこざっぱりとアウトドアスタイル然としているので、気晴らしには都会へ出掛けそうに見えたのだが……今は、 土を見て、作物を見て、畑の手入れをしているのが最高に楽しいので、休みの日もついつい農場へ出掛けてきてしまうと答えが返ってきた。
井口さんは、ぼくたちと同行した土壌改良指導の中村さんと、 熱心に土壌分析の話をしていて、その様子を見ていると、「三ちゃん農業」といったネガティヴなイメージなどどこかに吹き飛んで、 農業は科学であり、工学であり、好奇心を持って取り組む人にとっては、この上なく楽しいクリエイティヴな仕事なのだと思えてくる。
もちろん、気候に左右されやすく、天災などのリスクも大きいが、たとえば、それらは「オーナー制」 としてユーザーにもリスク負担をしてもらったり、傷ついた作物を別な形の加工食品にするといった方法も考えられていて、 そうしたマネジメントまで含めて、農家が主体的に動いていくことで、農業そのものがとても面白い産業として光を浴びていきそうな気がする。
この井口さんの農場では、土壌改良のもう一つの試みとして、 地場産の椎茸栽培で出た菌床と竹林から切り出した枯れ竹に鶏糞を混ぜた有機肥料を施肥している。
液肥で用いられるオカラも含めて、すべて近隣から集められるもので、まさにサステイナブルな循環構造が出来上がっている。
「サステイナブル」という言葉は、最近、耳にタコができそうなほど、どこでも使われていて、 意味希薄な言葉の代名詞のように本来の意味が薄くなってしまった気がするが、こうして、地域に根ざして、 地域の中でうまい循環が生みだされているのを見ると、こういう具体例から発想していくのが正しいのではないかと思う。
2009/05/06 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 11.人 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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**HITAKIの「縁側席」の向こうには家浦の漁港が。太陽が動くにしたがって海の色が変化し、 優しく吹く風の向きも変化していく。まさに『別天地』の時間が流れる**
「高速船」とは名ばかりの古びたモーターボートに乗って、豊島(てしま)に降り立った。周囲20km、 人口1000人あまりの瀬戸内海に浮かぶ小さな島……瀬戸内基準でいうとかなり「大きな」島の部類になるそうだが。
若い頃、あちこちと旅をしていたが、「島」はあまり興味の湧く旅の目的地ではなかった。
ぼくが生まれ育った田舎は、 痩せて乾いたスイカ畑くらいにしか使えない土地がまるでゴビの砂漠のように地平線まで広がり、 東は太平洋に面して70㎞あまりも単調な海岸線が続く関東平野の東端に位置していた。その中に放り出されたら、 頭の中が空っぽになってしまうような広大な風景……それがぼくの『原風景』だった。
そんな原風景を心に抱えて、ぼくは、「もっと広い世界が見てみたい」と幼い頃から思っていた。そして、 長じて向かった先は、人跡まれな砂漠や高地ばかりだった。「この世の果てまで、力尽きるまで突き進んでいきたい」…… 広さやダイナミックさへの憧憬がぼくの若い頃の行動指針であり、旅やアドベンチャーのモチベーションだった。だから、「島へ行く」 という選択はその頃のぼくにはありえなかった。
だが、いつからか、広大な世界を無闇矢鱈に駆けずり回るよりも、 豊島のようなこじんまりとした自然の中に身を置いてしっとりとした時間を過ごし、そこに暮らす人の営みに触れることが好きになっていた。
それは、自分がそういう歳になったということかもしれない……そう考えると、大自然と対峙することを無上の喜びとして、 そのまま自らも自然の一部へと戻っていってしまった山やアドベンチャーの先輩たちのことを思い浮かべる。彼らも、 今のぼくの歳くらいまで生きていたら、もしかしたら、小島の自然や人情に安らぎを覚えるようになっていたのではないだろうかと。
ぼくが、「島」に魅かれるきっかけとなったのは、15年ほど前に取材で訪れた喜界島だった。 ここで、 毎夜、 地元の爺さん婆さんに呼び出され、浜で野生のヤギを潰して焼肉にして、「兄ちゃん、喜界島ではな、 日が暮れると朝日が出るんじゃ」 と、島産の黒糖焼酎『朝日』を浴びるほど飲まされた。
飾らない、純朴な気風の島人たちの仲間に入り、昔のままに封印されたような暮らしをしばらく続けるうち、 それまでの自分の志向と対極にあるような島の狭さやのんびりした時間の流れが、好ましく思えるようになった。
その後、「島フリーク」といえるほどのめりこんだわけではないが、「島」独特の周囲から隔絶された故の個性や、 穏やかで細やかな自然に魅かれるようになったのだ。
■産廃の島■
「豊島に行きませんか?」 Gofieldのボスであり、e4プロジェクトの仕掛け人でもある森田氏に誘われて、豊島のことを聞くと、 そこは「産廃の島」であるという。
「産廃の島……?」
1990年、豊島の西端にある海岸の埋め立て処分場に、 シュレッダーダストを主にする違法な有害廃棄物が大量に投棄されていることを島民が告発した。そして、ここから、 島民たちの粘り強い産廃撤去運動が開始される。
わだつみの神である豊玉姫の伝説が残る静かでほのぼのとした自然が残るこの島を現代文明の汚点ともいえる産廃の島にしてはならない… …島に対する愛情を一身に背負って、住民たちはピケを張り、行政への陳情を繰り返し、ついに10年の歳月を費やして、 産廃現場を現状復帰する訴訟に勝利する。
そのプロセスは、粘り強い住民運動の手本とされ、とくに四国香川の人たちの心に印象深く刻まれた。
森田氏は、そんな四国の人にとっては『住民運動勝利』の肯定的な意味合いを持つ「産廃の島」という表現をしたわけだが、 唐突にその言葉を聞くと、「どうして、産廃の島がお薦めなのか?」と疑問に思ってしまう。
今回の豊島行きでは、住民運動勝利の経緯やその現場を訪問することが目的ではなく、産廃問題は別として、 豊島が本来持っていた魅力を掘り下げたいと思った。産廃問題は、この島の現代史を語る上で重要なエピソードではあるけれど、 ぼくのような四国人ではないよそ者にとっては、「産廃の島」では、さすがにネガティヴな先入観を持ってしまう。対外的には、 もっとこの島の魅力を伝えるキャッチフレーズを前面に出したほうがいいだろう……たとえば「女神に見守られた島」とか。
■女神はいずこ■
島では高速船の発着場である家浦港に面した"HITAKI"をベースに、 オーナーのKさん所有の2速ギアの入りが渋い軽トラを借りて、チクチクと走り回った。 "HITAKI"は島の空き家になった民家をシンプルに改装したバールで、 島のおばちゃんが作る米粉のパンとオーナー厳選のワインが自慢。名前の由来は、ポリネシアの舟に宿る女神で、豊島を統べる女神、 豊玉姫に因んでいる。
女神に見守られていることを実感できる長閑な景色を愛でながら、暖かい日差しを浴びて、 昼間からワインを傾けるなんてまさに至福だが、とりあえず島巡りを終えるまでは我慢……。
島は、標高340mの壇山をピークとして、全体に起伏に富み、徒歩や自転車で移動するには少々辛い。 朝の高速船で一緒だった島でボランティア活動をする女性は電動アシスト自転車を移動の足にしていると言っていたが、 一周8kmの周回道路とそこから放射状に伸びた道を行くには、電チャリはベストチョイスだろう。
森田氏とぼくは、とりあえず軽トラをギシギシいわせながら、島の端から端まで巡った。
豊島は、中央の山地の北側と南側では植生も風景もだいぶ異なる。北側は緑が濃く、 山裾に平地が広がっていて、里山の雰囲気が色濃いが、南側は地肌や岩盤がむき出しの乾いた風景で、 その環境を生かしたオリーブ園なども広がり、青い海が山に迫って地中海の島のようだ。
素朴な里山の雰囲気に浸りたいなら北側、白砂の海岸に寝そべって地中海リゾートの気分が味わいたいなら南側と、 ほんの少し移動するだけで、二つの世界を味わうことができる。小さな峠を一つ越えただけで異世界に飛び込むことができるのも島の魅力だ。
HITAKIで、島の最高峰壇山の頂上で最近、古い豊玉姫の祠が発見されたと聞いた。 それを目指して軽トラに鞭打って頂上まで登ってみたが、辺りは古代の磐座を思わせる岩盤はあるものの、 三角点とNTTのマイクロウェーブの鉄塔があるだけだった……。
後で確かめてみると、祠が見つかったのは南北に二つ並ぶもう一つのピークのほうで、 そこは中腹にある豊峰権現から登っていくのだとのこと。スダジイを主体にした鬱蒼とした原生林に包まれた豊峰権現は、 よく見ると木造の社の裏手にご神体と思しき巨岩があって、そこに小さな祠が鎮座していた。本州の山岳信仰でいえば、 明らかに山頂の奧宮から勧請した里宮の体裁で、当然、そこから背後の山嶺に向かって径が延びていることが類推できたはずだが、 そんなセオリーを忘れてしまうということは、 豊島の豊玉姫は一見さんに顔を合わせるのは恥ずかしいと思うシャイな女神なのかもしれない。
ぼくとしては、豊玉姫に会うために豊島を再訪しなければならないと大義名分ができたので、ちょっぴり嬉しくもあるのだが……。
■首なし地蔵■
豊島には古くからの特産品として「豊島石」がある。 角礫質凝灰岩という水に浸食されやすいけれども熱に強い石で、これを灯籠などに加工すると、 すぐに苔むして古錆びた味わいとなるので、そうした風雅を求める人に珍重され、京都桂離宮や大阪住吉神社でも使われている。
その豊島石の採掘場が、不思議な雰囲気で面白いそうなのだが、残念ながら今は一般には開放されていない。
だが、島の各所には、石垣や神社の鳥居、狛犬などにこの豊島石が用いられていて、その独特な風合いが、 島の雰囲気を奥行きのあるものに演出している。
島の南部に広がるドンドロ浜の岸辺には、大きな共同墓地があるが、その古い墓は豊島石の墓石で、 何やら古代のストーンサークルに用いられた列石のような風合いがある。この墓地には、十字の刻まれた切支丹墓もある。今回の訪問では、 この島のキリシタンの由来までは知ることができなかったが、今でこそ主要交通から外れて、取り残されたような島も、 古代から中世にかけては海上交通の要衝として、当時とすれば先端の文物や思想が真っ先に入ってきていたのだろう。
豊島石で面白いのは、島のあちこちに見受けられる首のない地蔵だ。
沿道のあちこちに佇む首なし地蔵は、それだけ見ると不気味だが、由来を知ると、豊島の人たちの視点のユニークさに、 密かな笑いがこみあげてくる。
室町時代、この島を統治していた豊島左馬之介は、攻め入ってきた細川勢に破れ、山中に身を隠した。ところが、 傍らから雉が飛び立ったことから見つかり、斬首されてしまった。その不憫を悼み、島民は首のない地蔵を祀って、左馬之介の霊を弔った。
時が経って、首のない地蔵では可哀想だと、首を作って載せたところ、その首を安置した人の病気が治り、願い事がかなった。 その話が広まって、首のない地蔵に首を作って安置し、願い事が叶うと奉納する習俗が生まれた。
島の南、ドンドロ浜近くの薬師寺には、願いが叶った首だけが集められた地蔵堂がある。これも、 由来を知らずにここだけ見たらゾッとしてしまいそうだが、由来を知って、一つ一つの首を眺めてみると、 いかにも手作りの個性豊かな形と表情で、自ら石榑に向かって慣れない鑿を振るう人の姿が浮かんできて、微笑ましくなる。
空間的には、軽トラックでチクチクと半日巡ればほとんどの場所を踏破できる豊島だが、まだまだその歴史や文化の奥行きは深そうだ。
来年は、この豊島を含めた瀬戸内の五つの島を舞台に「瀬戸内国際芸術祭」が催される。世界中からアーティストが集まり、 それぞれの島の雰囲気にインスパイヤされた作品がこれから作り上げられていく。
五つの島はそれぞれに独特のゲニウスロキ=地霊が宿っている。その地霊をどんな形でアーティストたちが形にしていくのか、 今から楽しみだ。
ぼくとしては、石を刻んだりオブジェを制作するといったことは苦手なので、この豊島を含めて、五つの島にそれぞれじっくり滞在して、 継続的にレポートを掲載していきたいと思う。
**豊島の神社はどこも本殿と拝殿を持つ本格的な作りで、歴史の古さを感じさせる。 島の南にある妙見宮はその参道が四国本土の霊山である五剣山を指していて、その方向が冬至の日の出とも合致する。 古い山岳信仰の思わせるこの配置はとても興味深い**
**首なし地蔵とともに目についたのは、灯籠のような石枠に囲まれた地蔵。 首なし地蔵と間違われて首をすげ替えられるのを防ぐ目印でもあるのだろうか……この謎も、 次回訪問の宿題**
**いかにも、その土地のゲニウスロキが姿を現し、 立ち上がったかのような島の巨木たち**
2009/05/04 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 06.ツーリズム | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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電動アシスト自転車というと、実用的な高級版「ママチャリ」といった印象があるが、最近、 スタイリッシュなモデルやスポーツモデルも登場し、自転車ブームも相まって新しい形のコミューターとして注目されている。
東京は、桜もちょうど見ごろだし、のんびりポタリングするのも楽しそうだ。というわけで、ヤマハが原宿に構える情報発信拠点"EX'REALM"で小粋なPASを借り出して、 さいたまの自宅まで走ってみることにした。
じつは、先週借り出す予定でいたのだが、白馬でツリーイングのイベントを行って、戻ってきたら重度の花粉症が出てしまって、 とても表に出られる状況ではなくなってしまった。この10年あまり、花粉症も快方に向かっていたので安心していたのだが、 白馬の何が作用したのか、かつて「春に花粉症の併発症で死ぬ」と確信していた頃同様の重篤な症状が出て、 とても表を自転車で走れるなどという状況ではなくなってしまった。
それも、桜の開花宣言と共に急速に回復してきたので、「いざ実行!」と、出掛けていった。
以前、ロードバイクやMTBで多摩サイクリングロードを走っていた頃は……といっても、もう10年以上前のことだが…… 一日70から80km程度走るのはたいして苦ではなかったので、距離は40km弱だし、なんてったって電動アシストだしと、 タカをくくっていた。
14時過ぎにエクスレルムを訪ねて、しばし支配人の加藤さんと談笑して、フル充電しておいてもらったPAS-CITY-Cリチウムのスペシャルカラーモデルを借りて、 原宿を後にした。PASにはBraceというスポーツモデルもあるけれど、 今回は、あえて気軽に街を走れるさりげないモデルのCITY=Cを選んでみた。ちなみに、ぼくが借りたのはモデルチェンジ前のもので、 現在はアシスト率などが変わって、より軽快に乗りこなせるものになっている。
PASで走り始めて、いきなり実感したのは、原宿から新宿、池袋といった都心付近はとても坂が多いということ。 それもかなりの急坂で、自転車で移動している人はかなり苦労している。みんな上り坂で体重をかけて立ち漕ぎしたり、 諦めて自転車を押したりしている中を息も荒げず、平然と追い越していくのは、なかなか優越感がある(笑)。
今回、GPSを用意してきたのは良かったのだが、事前にルートを吟味せずに、オートルートで指定されたコースを走ったため、 新宿駅界隈や池袋駅前といった人でごった返す中に突入してしまった。車道も混み合っていて危険だし、 人混みの中では徒歩にスピードを合わせて、邪魔にならないように進むしかなく、ストレスが溜まる。それでも、 軽く踏み込めばスッと進んでハンドリングが安定する電動アシストのおかげで、極低速でもふらつくことなく、 なんとかこの人混みをかわすことができた。
**高田馬場を16時15分に通過。電車&徒歩とほとんど変わらない所要時間で、 途中に坂がたくさんあったけれど電動アシストのおかげで疲れもほとんどなく、天気さえ良ければ、 この移動のほうがはるかに快適だ**
ようやく山手線沿線から抜けて、住宅街に入っていくとホッとする。GPSは幹線道路を行くようにルーティングしているが、 排気ガスを吸わされながら車と併走していてはせっかく自転車で走っている甲斐がないので、わざと路地へ入っていく。
今回はGARMIN GPSMAP60CSというアウトドア用のハンディGPSをハンドルにマウントしたが、これは、規定のルートを逸れても、 カーナビ同様にリルートしてくれるので、お構いなしに気になる方向へハンドルを向けることができる。
「ポタリング」や「サイクリング」というと、自転車を漕ぐことも楽しみの重要な要素となるわけだけれど、 電動アシスト自転車の場合は、もっと「移動手段」的な割り切りの度合いが強い。何かテーマがあって、移動は極力効率的に自由にしたい…… そんなニーズにはまさにぴったりだ。車では、都会の中をチマチマと移動するのに向かないし、自転車では山坂で余計な体力を使ってしまう。 モーターサイクルはかなり近いが、車道を走らなければならないし、一方通行にも従わなければならない。 それにヘルメットの置き場や駐車スペースも困る。そんなことを考えると、仕事で都会の中を移動する、 あるいは何か目的を持って移動する手段として理想的だ。
ぼくは、以前から若狭で行っている不老不死伝説を巡るツアーを自転車を交通手段に使いたいと思っていたが、けっこうな山道があって、 中高年には辛いので、それをクリアできればという課題があった。今回、PASを都内で走らせてみて、これはまさにツアーに最適だと感じた。
**ようやく山手線沿線の混雑を抜けて、路地巡りのサイクリングに。しかし、 行程の1/10程度しか走っていないのに、インジケーターを見ると、すでに20%も電力を消耗している…… **
**板橋の路地裏で、『縁切り榎』を発見。「悪縁をたちどころに絶ち切れる」とのことなので、 真剣にお参りしようかと思ったが、先客がいて、あまりにも真剣に、鬼気迫るオーラを発してお祈りしているので、 腰が引けてしまった**
東京と埼玉を分ける荒川に掛かる戸田橋。このたもとまで20kmあまりはなんとか電池切れせずにたどり着いた。 インジケーターの目盛りは、あと一つ。橋を渡りきり、埼玉県に入ったところで、ついにアシストできるだけの電気が切れて、 インジケーターは点滅して、ライトへの電力供給ストックのみとなってしまった。この日は気温も低く、 リチウム電池にとっては辛かったこともあるし、何よりぼくの自重=82kgの影響が大きい。それでも、山坂の多い都心を抜けて、 あとはたいして起伏もないので、アシスト無しでも思った以上にスムースに進むことができた。
**戸田橋に差し掛かるところで、ついにインジケーターは最後の目盛りに……**
**荒川の上流に沈む綺麗な夕陽を見送ったところで、ついにエンプティー**
**ラストスパートは、人間のほうにエネルギー補給で乗り切った**
電池が切れてからは、上り坂で軽快なロードバイクに追い抜かれる度に、「こいつがスポーツタイプだったらなぁ」と、 やや悔しくはあったが、それでも、こんな街中向けの小径お手軽タイプで40kmあまりのサイクリングを難なくこなせるというのは、 やはり電動アシストならではといえる。
これだけのポテンシャルがあれば、立派に「シティコミューター」としての役割を果たすことができる。 日々の通勤通学用としてはもちろん、買い物にもいいし、これなら子供を乗せても安定していて安全性も高い。
そして、山坂の多い土地でのレンタサイクルの可能性もとても大きいと思う。電動アシストがあれば車重はさほど気にならないので、 ツーリング用のモーターサイクルにあるようなロック付きのパニアケースなどを装備して、積載性を高めれば、 もっともっと電動アシスト自転車の活躍の場が広がっていくだろう。
ちなみに、こんなモデルをベースに、 前後にハードなパニアケースを装備したら良さそうだと、密かに青写真を考えはじめている。
**黄色い線が、今回のトラック。普通、 ミニサイクルで踏破するコースではない(笑)**
**GPSが記録したトラックデータ。移動平均速度が13.5km/hということは、 スポーツサイクル並みのアベレージだ。だけど、疲労度はスポーツサイクルよりも少ない**
2009/04/02 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 06.ツーリズム, 12.グッズ、ギア | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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カラマツ林の中から空を見上げると、冬枯れの枝の向こうに星明かりが可愛らしく輝いている。
未舗装の斜面を小さな車が息を切らせながら登り詰めると、急に視界が開けて、星空が広がった。
大きくうねる海のような形の丘の片隅に、ストローベイルで囲まれた一軒家が建っている。 薄闇の中に浮かび上がる白い建物はグリム童話の中にでも出てくる砂糖菓子の家のようだ。
メルヘンチックなエクステリアに対して、インテリアはとてもシックで、古材を利用した柱に漆喰塗りの壁が巡り、 自然石の欠片を散りばめた床に、重厚なアンティークソファやテーブルがさりげなく配されている。
そして、広いフロアの北端に、この重厚なストーブが鎮座していた。
ソープストーンといわれる蓄熱性に優れたフィンランド産の石を重ねたこのストーブは、 中で赤々と火が燃えているのにその外側に触っても、やや熱めの風呂に手を差し入れたような温度で、 小型自動車ほどもあるこの石塊全体がフロアの温度を均等に、ちょうどいい加減に温めている。
窯の中は空気がうまく対流する構造になっていて、燃焼効率がとても高いという。
自家焙煎のマイルドなコーヒーを味わい、フィンランドストーブから流れ出てくる心地良い暖かさに身をまかせていると、 ふいにここが銀河鉄道の待合室であるような気がしてきた。牧場のうしろのゆるい丘を登っていった先の黒い平らな頂上、 北の大熊星の下にぼんやり普段よりも低く連なって見えるその頂上にある銀河ステーションの待合室の片隅のような……。
もう一月もすると、このフィンランドストーブのあるロッジの前の丘は菜の花で一杯になるのだという。その頃、また訪ねてみよう。
2009/03/24 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (4) | トラックバック (0)
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さてさて、今回、初挑戦となったビール作りだが、ビール作りキットについてきたパンフレットには、 「瓶詰めしてから2週間目くらいから飲むことができます。飲み頃は1~3ヶ月です」とある。
先月25日に瓶詰めしてから指折り数えて2週間が経つのを待っていて、今日、「掟破り」のペットボトル詰めをしたものを開けてみた。
ボトルはダルマのようにパンパンに膨らんでいて、いかにもしっかりと発酵した雰囲気だ。
キャップを捻ると、プシュッと勢いよく炭酸ガスが噴き出した。同時に、まぎれもないビールの香りが部屋に広がる。
コップに注ぐと、さすがにまだ若いようで、大粒の泡が立って、それもすぐに消えてしまう。
さて、試飲してみると、正真正銘のビール……当たり前だが。温度管理はいい加減だったし、台所に転がっていたペットボトルに詰めて、 光もけっこう当たっていたし、正直言って、7割がた失敗を覚悟していた。それが蓋を開けてみれば、見事に、かなり旨いビールに育っていた。
もうずいぶん昔、前田武彦というどぶろく作りの普及活動を行うおじいさんがいて、そのセミナーに参加したことがあった。 ぼくが20代の半ば頃だから20年くらい前だ。
その頃は、東京暮らしは早々に切り上げて、信州の山裾にでも移り住んで、様々なものを自給し、手作りもして暮らそうと思っていた。 そこで、日本酒も『密造』しようと、そんなセミナーに出掛けたりしたのだが、気がついてみればそれから20年以上も、 自給や手作りから遠い都会暮らしを続けてしまった。
今年のうちには、長年の目標だった田舎暮らしに移るつもりだが……今は、都会と田舎の周縁部にいるので、 徐々に田舎暮らし化してきているわけだが……旨いビールを潤沢に自給できる目処はついたので、気分的にも弾みがつきそうだ(笑)。
しかし、日本には酒税法があって、あまりあからさまに酒を製造することはできないが、そのせいで、 発酵や醸造という自然の当たり前の営みを身近に感じられないのは残念だ。
前回のエントリーで振り返ったように、 今回は、ビール作りを通して、幼い頃の様々なものを自給していたライフスタイルを思い出した。
まだ、自分の中に微かに残っている自然の営みに歩調を合わせたライフスタイルを取り戻すと同時に、 それを次の世代にも伝えていきたいと思っている。
アウトドアに飛び出して、風や日差しを感じるのも、もちろん「自然と触れあう」ことだが、日々の生活の中に自然の営みを取り入れ、 その変化を見ていることも、紛れもない「自然との触れ合い」だと思う……とまあ、たかがビール作りでと笑われそうだが、 大好きなビールが自然の素材だけで、自分一人で出来上がって、じつはとても感動しているのである(笑)
2009/03/11 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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前回のエントリーで少し触れた『十一面観音巡礼』と『火の路』だが、奥付を見ると、前者は1975年に初版、 後者は1978年に初版が出版されている。
読み進めていて、話の展開のリズムがとても心地よく感じた。リズムというのは著者の語調という意味ではなくて、 著作の中で動く人のテンポ、物語の時間の流れのことだ。
1970年代の終盤といえば、ぼくは高校3年生くらいの頃。
電話はもちろんあったが、よほど急ぎでないかぎり、コミュニケーションの主役は郵便だった。
高校三年の夏休みに、白馬の学生村で一ヶ月暮らし、同じ民宿に泊まっていた女の子と、その場では気軽に声を掛けられなくて、 それでも実家に戻ってから気になって、手紙を出した。しばらくして返事が届き、幾度か文通した。他愛もない近況をしたためて手紙を送り、 その返事が来るまで10日くらい掛かっただろうか。今ならその場でメールアドレスを交換して、 1日と間をおかずに何通もメッセージをやりとりするのだろうが、当時は、10日という時間が切なくもあり、 さしたる変化もない時間の流れの中で、そこそこの話題を紡ぐのにちょうどいい間だった。
『十一面観音巡礼』では、各地の十一面観音を行脚する白洲さんが、事前に得られる情報も少ないままに、道に迷いかけたり、 確信を持てずにおそるおそる寺の門を叩いたりして、目的の観音様に出会うまでが十分に物語りとなっている。
今では、まずwikiで概要を調べ、さらには寺の公式サイトや個人サイトで必要十分以上の情報をたちどころに集めることができる。 さらに現場に行くにも、カーナビに導かれ、最短の時間で間違いなくたどり着くことができる。
喫緊の調べものや事務的な作業には、今の洗練された情報システムは確かに重宝だが、逆に漠然とした興味の元に出掛けていって、 目的のモノ以外の出会いが深い印象を刻んだり、目的のものに出会うまでに困難があって、 それを乗り越えてようやく出会えたときの感動といったことが今では薄くなってしまっているような気がする。
目的の場所までの道もよくわからず、実物がどんなものかも事前にははっきりしないまま、 ときには土地の人に道案内を請いながら辿っていく白洲さんの様子、道々出会う自然の風景や土地の人情の描写に、 十一面観音という目的はあっても、その目的にたどり着くまでの様々なプロセスが「旅」であり、その旅は十一面観音の「導き」なのだと、 しんみりと思わせられる。
松本清張のほうは、古代史の謎解きというテーマを軸としたサスペンスなのだが、登場人物たちの交流はもっぱら郵便で、 情報を集めるにも、自分で出掛けていって、人と相対してと、今にすればとても悠長だ。
謎の本質に早く行き着きたいと思うものだから、はじめは展開の悠長さがもどかしく感じたりもしたが、次第に、 物語のリズムのほうに慣れてきて、その深呼吸しながら進んでいくようなリズムがとても心地良く思えてきた。
この著作を読み終えたとき、人のペースというのは、これが書かれた時代のほうが合っていたように思えた。
自分の記憶とも考え合わせると、当時は、もっと人が地に足をつけて物事に向かっていたような気がする。 幻想を積み重ねた金融経済に踊らされ、情報の洪水によって欲望を掻き立てられて、みんなが浮き足立ち、自分が人より得をすることしか考えず… …この30年間、どんどんペースを上げて、ついに全力疾走を続けるようになった人類が、息切れするのは当たり前だろう。
ぼくが白馬で知り合い、文通をしていた彼女からは、しばらくすると、10日を過ぎても返事が届かなくなった。そして、 一ヶ月が経ってようやく届いた手紙には、「好きな人ができて、その人とつきあい始めたので、文通は終わりにしましょう」 さりげなく書かれていた。
文面はさりげなかったが、彼女は、なるべくぼくを傷つけないようにしようと、何度も文案を考えて、でも、 簡潔に表現するしかなかったのだろう。
それは、ほのぼのとして、今でもいい思い出だ。
2009/03/10 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 07.本 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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メモを取ったり、様々な構想をノートに書き出したりして、万年筆のインクを使い切り、再び充填するその時間が好きだ。
インクが飛び散らないようにボトルのキャップを慎重に開き、傍らに置いて、 万年筆のキャップを外してペン先をビンの中のインクに浸す。
泡が混じらないように、コンバーターをゆっくり回して軸胴のタンクに吸い上げる。
タンクが満たされたら、インクボトルのガラスの淵に、コチッとペン先を当てて、余分なインクを落としてやる。
この一連の作業の時間が、なんとも心地良い。一人、静かにこの一連の作業をしている時間は、何か錬金術めいた『秘儀』 を執り行っているようでもあり、知らぬ間にとても集中している……その緊張感がいいのだ。
万年筆というアナログに筆記具で、しかも便利なカートリッジを使うのではなく、コンバーターでわざわざインクを吸い上げる…… それは、物事を発想して、それを紙に記録するという、本来マジカルな作業に対するリスペクトともいえる。
錬金術が、孤独で厳かなしかも手間の掛かる作業を必要とするように、何か、本質に迫るためには、こうした儀式が必要な気がする。
合理化されデジタル化された世界ではそぎ落とされてしまう『機微』。じつはそこにとても大切なものがあるような気がする。 こうしたアナログな作業を通して、そんな機微を感じて、ぼくはバランスを取っているのかもしれない。
なんてことをキーボードを叩いて2バイト文字を打ち出しているうちに、アナログ作業がもっとしたくなって、結局、 空になっていない他のペンまで、全部インクの入れ替えをしてしまった。
2009/03/06 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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前回の仕込み編では、 「数日おきに、経過報告をする」と締めくくったけれど、いったん仕込みを終えてしまうと、 発酵の進み具合に合わせてごくごく大ざっぱに温度管理をするくらいで、日々、さほど変化するわけでもないので、一気に間が空いてしまった。
今日は仕込みから18日目にして、ビール造りのクライマックスともいえる「瓶詰め」作業を迎えたわけだが、ごく大ざっぱに、 仕込みから今日までをここまでを振り返ってみよう。
・第四日 2月10日
朝、起きると室温は9℃。シュラフでグルグル巻きにしたビール樽は14℃を示していた。中を透かして見ると、保温が効いたのか、 上面に澱が残り、かなり発酵が進んだのがわかる。
エアーロックからは、時おり、「ポコッ」と可愛らしい音を立てて空気が吹き出し、まだまだ発酵が進んでいることがわかる。
その後、暖房をつけた部屋の中では、樽の温度は16~18℃で安定していて、規則正しく「ポコッ、ポコッ」と酵母の呼吸音が続く。 深夜、仕事をしていると、この音が意外なほど大きく響く。それが、なんとなく、健気な生き物が傍らにいるようで楽しくなってくる。
・10日目 2月17日
表では梅が満開だが、暖かい日があったかと思えば、急に真冬に逆戻りしたり……。ツリーイングのイベントがあったり、 急用で田舎に帰ったりして、この気温変動の中で、何も手をかけず、ほとんど放置してあったが、まだ、安定して発酵が続いている様子。
しかし、ずっと部屋にいて、傍らに樽があると気づかなかったが、外出して戻ってくると、微かに漬け物のような匂いがする。
昔、祖母に言いつけられて、物置に置かれた漬け物樽の中からたくあんやら白菜やらを取りにいったことが思い出される。祖母は、 生まれつき鼻が利かない体質だったため、発酵が進みすぎて強烈な匂いを放つようになった漬け物樽でも平気で手を突っ込んでいたが、 樽がそんなコンディションになってしまったときは、ぼくは鼻が曲がりそうで、物置の扉に手を触れることすらできなかった。
祖母の嗅覚がない分、逆の隔世遺伝として発現したのか、ぼくはとても匂いに敏感で、それが鼻の利かない祖母に育てられたものだから、 腐敗臭や発酵臭はことのほか弱い体質になってしまった。
そんなわけで、留守にしていた部屋に戻って、あの物置と同じ種類の匂いを嗅ぎ取ったときは、不吉な思いに囚われた。
・18日目 2月25日
思い切り冷え込んで、0℃近くにまで室温が落ちた日が何回かあった。そんな日は、さすがに酵母の愛らしい呼吸音が止んでしまい、 慌てて風呂にぬるま湯を張って、樽ごと入浴させた。こうして温めると、またポコッポコッと息を吹き返す。
そんなことを何度か繰り返し、上面の泡もほとんどなくなったので、そろそろ瓶詰めの頃合いと判断した。
試しに、コップに取って味見してみると、濁った感じは個性的な地ビールといった風情で、香りは明らかにビール。味のほうは、 完全に気抜けしたビールで、これから二次発酵で旨いビールに成長しそうな期待が持てる。
そして、いよいよ瓶詰め。
専用ブラシで丁寧に洗い、水気がとれたところで、内部をアルコール消毒する。そして、 二次発酵用の砂糖を750mlのビンに6gずつ入れ、慎重に樽からビンへと移していく……と、ここで、とんでもないことに気づいた。
ビンがぜんぜん足りないのだ。
何故か計算間違いをしていて、ビンは樽の半分の量の分しかない。あわてて、台所に転がっていた空き瓶をかき集め、洗浄消毒して、 詰めていくが、まだ樽には余ってしまう……そこで、ついにペットボトルにまで登場してもらって、なんとか全量を移し終えた。
**途中で、ビンがまったく足りないことに気づいて、こんな掟破りを行うハメに**
といったわけで、専用ボトルに体裁良く移したビールが居並ぶはずが、なんとも雑ぱくな様子となってしまった(笑)。たぶん、 遮光ビンに入れておかないと変質してしまう恐れがあると思うのだが、ここは、まあ初めての実験だし、失敗もいい勉強なるだろうと、 こういったラインナップで試飲のそのときを待つことにした……。
2009/02/25 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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30年前に他界した父親が、一振りの脇差しを持っていた。肥前国正廣の作。それを何のために購入して、 手入れしていたのかはわからない。
先日、実家に顔を出したときに、「そういえば」と、思い出し、押し入れの奧から引き出してみた。
もう20年以上出していなかったので、赤錆にまみれているかと思ったが、それは、 どうして鋼が20年以上ほったらかしでこんな光沢を保っていられるのかと腰を抜かすくらい玲瓏とした光沢を保っていた。
ぼくは、これを自分が受け継ぐべきではないと思った。
20年もほったらかして、また押し入れに戻したら、きっとその存在すら忘れられて、ここまで丹誠込めて作られたモノが、 さすがに月日の流れに負けて朽ちてしまうだろう。
そこで、この刀に関する資料をまとめて、方々に問い合わせをしてみたところ、 ごく近くにとても誠意のこもった鑑定をしてくれた人がいた。
上尾市で干将庵という刀剣商を営む楢崎伸樹氏。
今日、その楢崎さんに正式な鑑定を御願いした。見立て、説明、全てに納得がゆき、 父の形見ともいえる刀といくつかの拵えを引き取ってもらった。
楢崎さんはプロのベーシストから刀剣商に転身した異色の人で、話がとても面白かった。
「面授」という言葉があるけれど、ただメールのやりとりや電話で話したりしただけではわからない、 面と向かい合って話すからこそ伝わってくる様々なものがある。
相対した人の目線だったり、息づかいだったり、所作だったり……面と向かい合うからこそ、 言葉などより遙かに多くの情報が伝わってくる。
そうした面授を持ってして、この人なら父親の形見を託せると思った。
作り手の心がこもったモノは、その心を理解できる人の元にあるべきだと思う。また、人が職業や伴侶、友人を選ぶときも、 やはり適切なはまり所や人があると思う。
無理や我慢をして自分を合わせていたら、不平不満に凝り固まったまま、人生を終えてしまう。鈴木大拙が、「ああ、面白かった」と、 一言末期の言葉を残したような、そんな人生を歩むために、自分も自分のあるべき場所に身を置いて、気の合う人間たちとともに歩みたいと思う。
2009/02/20 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 12.グッズ、ギア | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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若い頃は、大自然にばかり目がいっていた。
山登りを始めると、3000mクラスの北アルプスの山々が目標になり、オフロードバイクにのめり込むと、 広大な砂漠を走るレースに目が向いた。そして、辺境を旅するようになると、世界の屋根「パミール」が目標になった。そして、いずれも、 足跡を記すことになった。
もう遙かな昔、タクラマカン砂漠を突っ切り、パミールの極限の峠までたどり着き、 雄大なユーラシア大陸の大地と向き合う何ヶ月かを過ごして日本に戻ってきたとき、木々の青さとその青さの中に湛えられた潤いに、 大陸で乾ききった体が、「あぁ、故郷へ戻ってきた」と歓喜した。
その時からだ、身近な自然に目が行くようになったのは。
そして、あれから長い年月が経ち、ぼくは、ドアを開けた目の前にある「小自然」に歓喜するようになった。
生け垣の芽吹き、木々の肌の変化、そして空気の匂い……そうした身近なものが、微かな、しかし確実な季節の変化を物語っている。
ふとしたはずみに、ついこの間冬枯れして坊主になった生け垣に小さな芽生えを発見したとき、暦を開いて七十二侯を調べると 「うぐいす鳴く」とあった。まさに、春告げ鳥が鳴く頃と暦に記されたその時に、生け垣の芽は膨らんでいた。
大自然は、「記号」としてわかりやすい。だけれど小自然は、とても繊細でフラジャイルなものだから、 自分の感覚をセンシティヴに磨いておかなければ、それを意識することができない。
身近な小自然の移ろいに気がつくと、突然身の回りの世界が途方もない深さを湛えていることが理解できる。
2009/02/16 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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いつも昼食の弁当を自転車を漕いで買いに行く道すがら目につく梅の木がある。 今日はその木が全身で嗤っているかのように真っ白な花を咲かせていた。
よく見ると、一つの枝に完全に開ききった花から、開きかけのもの、まだつぼみのものと、 三世代同居家族のようにくっついているのがほほえましい。
昨日はまったく気づかなかったが、今日の気温の温みで一気に花を開かせたのか、 あるいは昨日は底冷えする寒さに首をすくめて自転車を漕いでいたため目に入らなかったのだろうか。
桜は、春まっただ中に咲いて、葉桜になると初夏の香りが濃くなってくる。もう心も軽くみんなが外に出ている頃の花なので、 浮かれ気分で向かい合う。
梅は、まだ表で過ごすには寒い今時分に花を咲かせるから、せっかく可憐な花をつけても、 じっくり鑑賞されたり花見で浮かれたりされない。
もう10年くらい前だったか、都心に事務所があるときに、風で折れた花のついた梅の枝を拾い、 ペットボトルに水を入れて活けて置いたことがあった。
殺風景な室内にほんのりと甘い春の匂いが漂って、深夜の孤独な作業の最中に、ふと心が和んだものだった。
自分は、いったい幾つくらいのときから、こうした季節の移ろいを意識しはじめたのだろう……。
この春から高校生になる甥がまだ3歳の頃、実家の近所の里山へ散歩に連れて行ったことがあった。
あぜ道を一人先に歩いていた彼は、野辺に綿帽子になったたんぽぽを見つけ、それを手折って、その場にちょこんと座り込んだ。そして、 その綿毛をフッと小さい息で吹き、風に乗って飛んでいく綿毛を見上げながら、「気持ちいいなぁ」と心の底から呟いた。
それを見ていて、こんな幼子にもしっかりした季節感があるんだなぁと感動した。
三つの頃にそうした感覚がはっきり自覚できるのだとしたら、もう45回、ぼくは春を感じてきたことになる。あと幾度、 ほのぼのと季節を感じることができるのだろう……。
2009/02/10 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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手作りのススメ
なぜ、今、手作りのススメなのか。時代がたいへんなことになってしまったから、 俄に生活防衛のために手作りしようというわけではなく、ずっと、「身の回りを手作りのもので埋め尽くそう」と考えてきて、 ようやくこれから本腰を入れて『手作り生活』に取り組む決心をして、開始しただけで、そんなところに、 折良く??社会情勢が重なったというわけで、それ以上の他意も含意もない。
どうせやるなら「家作り」からと、昨年は2泊3日のストローベイルハウス作りのワークショップに参加したりして、 やる気は満々なのだが、そうした大物に手を出すにも予算もないし土地もないしで、とりあえずは手近なところから取り組むことにした。
そもそも、ぼくが手作り志向なのは、エコやサステイナブルといったことから発想しているのではなく、 このコラムでも度々紹介している、幼い頃の様々なものを当たり前に自給していた暮らしを取り戻したいと切に思うからだ。
茨城の片田舎にあった実家は、田舎にしては猫の額ほどの100坪あまりの敷地だったが、 その三分の一は祖母が耕した家庭菜園程度の畑で、傍らに常に鶏が二、三羽いる鶏小屋があり、葡萄だなや柿の木、 梅の木など食用になる樹木も植わっていた。
祖母、父母、ぼくと妹の五人家族の野菜と卵はほとんど自給できて、小さな物置には、いつも漬け物や梅干し、 梅酒などのストックがあった。醤油、味噌、砂糖などは近所の雑貨屋で量り売りしていて、肉や魚は行商から買っていた。 無駄なゴミはほとんどなく、わずかに出る生ゴミは畑の横に掘った穴に投入して、土をかけると数日で分解されて、肥料として畑に還元された。
今、あの頃の暮らしを思い出すと、なんて豊かで充実していたのだろうと、目が潤んでしまうほど懐かしい。 生活の些細な部分にまで深い意味があり、意識せずともいつも恵みに対する感謝の気持ちがあった。
ぼくは1961年の生まれだが、小学校の高学年に差し掛かる頃……ちょうど大阪万博が開かれた1970年頃……までは、 田舎はまだ大量消費社会の波を被っておらず、そんな「前世紀的」なのんびりした生活が営まれていた。
それが万博あたりを境に、カラーテレビや電話(携帯じゃなくて電電公社の有線のほう)が普及しはじめ、 どの家庭でも自家用車を持つようになると、『消費は美徳』といった今に繋がるスローガンが叫ばれて、大きく社会が変わっていった。
まあ、40年も経てば時代がガラリと変わってしまうのは当たり前なので、手作り生活を実践して、 昔へ回帰したいと思っているわけではない。『消費は美徳』という押しつけられたスローガンを鵜呑みにしてしまったことを反省し、 この新たな社会の変革期に合わせて、もう一度、昔の生活のいいところを見直し、取り入れ直していきたいと思うのだ。
その第一歩をぼくは『手作り』からはじめたいと思うのだ。
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・手作りは安心だ
・手作りは安全だ
・手作りは安価だ
・手作りは安らぎを感じさせてくれる
・そして何より手作りは「楽しい」
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祖母に尻を叩かれて、畑仕事や漬け物を手伝わされていたときは、それが楽しいとは思わなかった。だが、今は、 そうした思い出を与えてくれた祖母に感謝したい気持ちで一杯だ。
といったわけで、まずは、たまたま手に入ったビール作りキットから、手作り生活の再スタートを切ることにした。
ビール編#1 仕込み
**手作りビールセットの中身。・「うまいビールの素“B”プレミアム」907g1缶、ビール酵母・
作り方説明書、王冠(100個)、打栓器、洗ビンブラシ、ホームブルースプレー、発酵容器セット (発酵容器(20L)・
タップボトルフィラー(オリヨケ付)・エアーロック・シール温度計)。e4ショップの『手作りビール新基本セット』
ビール造り=醸造というと、大手酒造メーカーの専売特許で、素人が軽々しく手出しできないもののような気がするが、 欧米では家庭で気軽に醸造が楽しまれているという。 今回使うビール造りキットもそうした欧米の家庭向けキットに日本語の簡単なパンフレットを添付したといった体裁だ。
日本では酒税法の問題があって、庶民が気軽に酒を造ることができない。それも「醸造」 というハードルを高く感じてしまう原因の一つだが、このキットでは、酒税法に触れないようにアルコール度数を押さえられるので、胸を張って 「醸造」に勤しむことができるのだ。
ビール手作りキットは、ビール作りから瓶詰めに必要な材料が全て揃っている。これで1万円弱で、 あとは必要な数だけのビンと砂糖を用意すればいい。総額でもちょうど1万円程度。一度ここまで揃えてしまえば、次からは1500円程度の 「ビールの素」を買えば、何度でも醸造できる。この醸造樽で約16リットル作れるので、大瓶換算で23本弱、 ほぼ1ケース製造できるというわけだ。
イニシャルコストこそやや掛かるものの、あとは1500円で1ケース、大瓶1本あたり約70円となる。 これはビール好きにはたまらない。
とはいうものの、手間をかけて失敗しては悲しいので、失敗しないコツを周囲の経験者に聞いてみた。すると異口同音に返ってきたのが、 「とにかくアルコール消毒をしっかりやること、それだけ」とのこと。細かい手順や神経質な管理は必要なく、 仕込んだらほったらかしておけばいいとのことなので、まさに手作り初心者向けだ。
●第一日 2月7日
**男ヤモメの一人暮らしでゴミ溜めと化していたシンクの掃除・消毒から取りかかる。じつは、
いちばん大変だったのはこの作業だった(笑)**
**さらに醸造樽と空気栓や蛇口などのパーツを洗浄・殺菌する。殺菌は、
付属のアルコールスプレーで**
「殺菌にだけ気をつければいいなら簡単だ」と、高をくくっていたものの、いざ作業を始めようとして、男ヤモメの一人暮らしでは、 これがけっこう難題であることにいきなり直面してしまった。
食べ散らかしてほったらかしとなった食器やらトレーがスモーキーマウンテンがごとく山を成した台所のシンクは、ビール醸造以前に、 荒んだ生活スタイルを質さなければならないことを如実に物語っている。
そこはしかし、「ビール醸造を企てたおかげで、生活改善の意識も芽生えてくるとは、やっぱり手作り生活はいいものじゃわい」 とご都合主義に考え、腕まくりしてシンクを磨き上げた。そして、2時間あまりの格闘の末に、ピカピカになったシンクを見て、「よしよし、 これで、今日の作業は大満足だ」と、危うく本来の目的を喪失しそうになる。
きれいになったシンクの上に醸造樽を置き、その内外と空気栓や蛇口といったパーツも入念に洗浄して、 台所全体を燻蒸殺菌するかのごとくアルコールスプレーを吹きまくって殺菌する……アルコール充満の室内で、危うく、こっちまで『殺菌』 されそうになったが。
**洗浄・殺菌の終わった醸造樽にパーツを取り付けて、準備完了**
醸造樽のセッティングを終えたら、いよいよ仕込みだ。
うちにはまともな鍋もないので、これを急遽調達し、まともなガスコンロもないので……昔から「生活感のない奴とよく言われてきたが、 今は生活感どころか生活の片鱗もない(笑)……、ティファールで湧かした湯を借りてきた鍋にマニュアルに従って2リットル張って、ここに 『ビールの素』 1缶と砂糖600グラムを投入する。ビールの素は、水飴状の非常に粘りけの強い液体で、 缶を開けるとかなり強い納豆に似た匂いが鼻を突く。それが次第に麦芽糖のような甘い匂いに変化していく。
ほんとうは、ここで味見をしてみたかったのだが、「殺菌、殺菌」という言葉が頭に染みついていたせいで、 雑菌いっぱいであろう指をこの怪しげな液体に突っ込むことができなかった。考えたら、缶に残ったわずかな液体を舐めてみればよかったのだが、 そのときは作業に手一杯で思いもつかなかった。
**醸造の材料は、麦芽とホップの混合液である「ビールの素」と砂糖、イーストの三つだけ。
添加物のない健康的な飲み物であることがわかる**
**ビールの素は、水飴状の粘りの強い液体で、
かなり強い納豆のような匂いが鼻を突いてくる**
**沸かした2リットルのお湯に、ビールの素と砂糖600gを入れて、よく溶かす。煮沸はせず、
まだこの段階ではイーストは入れない**
あらかじめ醸造樽に10リットルの水を入れておいて、ここにビールの素と砂糖を溶いた液を流し入れる。
水は、本来はミネラルウォーターがいいらしいのだが、今回はあえて蛇口から出てくるさいたま市の上水道の水を使うことにした。 これで果たして旨いビールが造れるのか、いずれミネラルウォーターで仕込んだものと比較しようと思う。
ところで、これまた生活感のない話だが、醸造樽に張る水を計量するカップがないので、 代わりにいつもアウトドアで使っている容量目盛りつきのナルゲンボトルで500mlずつ量りながら20杯で10リットルを計量した。「…… 18、19、20杯」と、ようやく規定量を入れ終わってから、傍らを見ると、 2リットルのミネラルウォーターの空きペットボトルが床に転がっていた……。
最終的に全量が16リットルになるように調整して、 液の温度が18~26℃の範囲内にあることを醸造樽に貼り付けられたシール温度計で確かめ、 ビールの素に付属のドライイーストをサラサラと投入する。
以上で、第一段階の仕込みは終了だ。
**10リットルの水の中に、「ビールの素」と砂糖の混合液を流し込む**
**液の全量が16リットルになるように調整し、液温度18~26℃の間にあることを確かめて、
ドライイーストを投入する。イーストが液面全体にサッと広がり、いかにも「戦闘開始!!」
といったたのもしい様子**
今回ははじめての仕込みということもあって、殺菌にかなり神経質になって、それだけが手間に感じたが、仕込み作業自体は、 材料を溶いて、さらに醸造容器に入れた水に混ぜるというただそれだけでとてもあっけないものだった……自分の性格を考えると、二回、 三回と仕込みをするうちにだんだんずぼらになって、いずれ殺菌が疎かな故の産廃を作り出すことは目に見えているが(笑)。
発酵に適当な温度は、18℃~26℃とあるが、今の季節でも仕事場の隅に置いてストーブを焚いていると、 樽の温度計は20℃近くを指している。睡眠中や留守の間は10℃以下となるので、その分、発酵の進み具合は遅いだろう。それでも、 通常の1次発酵の目安である5~10日より若干長めの2週間くらいでビンに移せるのではないだろうか。
これから、数日毎に経過報告をしていく予定なので、お楽しみに!!
**仕事場の傍らに鎮座する醸造樽。この中で、酵母が一生懸命仕事してビールを作っているのかと思うと、
躾けのいいペットを飼っているような気分になる。トラベラーズノートのリフィルを一冊卸し、「手作り日記」
にした**
●第二日 2月8日
朝起きて樽の温度を見ると16℃。やや低い。発酵しているかどうか気になるが、怖いので、まだ中は見ない。
●第三日 2月9日
朝、室温は7℃まで下がっている。樽の温度は12℃。容器を透かしてだが、上面に泡が溜まっているのがわかる。 発酵を始めているようだ。
今日は、今にも雪が降りそうな底冷えの日で、ストーブをつけていてもなかなか樽の温度が上がらないので、 試しにシュラフを巻きつけてみた。
毎日メールで配信されてくる『日刊こよみのページ』をふと見ると、 今日の十二直(北斗七星の動きから吉凶判断する歴注)は『危(あやぶ)』で、「酒造りだけは吉、他は全て凶」とあった。
気になって仕込みをした一昨日の暦を調べてみると、酒造りに関しては特段の記載はなくてホッとした。余談だが、今日の二十七宿は 『翼』で、「種まき、出行などに吉。婚礼は離婚に至る」とあった。「……離婚に至る」と、自信を持って断定するところが、 なんとも潔い(笑)。
2009/02/08 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
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5日のエントリーで、新たに『e4』というプロジェクトが立ち上がったことを紹介したが、 このe4のコアとなるメディアの準備も進んでいる。
アウトドアに親しんできたメンバーが、頭でっかちで観念的ではない「エコライフ」について考察し、 実践していく……そんなスタンスで表現していこうと思っている。
そのメディアの基本コンセプト。
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--人は地球とともにある。 些細な気づきからそれを実感できるメディアを--
・地球=自然に対する「愛着」 をコアとし、それをスタッフもユーザーもともに共有する。
・ぼくたち人間はどこからやってきて、この地球とどうやって共生し、これからどこへ向かって行くのか。自問自答しながら、 様々な事象を観察していく。
・ただパーソナルな感覚で語るのではなく、一人一人が人類の代表として、自分(自分たち)がどうあるべきかを意識の根底に置いて発想し、 問題提起し、みんなで考えあえる「場」を醸成していく。
・「心地いい」とは、 どういうことなのか? 物欲を満たすのではなく(たとえモノを取っかかりとしても)、精神が満たされ、 それが他の人へ温もりとなって波及していくようなそんなテイストを持ったレポートが溢れている。
・ときに物事を辛辣に眺め、あえて自己批判も辞せず、間違ったことは間違ったこととして反省し、どうして間違ったのか、 それを自己検証していく。
・イデオロギーや宗教の拘束を受けない「日本人」特有の精神を武器として、自由に「異文化」を徘徊し、独自の視点から分析していく……批判・ 分析ではなく寛容・理解・融合という「日本的」アプローチで世界を「緩く」溶かし込んでいく。
・↑は、異文化だけでなく、様々なカテゴリーにも当てはまる。分野に囚われず、e4的発想と感覚でもって、あらゆるこの世の出来事を見つめ、 それに引っかかったものを観察し、突入し、表現していく。
・バーチャルで完結するのではなく、「人を動かし」、「人の感情、感覚を呼び覚まし」、「人がより深く体験したいと切望し」、 「動いた人が他の人にさらに訴えかける」……そうした連鎖を引き起こすような表現と仕組みを意識する。
・自分たちにとって利益があることを追求するのではなく、ユーザーにとって最大の利益があり、それをさらに分け与えていこうと思わせる、 そんな情報と枠組みを提供する→金銭だけが利益なのではなく、 情報や体験が大きな利益(満足)をもたらすものであるということを実感させる(自分たちも実感する)。
・ステークホルダーが形骸化や権威化に対して鋭い嗅覚を持ち続け、変化・変容を畏れず、 逆にシフトしていく方向へみんなの意識が向いているような環境整備をし続けること。メディアが「権威」「権力」になってはいけない。 ひたすら謙虚であること。
・人の心を豊かにすることが自分の心を豊かにする。それを実践し、その感覚が自然に波紋となって広がっていくことを常に意識すること。
・もっとも大切なこと……それは、メディアそのものが、次世代を担う子供たちに向けてのメッセージであると、強く自覚すること。
・コンセプトや思いは共通であっても、具体的な好みや方法論、見解は異なる。それをあらかじめ寛容すること。 その姿勢がメディアの表現に生かされること。
・伝える側が「気づき」、 「考え」、「感動する」ことで、それを伝染させていく。様々な行為を楽しみ、 それを表現し伝えることを楽しむ(楽しんでもらう)ためのメディア。
・「自分はどう生きればいいのか」と模索する人を応援し、ともに考えるメディア。
・「今までの生き方を少し考え直してみようか」とライフスタイルを見直そうとする人たちに小さな気づきを提供できるメディア。
・「田舎暮らし」、「都会生活」、「LOHAS」、「スローライフ」……既成の概念に囚われない、でもどれも否定はしない。 それぞれの良さをもう一度見直して、トータルでどんなスタイルができるのか組み替えを試みてみるメディア。
・「初心者向け」でもない「玄人向け」でもない。「生きるということにかけては、みんなが玄人なのだ」という意識を持って、 どんな人からでもライフスタイルの気づきを引き出し、みんなのヒントとなるように表現するメディア。
・物事をただ紹介するだけではなく、人が行動に移れる道筋まできっちりとフォローするメディア。 →連動するコマースやアウトフィッターもその役割をしっかりと果たす。
・先入観や固定観念によって膠着している事象をもう一度見直し、あらたな視点を導入させることで物事そのものに輝きを与えるメディア。 →例えば、レイラインという観点から神社仏閣を見ることで、突然それらがワンダーランドに思えるように、身近なところから発想して、 そういう視点を見つけ出し、それを楽しみ、伝えていく。
↑「この世界は合理だけではない。目に見えるものだけではない。ある場所に立ったとして、その風景の背後にあるものまで見なければ、 その場所と本当に親しくなったとはいえない。
自然と対面して生きる、自然の中で生きる、自然に拠って生きるとは、目前の雪原の上にいつか見たオオカミの足跡を重ねてみること、 オオカミが雪の上を歩いていったその時を自分の中に持ち続けることである。それが、 より大きな枠の中にいる自分という安心感をもたらす(星野道夫の著作に寄せた池沢夏樹の一文)」
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2009/02/07 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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株式会社ゴーフィールド(本社:香川県高松市、代表取締役CEO:森田桂治)は、内田一成(アウトドアライター、プランナー)、 リュウ・タカハシ(ガイディングインストラクター、ライター)とともに、「日々のくらしの中で地球を感じる=『e4プロジェクト』」 を開始いたしました。
【e4とは?】
“Earth” “Environment” “Ecology”
今、私たちを取り巻くとても重要な三つの”E”。それを単なる掛け声ですませてしまうのでなく、真剣にEmotionalに考える…… そんな意味がe4にはこめられています。
『生きがい』……それは、人が生きて行く上でかけがえのないもの。しかし、現代では、それがとても薄くなってしまっています。
ある日、海や山に遊び、自然と深く関わってきた仲間たちが集まり、これから自分たちは、どんな『生きがい』を持って生きていけばいいのか、 そんなことを話しあいました。
はじめは、よくあるキャンプの夜の語らいだったものが、いつしか、まじめな討論となり、そして、 次第に周囲の仲間たちを巻きこんでいきました。我々が地球とふれあい、地球を感じることで得てきた喜びをあらたな『生きがい』 とできないものかと。
そして、たどりついたのが”e4″でした。
日々の暮らしでも、仕事の中でも、そして人とのふれあいの中でも、みんなが喜びを見出せ、心豊かに生きていくためのあらたな『生きがい』 とは……。それを見出すヒントは、私たちが住むこの地球をもっともっと感じ、生きている喜びをかみしめることではないかと。
e4には、いますぐ胸をはって、みなさんに差し出せるモノやコトはありません。でも、 地球を感じる様々なアクティビティや自然を意識した生活を通して感じたことをヒントに、あたらしい『生きがい』 につながりそうなモノやコトを提案していきたいと思います。
これからe4では、最初に掲げた三つの大切な”E”を「Emotional=心の深いところで感じた」レポートとして紹介したり、 地球を身近に感じることができ、三つの”E”を日々の生活の中でも意識していけるようなモノをどんどんご案内します。
そして、e4という場が、地球をもっともっと感じるためのヒントに満ちあふれ、e4を通して誰もがお互いに『生きがい』 を語りあっていける場にしていこうと思っています。
【e4の目標】
・身の回りの自然に触れあうことで、季節の移ろいや地球の生理を知り、かけがえのないこの星を守っていくためにどうすればいいのかを考え、 実行していく。
・自然とともに暮らしていた昔の人たちの智慧を掘り起こし、それを再び生活の中に取り入れることで、 サステイナブルな社会のありかたを考察していく。
・地球に優しい新しい技術やノウハウを積極的に試し、新たな生活のスタイルやアクティビティを開拓していく。
・何よりも、子どもたちが明るい未来を想像し、生きがいを持てる社会を創造するために全力を尽くしていく。
【e4プロジェクトサイト情報】
e4メディア: http://e4.gofield.com/
e4SHOP: http://e4.gofield.com/shop/
【株式会社ゴーフィールド】
社名の由来は、”Go field!!”つまり「野外に飛び出そう!!」。学生時代、登山に明け暮れ、 海外を放浪して未知のものを探し求めた代表の森田が、大手コンピューターメーカーの営業という仕事にいったんはついたものの、 学生時代の自然に対する思い入れに回帰して設立した会社です。
明るく元気に自然と接することで、自分たちの生活や意識を豊かにするとともに、地球環境にも貢献したい……そんな理想の元、 これに賛同する仲間たちが集まり、アウトドア情報サイトを運営することからスタートしました。
それが、いつしかIT時代の波に乗り、インターネットコンサルティング、WEB制作、システム開発会社としての色彩が濃厚に……。
会社設立から10年目を迎え、これまで培ってきた技術をとことん生かし、想いはスタート時に回帰して、e4プロジェクトをコアに、みんなが、 地球がもっともっと元気になれるそんな意識を広めてまいります。
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所在地:香川県高松市川島東町293-5
設立:2000年6月2日
代表取締役CEO:森田桂治
事業内容:インターネットコンサルティング、WEBサイト制作、システム開発、アウトドア情報サイト運営、アウトドア用品販売
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●ウェブサイト:
「アウトドア情報サイト」 http://www.gofield.com/
「コーポレートサイト」 http://www.gofield.co.jp/
【内田一成(うちだかずなり)】
1961年茨城県生まれ。高校時代より登山、オフロードバイクに親しむ。登山専門誌記者を経てフリーランスとなる。
フィールドに出ることが好きで、アウトドア全般を楽しみ、辺境地帯にも出掛けてレポートする。 90年代半ばにはSEGAでゲームの企画に参画。デジタルコンテンツやWEBサービスのコンサルティングも行うようになる。
ライターとして執筆活動の他、講演活動、ツアーの主催、さらにWEBプランニングも行う。
デジタルマップとGPSを駆使し、古代の遺跡や神社仏閣をつなぐ『レイライン』を探索することをライフワークとする。
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『再見西域-新彊シルクロード自動車旅行記』(山海堂)
『アウトドア百科-Outdoor Basic Technic』(舵社)
『ツーリング大全』(太田出版・共著)
『日本レイラインツーリング ―聖地を繋ぐ不思議な道を辿る―』
など著作多数。
NBS長野放送「太陽と古代へのロマン~レイラインハンティング~」製作協力・出演。
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●ウェブサイト:
「Outdoor Basic Technique」 http://obtweb.com/
「Leyline Hunting」 http://www.ley-line.net/
「OBT blog」 http://obtweb.typepad.jp/obt/
【リュウ・タカハシ】
手作り生活を夢見て1998年に妻とともにニュージーランド(以下NZ)に移民するが、ひょんなことから世界最大級の商業シーカヤック・ ゲレンデで、ガイドとして10シーズンも働く羽目に。総顧客数は五桁に迫り、指導育成した後輩の数も三桁と、NZでも屈指の経験を誇る。 最前線から退いた今も、助っ人ガイド、プロ向けインストラクター&試験官、相談役、文筆家などの形で業界に関わり、 ノウハウを日本に伝える活動にも精力的。
2007年には大工と二人で自宅を建築。内装や庭造りは今も作業継続中。
ライターとしては新聞、雑誌、旅行ガイドブック、ウェブなどにNZ情報、アウトドア情報などを寄稿。
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●日本での実績(シーカヤック関連):
2001年:
日本人初のNZシーカヤック・ガイド資格SKOANZ Level 1を取得。
「瀬戸内シーカヤック・ミーティング第0回」を主催。
日本に初めて「インシデント・レポート」を紹介、導入。
2002年:
日本初のNZ式シーカヤック・ツアー・アウトフィッター「野遊び屋」をプロデュース。
日本でプロ向けの勉強会「プロガイド・ワークショップ」を開始。
2003年:
日本でアマチュア向けの「ツアーリーダー・セミナー」を開始。
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●ウェブサイト:
「Gofieldレポート」 http://www.gofield.com/
「Ryu’s Logbook」 http://www.gofield.com/openair/ryu/
「Ryu’s Logbook 別冊」 http://ryuslogbook.livedoor.biz/
「パドルの向くまま、気の向くまま」 http://www.onjix.com/paddle/
2009/02/05 カテゴリー: 01.アウトドアライフ, 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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ほのぼのとしたイラストと、 昔の人が季節の移ろいを意識して日常の風景の中に見られる象徴を綴った二十四節気七十二侯の文言が収められた『えこよみ』 の07-08年版が最後のページとなった。
二十四節気の最後は「大寒」、七十二侯は「にわとりとやにつく」、そして季節が一巡した締めくくりは「節分」となる。
寒さが極まり、温もりが蘇ってくる中に春の兆しを感じ、にわとりは卵を産み始める。そして、 季節が一巡する中で溜まった穢れや邪気を追う最後の節分には「追儺」を行う。
えこよみを都度に紐解きながら暮らしていると、季節の循環に合わせた人の感覚の移ろいや行事の意味がよく理解できる。 漫然と暮らしていると単調な日常に埋没し、自分を取り巻く自然の変化や息づかいに気づかぬまま、「昨日も今日も明日も……何も変わらない」 という無感覚に囚われてしまう。
今、自分が暮らしている環境では、鶏小屋は近くにないので、にわとりがとやについたことを確認はできないけれど、 この文言を目にしただけで、遠い昔、実家で飼っていたにわとりの様子が思い出され、「そういえば、今頃、餌をやりにいくと、 小屋の隅のほうで羽根を一杯に膨らませてたっけな」なんて、具体的な姿が蘇ってくる。
自分が自然に生かされている、人は自然とともにあるということが自覚できれば、それだけで心は安らいでくる。
世間に新しいカレンダーやスケジュール帳が出回る昨年の秋頃から、新しい『えこよみ』は出ないのだろうかとアンテナを張っていたが、 ちょうど七十二侯が終わるこの節分のタイミングで新版が発売された……気が急いていたことに、 「まだ自分はえこよみが解いてくれる季節の移ろいを実感できるようになっていないんだな」と、少し恥ずかしく感じながら、 さっそく09年版を注文した。
2009/01/30 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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河出文庫から刊行されている"須賀敦子全集"を読んでいる。
長くイタリアに暮らし、イタリア人のご主人と死別してから日本に戻ってきて、懐かしいイタリアの風景を入り口として、 様々な人たちと心の通い合った思い出を掘り下げる。
ぼくはイタリアに暮らしたことはないし、まだ行ったこともないが、須賀さんが丁寧に描写するイタリア人たちは、 まだ日本にもコミュニティが存在した、ぼくの子供の頃の田舎を思い出させるような懐かしさにあふれている。
今の日本の都会の生活では、自分を含めて、大方の人たちはなんとか生きのびていくことに汲々としていて、 身近な人を思いやる余裕を忘れている。
後に須賀さんの夫となるペッピーノとともに右も左もわからない彼女をジェノワの駅へ迎えに来ていたガッティという人物についての話が出てくる。
ジェノワの駅で出会った若い日からずっと親友であり、須賀さんにとっての良き助言者であったガッディ。彼は、 ペッピーノが亡くなって現実を直視できなくなっていた須賀さんを、「睡眠薬を飲むよりは、喪失の時間を人間らしく誠実に悲しむべきだ」 と戒め、それで須賀さんは立ち直ることができたという。
だが、そのガッディは、長年面倒を見ていた母親が死んだり、仕事がうまくいかなくなっていったりして、 「ガッディの精神があのはてしない坂道を、はじめはゆっくり、やがては加速度的に下降しはじめ」ていく。
頼りになる助言者であり、慈愛に満ちた暖かさで見守ってくれたガッディが老人ホームで、 ただニコニコとキャンデーを舐める姿に底知れない悲しみを覚え、その姿を目撃してから、 ついに見舞いに足を向けることなく逝ってしまったときに、「また、ひとつ、どこかに暗い穴が開いた」と放心してしまう。
人と真剣に向き合い、喜びや悲しみを分かち合い、励ましたり戒めたり……そんな関係が持てた須賀さんの人生が、 彼女の文章を読んでいくと、とても羨ましく思える。そして、こうした人間関係は、コミュニティが安定しているからこそ、 互いに長いスパンで関係していくという意識があるからこそ生まれてくるのではないかという気がする。
しかし、須賀さんの物語に登場する人々は、互いのことを思いやりながら、時代の急激な変化に、それぞれの道へと連れ去られ、 須賀さん自身も日本移り、懐かしい異国=故郷に想いを馳せながら、あっけなく生涯を閉じてしまう。
須賀さんがガッディの人生を振り返ったように、親しい友人の生きざまを見守り、自分も見守られながら最期を迎える…… そんな人生を歩みたいと思う。
2009/01/17 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 07.本 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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この連休は、白馬のペンション「ミーティア」が主催するスノーシュー&ツリーイングツアーのガイドとして、 10人あまりの子供たちと雪遊びをしていた。
例年よりだいぶ雪が少ないとはいうものの、一面の銀世界は、雪のない関東から見れば別世界。 サラサラのパウダースノーを踏みしめて広大な雪原を自由に歩けるのは、まさに雪国ならではの特権だ。
しかし、今回ぼくがガイドした子供たちは、躾がいいのか、はたまた管理され慣れているのか、ぼくが先頭になって歩き始めると、 一列縦隊になって踏み跡を辿ってついてくる。
「あのさあ、せっかく足跡がついてないフワフワの雪がこれだけあるんだからさあ、おじさんの後にぴったりついてこないで、 バラバラに広がって好きに歩きなよ」
半ば呆れながら言うと、一瞬キョトンとした顔を見せたものの、急に嬉しそうな顔をして、思い思いの方向へ駆けだした。
「雪を踏むと面白い音がするんだねぇ!」、「同じ雪でもさあ、硬いところと柔らかいところがあるんだね」、「風の向きで、 雪の深いところと浅いところができるんだね」……。
ぼくが何も説明しなくても、子供たちは、どんどん自分たちの五感で新しいことを感じ取っていく。
そもそもスノーシューの楽しみは、踏み跡のないパウダースノーの上をどこまでも自由に歩いていけることだ。 中高年の百名山登山じゃあるまいし、前の人の尻を見ながら俯いて黙々と進むなどという世界とは対極にあるはずだ。
ツリーイングでも、基本的な技術を教えると、あとはスイスイと登って行き、木肌に触れた感触を語り合ったり、 わざとロープを揺らして木をたわませて、「ほら、木も一緒になって遊んでるよ」などとはしゃいでいる。
無邪気な子供たちの姿を見ていると、子供たち誰でも好奇心や想像力に溢れているんだなとあらためて確認できる。そして、 その好奇心や想像力を発揮できる機会が、今の子供たちには少なすぎるということも……。
昨年の金融破綻にしろ、その後の「不況煽り」のような報道にしろ、自分たちの行為がどのような結果を招くか、 波及効果を持っているかをまったく考えず、ただ目の前の利益や事象に振り回されている大人の愚かさに溜息が出てしまう。
身の回りを見渡しても、自分の言葉や行動が人にどんな影響を与えるかを考えず、自分勝手な言動をする人間が目立つ。 人に対して皮肉や嫌みを言ったり、ネガティヴな態度をとれば、相手はその人間と距離を置こうとするのは当たり前だし、 同じような言葉や態度が返ってくるのが当たり前だと思うが、そんな、 本来は子供のときに躾けられて身についているはずのことが抜けている大人が多い。
人のことを考えない自己主張ばかりで、それが通らないといじけてしまう……まさに「さもしい」人間が目につく。
以前、「ポジティヴシンキング」なんていう言葉が流行ったが、無理矢理物事をポジティヴに考えるのもさもしいと思うが、少なくとも、 現状に鬱々と文句を言い続けたり、 不況を喧伝するマスコミに乗せられて何事もネガティヴに考えてしまうよりはまだポジティヴシンキングのほうがましだ。
先行きが不透明な時代だからこそ、想像力を最大限に発揮する必要がある。
自分にとって、どんな生き方が幸せなのか、みんなにとって暮らしやすく、幸せを実感できる社会の姿はどんなものなのか……。
しかし、まず必要なのは、好奇心と想像力をなんとかして取り戻すことなのかもしれない。
2009/01/12 カテゴリー: 01.アウトドアライフ, 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
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この暮れは、一度も「忘年会」に参加しなかった。
2008年は、様々なことがあった。
この年は忘れないようにしよう……そう思った。だから「忘年」の会には参加しなかったし、自分でも企画しなかった。
年が明けても、年賀状は出さない。
いただいた人への返信もしない。
失礼だとは思うし、申し訳ないが、2009年の年賀は、春に自分の人生を完全にリニューアルできたときに言祝ぎたいと思う。
暮れから正月にかけては、読書や、様々な構想の具体化に向けた青写真を作ることに振り向けたいと思っている。
ずっと、自分の心の中で燻っていたキーワードがある。
「地球を感じる」
OBTでも謳っているし、30年以上前に登山やオートバイツーリングを始めたときに脳裏に浮かんだ言葉だが、漠然と 「地球を感じたい」、「地球を感じることの素晴らしさを人に伝えたい」と思いながら、試行錯誤も繰り返しながら、 なかなか自信をもって体験し、表現することができずにいた。
2008年の終盤、ぼくがずっと胸に抱いていた「地球を感じる」というキーワードが、突然一人歩きを始めた。
様々な自分の体験を人に話したり、思い描いている構想を人に説明するとき、「すべては、地球を感じたいため、 地球を感じて自分もその一部だと感じるためなんです」と、枕をつけて話すと、相手にぼくの思いが自然に入っていくようになった。
そして、ぼくの言葉を受け取った人が、今度はほかの人に「地球を感じるために」と、語り継いでくれる……。
年が明けたら、「地球を感じる」ためのプロジェクトが本格的に始動する。
前回のエントリーで、 コスモロジーを読み解くと書いたが、そのてはじめとして、ジョゼフ・キャンベルを読み直している。
最初に紐解いた『時を越える神話』(角川書店 飛田茂雄訳)の冒頭に、印象的な話が出てくる。 シアトル市の由来となったシアトル酋長が1855年頃に行ったとされるスピーチ。白人との闘いに疲れ、 講話に応じたシアトル酋長が行ったとされるスピーチは、じつは真贋論争があり、今では、本来のスピーチに後々多くの脚色が加えられていった、 あるいは、そもそもこうしたスピーチはなく、ねつ造されたものだというのが定説になっている。
キャンベルがこの本を著したときには、まだ疑いを持つものはいなかったようだ。キャンベル自身も「史実」としてこれを紹介している。
真贋論争はさておき、その内容は、じつに示唆に富んでいる。これをフェイクであるとして排斥してしまうにはもったいない。
そこで、かなり長いが、引用してみたいと思う。
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ワシントンの大統領は、「おまえたちの土地を買いたい」と言ってきた。
しかし、空や土地をどうして売ったり買ったりできるだろう。その考えはわれわれにとって奇妙なものだ。
もしわれわれが大きな空を持たないからといって、あるいはきらめく水を持たないからといって、 そんなものをどうして金で買えるだろう。
この大地のどの部分も私の同胞にとっては神聖なものだ。きらきら光る松葉の一本一本も。どの砂浜も。暗い林のどの霧も。どの草原も。 羽をうならせている虫の一匹一匹も。みな、私の同胞の思い出と経験の中で神聖なものなのだ。
われわれは、自分の血管に血が流れているのを知っているように、木々のなかに樹液が流れているのを知っている。
大地はわれわれの一部だ。香り高い花々はわれわれの姉妹だ。クマ、鹿、偉大なタカ。彼らはわれわれの兄弟だ。岩山の頂き、草原の露、 ポニーの体の温かさ、そして人間。みな同じ家族なのだ。
せせらぎや川を流れる輝かしい水は、ただの水ではなく、われわれの祖先の血だ。
もしわれわれがあなた方に土地を売るとすれば、あなた方はそれが神聖なものであることを覚えておかなければならない。 湖の澄んだ水に映るどんなぼやけた影でさえ、私の同胞の出来事や思い出を語っている。流れのつぶやきは私の父のそのまた父の声なのだ。
川はわれわれの兄弟だ。彼らは私の喉の渇きを癒してくれる。彼らはわれわれのカヌーを運び、われわれの子供たちに糧を与えてくれる。 だからあなた方は自分のあらゆる兄弟に与えるのと同じ親切を川に与えなければならない。
もしわれわれが土地を売るとしても、空気はわれわれにとって貴重なものであることを忘れないでほしい。空気は、 それが支えるあらゆる生命とその霊を共有していることも覚えていてほしい。
われわれの祖父にその最初の息を与えた風は、また彼の最後の息を受け入れる。風はまたわれわれの子供たちに生命の霊を与える。
だから、われわれがあなた方に土地を売るとしたら、あなた方はそれを特別な場所、神聖な場所にしなければならない。 人がそこに行って、草原の花々のかぐわしい香りに満ちた風を味わえるようなところに。
あなた方は子供たちに、われわれが自分の子供たちに教えてきたのと同じことを教えるつもりがあるだろうか。 大地が我々の母だということを。大地に降りかかるものは大地の息子たちみんなに降りかかるということを。
われわれは知っている。大地は人間のものではなく、人間が大地のものだということを。
あらゆる物事は、われわれみんなを結びつけている血と同じようにつながり合っている。人間は生命を自分で織ったわけではない。 人間はその織物のなかのたった一本のより糸であるにすぎない。人間が織物に対してなにをしようと、それば自分自身に対してすることになる。
明らかなことがひとつある。われわれの神はあなた方の神でもある。大地は神にとって大事なものであり、 大地を傷つけることはその創り主に対して侮辱を与えることになるのだ。
あなた方の目的はわれわれにとって不可解ななぞだ。 バッファローが全部殺されたらどういうことになる? 野生の馬をみな飼い慣らしたらどうなる? 秘められた森の奧まで大勢の人間の匂いでいっぱいになり、 緑豊かな丘の景色がおしゃべり用の電線で乱されたらどうなると思うのか? 茂みはどうなってしまうのか? 消えてしまう! ワシはどこに住むのか? 消えてしまう! そして、 足の速いポニーと別れ、命の終わりであり生存の始まりである狩りに別れを告げるとは、どういうことか?
最後のひとりとなったレッドマンが大平原を渡る雲の影だけを最後の思い出として、未開の原野といっしょにこの世から消え去ったとき、 これらの海岸や森林はまだここにあるのだろうか? 私の同胞の霊が少しでもここに残っているだろうか?
われわれはこの大地を愛する。生まれたばかりの赤ん坊が母親の胸の鼓動を愛するように。
だから、われわれが土地を売ったなら、われわれそれを愛してきたのと同じようにその土地を愛してほしい。 われわれがそうしてきたのと同じように土地の面倒を見てほしい。心のなかに受け取った土地の思い出をそのまま保ってほしい。 あらゆる子供たちのために、その土地を保護し、愛してほしい。神がわれわれみんなを愛するように。
われわれが土地の一部であるように、あなた方も土地の一部なのだ。
大地はわれわれにとって貴重なものだ。それはあなた方にとっても貴重なものだ。
われわれはひとつのことを知っている。神はひとりしかいない。どんな人間も、レッドマンであろうとホワイトマンであろうと、 区別することはできない。なんと言っても、われわれはみな兄弟なのだ。
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こんなコスモロジーを指針とした、新しいライフスタイルを築いていきたい。
2008/12/29 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
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午後、世田谷にある喜多見不動を訪ねた。
小田急線が傍らを通る高台にあるこじんまりしたお堂は、富士山を正面に見て、冬至の入り日は、その富士山に沈む格好となる。そして、 まさにその入り日にタイミングを合わせて、「星祭り」が行われる。堂内ではリズミカルな太鼓の音に合わせて読経が響き、護摩が焚かれる。 そして、参詣に訪れた人には境内で唐茄子汁粉が接待される。
もう幾年前になるだろうか、聖地を結ぶレイラインの探索を始めて、 茨城県の南部にある鹿島神宮が関東ではレイラインの大きなハブのような役目を果たしていることに気づいた。
鹿島神宮からは、他の聖地やランドマークを結ぶラインが数多くあるが、その中で、 鹿島神宮から見て冬至の入り日が富士山に当たることをみつけ、そのラインを辿るうちに、 小田急線の下北沢から狛江までの10kmあまりの直線が、ぴったりとこのラインに乗っているのを発見した。
そして、数年前の冬至の日に、GPSを持って実地に調べているうちに、この喜多見不動の星祭りに出くわしたのだった。
この丘の上にあるお堂は慶元寺の境外仏堂と言われているが、実際には、明治のはじめに多摩川の大洪水があって、 その際に流れ着いた不動明王像を安置したのが始まりで、当時の村の有志が建立した独立した寺だった。
鹿島神宮と富士山を結ぶ「冬至ライン」には、古い街道が沿っていたり、 江戸城や明治神宮といった目立つランドマークの他(DoCoMoの本社ビルもまさにこのライン上に位置している)、神社仏閣が数多い。 さらに小田急線は、その直線区間をわざとこのラインに乗せたと推測できるが、そんなことを考え合わせると、このお堂を建立した人たちは、 そのことを知っていて、まさに冬至ラインの上で、富士山を正面に拝むようにお堂を配したという気がする。
星祭りは、密教のほうでは妙見信仰に由来する一種の厄除けだが、じつは、冬至の日に太陽の再生を妙見に祈るというのが、 本来の形だったのではないだろうか。
妙見=北極星は、北の空にあってその位置は不動だ。それに対して、太陽は位置と日照時間を変化させてゆき、 冬至にはもっとも日照が短くなる。多くの太陽信仰は、冬至に太陽は死に、翌日生き返ってくるとされる。クリスマスも元は太陽再生を願う 「冬至祭」であったという。星祭りは、太陽の再生を不動の妙見に祈るという意味ではないのか? お堂の中で北を向き=妙見様を向き、 一心不乱に経を上げながら護摩を焚く僧侶とそれを見守る信者の姿を見ていると、そんな思いがますます強くなってくる。
ちなみに、祭政一致の古代世界では、冬至祭を主宰し太陽を再生させることが祭祀王の重要な役割の一つだった。その意味では、 23日が誕生日である今の天皇は、祭祀王としての資格にぴったり当てはまるともいえる。
お堂の横、切り立った土手の下には、細い隧道があって、その奧に不動明王が安置されている。 護摩を焚く煙が微かに漂うその隧道に入っていくと、真っ直ぐに射し込んだ冬至の入り日が奧に達して、不動明王の姿をくっきりと映し出した。
思わず、その場に跪き、両手を合わせる。
普段は闇の中にあって静かに眠る不動明王=妙見が、太陽の最期の光によって再生し、その力を死にゆく太陽に返す瞬間……それは、 人が考え出したギミックではあるけれど、ただ自分の無病息災を祈るといった卑小な了見ではなく、もっと大きな宇宙の営みを意識して、 それに自分たち人間も少しでも貢献しようという「無私」の精神が、自然や宇宙に対する本心からの感謝が感じられた。
昔の人たちは、自分たちも大きな自然や宇宙を構成する「部分」であることを強く意識していた。自分たちが信じれば、 その小さな心の動きが波紋となって宇宙全体へと波及していくという「照応=コレスポンデンス」の宇宙観を持っていた。
洞窟の奧に浮かび上がった不動明王に両手を合わせながら、ぼくも自然に、明日の太陽の再生を心から祈っていた。
**お堂から溢れた人も、護摩供養に合わせて、ずっと表で手を合わせていた**
**冬至の夕陽がお堂横の隧道の奧に導かれ、 最奥に安置された不動明王を浮かび上がらせる**
**喜多見不動横の通称「富士見橋」。橋の下を小田急線が通り、真っ直ぐ富士山のほうへ向かっている。 残念ながら雲が掛かって、富士山自体は拝めなかった**
2008/12/21 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 09.生命 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
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都内のとある公園の片隅で、つつましやかなキャンドルナイトが催されていた。
いずれ消え去る灯火は、パーマネントに輝く電気の光と違って、どこか儚く、人のリズムに近くて、 思わずその揺らぎに吸い込まれてしまう。
今では少なくなってしまったが、日本では夏の精霊流しや小正月の宮参りなどで、こうした灯火が人々の心を和ませてきた。
今年は、社会が大きな変革期を向かえ、来年はさらに激動が予想されている。
ぼく自身も個人的に大きな変革期を向かえ、今年の後半は、自分のあるべき道を必死で模索して、新たな仲間を得て、 なんとか社会の変革に合わせた体制を整えられそうな道が見えてきた。
いうなれば、「自分」という一個人は、小さな灯火に過ぎない。けれど、その灯火もこんなふうに集まれば、それは人の心を和ませる 「明かり」となりうる。
電球は、大元の電気の供給が断たれてしまえば、全てが一斉に消えてしまう。でも、灯火は、たとえの一つが消えたとしても、 他の灯火は生き残り、また新たな灯火を点すこともできる。
社会も、大きなシステムは安定のように見えながら、じつはとても脆弱なものであり、 人の心に訴える何事かをたいして残さず消え去ってしまうということが、システムの瓦解によって証明された。
新しいシステムは、人の人らしい心が生み出すもので、そこから生み出されたものが、他の人の心に灯火を点して、 さらに広げて行くものになるべきだろう。
2008/12/13 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 09.生命 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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ビッグサイトで展示会が行われるときは、 みんなが使う新橋からゆりかもめで向かうルートとは反対の豊洲から向かうルートをとることにしている。
この逆コースは利用者が少なく、いつもゆったりと会場に向かうことができるからだ。
ところが……豊洲の駅はありえないほどの人で溢れかえっていた。 灰色のうつむいて黙々と歩くサラリーマンの群が有楽町線から吐き出されて、そのままゆりかもめへと向かう。
そして、ビッグサイトで新橋からのさらに数倍の群と合流して会場へ吸い込まれていく。
大手企業は、ただ「エコに取り組んでいる」という『姿勢』 をアピールするためにモーターショーなどとなんら変わらない大手広告代理店へ丸投げだろう宣伝パッケージで、ただ華やかに、 中味のないありきたりなイベントを繰り広げている。
大手が大きなスペースを仕切るその影で、地方から零細工場の生き残りをかけて「エコ」の名を冠した、「王様のアイデア」 的なひらめき商品を持ち込んだり、「ヘンプを見直そう、ヘンプは体にいい!!」 といったフラワーチルドレンの再来かと思うようなオルタナティヴたちがゲリラ拠点を開いている。
まるで、汐止の巨大ビル群の影でスラムを形作る新橋の飲み屋街といった雰囲気で、これは、今の日本の縮図なんだろうと思う。
折りしも幻想に支えられた経済が破綻して、新しいお題目を唱えて、また実態のない経済を作り出して、 そこに取りすがろうとするように、灰色の亡者たちが、「エコ、エコ……」と呪文を唱えながら彷徨っている。
そもそもエコロジーは、「生態学」という意味だ。個々の環境に適合した生態系というものを研究する学問だ。エコロジカルといえば、 「環境に適合した」という意味で、エコをお題目に環境を変革しようといったものではない。
そういった本来の意味を知ってここに来ている人間はいったい何人いるのだろう……。
今週は、リメイクされた「世界が静止する日」がロードショー公開となる。「我々は、地球を守るために、人類を殲滅する」…… そんな宇宙人は、じつは今頃、月の裏側に集結しているのかもしれない。
究極のエコは、やはり人類が全滅することだろうなと、エコプロダクツ展でつくづく思った。
2008/12/12 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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初めて訪ねた場所なのに、遠い昔から馴染みのような気がして、思わず寛いでしまう場所がある。初めて会った人なのに、 やはり遠い昔からの友人のような気がして、安心して心を開ける人がいる。
そういう「出会い」が時々ある。
昨日は、身近な自然の中にある素材を使ったモノ作りの打ち合わせのために、愛知県岡崎市にある「アウベルクラフト」を訪ねた。
アウベルクラフトは、帆布を使ったタフで機能性の高いタープ、「スターウイングシリーズ」がオートキャンプブーム時代に評判を呼び、 後に携帯型のハンモック、携帯型の囲炉裏、露天風呂キット、 石釜キット等々の独創的で、かつアウトドアテイストが息づくモノを次々に作り出してきたメーカーだ。
柴田正則さんと隆二さん兄弟が自分たちのアウトドアライフ、ライフスタイルの中から自然に発想し、形にしていく製品は、 創業時からとても気になるものばかりだった。
東京の狭いアパート暮らしでは、なかなか導入できない製品が多く、 今までは自分がアウベルクラフト製品を実際に手にすることはなかったが、 柴田さん兄弟の作り出すモノにこめられた思いやセンスはとても共感の持てるもので、いつかその製品を自分が使うことになったり、 ご縁ができるものと確信していた。
そんな思いが、図らずもかなったのが昨日だった。
会社を訪ねたのも初めてだし、柴田さん兄弟とも初対面だったが、そこはまさに「懐かしい場所」であり、「懐かしい人」だった。
この出会いをアレンジしてくれたのは、香川にあるGofieldの森田さんだが、その森田さんとは、今年9月になくなってしまったぼくにとっての 「懐かしい場所」のひとつ「野遊び屋」で繋がり、彼自身も「懐かしい人」の一人だ。
以前から、ぼくは「土地に引き寄せられる」という感覚を強く持っていた。どこかある場所に興味を持ち、そこへ行きたいと思うと、 必ずその土地の人から誘いを受けることになる。
最近、レイラインのトークライブでも話すのだが、それは、もしかしたら地球=ガイアという生き物の「気」の流れが滞っていて、 その流れを良くして活性化するために、ぼくを移動させ、 ガイアのツボともいえる土地で何かの活動をするように促しているのではないかなどとも感じている。
四国もそうだし、若狭、熊野、京都、白馬、沖縄……そして岡崎、いずれの場所もそんな感じでたどり着いて行き、以降、 ずっと深い関わりを持つようになっている。そして、それぞれの場所へ導いてくれた人たちは、かけがえのない「仲間」となっている。
打算とか駆け引きとは無縁で、あたかもガイアに踊らされているかのように、キーとなる場所に仲間が集い、 ガイアのためにアクションを起こしている……そこには、やはり何か大きなものの存在を感じてしまう。
今回は、Gofieldが中心となって展開されるプロジェクトの打ち合わせの予定が、アウベルクラフト自慢の「囲炉裏キット」 を囲んで話をしていると、話題はどんどん飛躍してしまう……。
このコラボレーションの仕掛け人である森田さんは、どうもこの場の流れを予想して確信犯的にアレンジしたようだが、 いつしか自分もこの場に漂う心地良い雰囲気に包まれてうっとりとした表情を浮かべ、自分たちが向かうべき道、 向かいたい方向について熱く語っていた。
ここで囲炉裏を囲んだみんなの思いが、目の前の炭火の暖かさがじんわりと浸透してくるように、心にじんわりとしみこんできた。
2008/12/05 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 11.人, 12.グッズ、ギア | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
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"RIDE"というオートバイの雑誌がある。オートバイやクルマといえば、新車インプレッション・紹介が華と相場は決まっているが、 RIDEは漫画家の東元昌平氏を主筆にして、 今40代以上の往年の走り屋たちが懐かしがる70年代後半から80年代のバイクシーンを蘇らせて好評を呼んでいる。
オートバイという乗り物がまだファッション化する以前、それはワイルドでアウトローで、「男の文化」の象徴だった。
自分の中に燃えたぎるパッションをどう昇華していいかわからず、 自分の命をかけた瀬戸際のスピードやスリルの中にカタルシスを求めた……あの懐かしい時代。
小賢しい理屈や中身のない子供だましのシステムを"IT"とほざいて、男がどんどん去勢されて空洞化していく社会の中で、 あの手応えのあった時代を懐かしむ魂はまだまだ死んでいなかったのだろう。
そんな魂たちに火をつけたのが、編集長の鈴村典久だ。
彼とは、別な雑誌の取材で、ぼくがライターとして彼が編集兼カメラマンとして、あちこち駆け巡った。そして、 取材の晩はいつも夜更けまで飲んで、なよなよした風潮に迎合する浅はかなメディアではなく、「骨」 のあるメディアを立ち上げたいと語り合った。
鈴村は、それを見事に形にした。
ぼくはだいぶ出遅れてしまったが、今、ようやく自分が形にすべきものが見え、それに向かって動き始めた……そのことには、 これから追々触れていこうと思っている。
先日、久しぶりに鈴村と会って酒を飲んだ。
「とびきり旨いコーヒーを分けてくれる店知らないかな?」
ぼくが具体的に動き始めたプロジェクトの中に、コーヒーにまつわることがあって、ふと彼に聞いてみた。
「あぁ、それなら、ぼくの高校時代の友人が喫茶店をやっていて、美味しいコーヒー淹れてますよ。焙煎した豆を送ってもくれますから、 届けさせましょうか」
「だけど、おまえ名古屋出身だよね。ということは名古屋の喫茶店?」
「そう、名古屋だけど、彼は純粋にコーヒーで勝負していて、名物の『おまけセット』みたいなのはやってないんですよ。とにかく、 一度飲んでみてください」
といった展開になった。
その鈴村が手配してくれたコーヒーが届いた。
さっそく朝一番に、「マドブレンド」を挽いて淹れてみた。
ほどよい苦みと酸味が最初に感じられ、すぐにそれが引いて、今度は仄かな甘みが立ち上がってくる。そして、飲み込んだ後には、 また仄かで心地良い苦みが刷毛で掃いたように余韻を残す……『あぁ、丁寧に豆を選んで焙煎しているなぁ』と、思わず溜息が出る。
ぼくはどちらかというとブレンドよりも個性のはっきりした単品のほうが好きなのだが、 まるで虹を味わっているような調和しながらも個性が出しゃばらずに沸き立ってくるこのブレンドはたちまち好きになった。
このブレンドから、マスターの人柄が浮かび上がってくるようだった。
2008/12/01 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 12.グッズ、ギア | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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思えば、ちょうど1年前、自分でもツリーイングの体験会を開いたり、 ツリーイングとスノーシューなどのアクティビティを組み合わせたツアーを開催したいと思い、ツリークライマーの講座を受けた。
ツリーイングにはDRT(ダブル・ロープ・テクニック)とSRT(シングル・ロープ・テクニック)の二種類があって、 DRTが基本テクニックでレクリエーションとしてのツリーイングならDRTでカバーできる。
去年の10月に赤城で行われたDRT講座を受講して、 晴れて自分で登れるツリークライマーになった。その後、より実践的なSRT、インストラクター講座などを受講して、 その後はイベントサポートなどで経験を積んできたわけだが、今回は、DRT講座をサポートするほうに回った。
先週から今週月曜にかけての三連休は、那須でストローベイルハウスのワークショップに参加して散々大工仕事や左官仕事で体力使っていたので、 少々体力低下気味だったが、すっかり雪景色となった北アルプスを拝み、清々しい空気に元気をもらって、 ぼく自身もDRT講座の運営を楽しむことができた。
普段、 木に登った経験などない子供たち(大人もほとんどは経験がないが)が体験会で空中からの景色に感動して目を輝かせている姿を間近で見るのも楽しいけれど、 自分から技術を身につけて自由に木に登りたいという意識で参加する(一年前の自分もそうだった)人たちは、 二日間のり間に技術をしっかりと身につけようと、みんな真剣で、 こちらも神経を集中して人と木に向かい合う充実した時間を過ごすことができる。
今回は、懇意にしていただいているペンションミーティアを会場にして、 ペンションの周囲の林で実技を行い、食堂で座学を行うといった構成となった。
参加者はミーティアのオーナー福島さんとペンションを切り盛りしている息子の悠一さん、ミーティアの近くにあるペンション春告げ鳥のオーナー泉原さん、 地元白馬でアウトドアガイドを務める福原さんの4人。4人とも登山もスキーもベテランのアウトドアズマンなので、 ロープワークはたちどころに覚え、リスク意識もはじめから身についているので、実技はとてもスムーズに進んだ。
だけど、ぼくもそうだし、そもそもぼくにツリーイングを紹介してくれたチーフインストラクターの梅木さんもそうだが、 アウトドアプロパーな人間が、ロープを使って木に登ることで、 それまで経験したアウトドアアクティビティのどれとも違う(クライミング系のアクティビティのどれとも)新鮮な体験に虜になってしまったわけだが、 今回参加してくれた4人も、普段見慣れた風景が自分の体を10mかそこら持ち上げることでまったく違って見えることに感激して、 たちまち虜になってしまった。
普段首都圏で動いている梅木さんやぼくからしてみると、自分のペンションの敷地に手頃な木がたくさんあって、ちょっと足を伸ばせば、 自分たちのコミュニティで管理している土地の巨木に登れる環境も持つ彼らは羨ましいかぎり。
元々、ぼくは来春には白馬に移住するつもりでいるのだけれど、あらためてこの自然豊かな土地の魅力を再認識して、 早く移り住みたくなってきた。
**DRTでは、 ロッククライミングなどても使う基本的なロープワーク4種とDRT独特の"ブレイクスヒッチ"と呼ばれるノットを使う。 アウトドア経験豊富な4人はブレイクスヒッチを覚えるだけなので、 あっというまに基本セッティングは完了**
**すぐにクライミング開始。ロープダウンもセルフビレイでスルスルとこなす**
**複数のロープを使って空中で横移動するティンバーテクニックも試す**
丸々二日間、密度の濃い二日間が終了。
福島さんと泉原さんは、経営するペンション主催のアクティビティとしてツリーイングをメニューに加えることに決定し、 悠一さんはアクティビティもさることながら、広大な敷地を持つミーティア(ペンション本体に、貸別荘、別棟の山荘、 コンドミニアムなどがある)にたくさんある木の剪定や、これから多々必要となる屋根の雪下ろしに、ツリーイングを応用しようと意欲を燃やす。
福原さんは、ツリーイングイベントのガイドとして、いずれぼくも一緒に活動する予定だ。
尚、これから、ペンションミーティアの恵まれた環境を生かして、 一泊二日で習得できるDRT講座やツリーイングとスノーシューを組み合わせたツアーなどを実施する予定だ。問い合わせは、[email protected]まで、お気軽にどうぞ。
■関連エントリー■
・ツリーイング
・ツリーイング体験会
・ツリーイング講習会1
・ツリーイング講習会2
・ツリーイング講習会SRT編1
・ツリーイング講習会SRT編2
・ツリーイングインストラクター講習1
・ツリーイングインストラクター講習2
・スノーシューイング& ツリーイング その1
・スノーシューイング& ツリーイング その2
・スノーシューイング& ツリーイング その3
・スノーシューイング& ツリーイング その4
・ツリーイング体験会サポート
・木の上で感じる「風の波」
・浅間山の麓でツリーイング
★OBTツリーイングプログラムがスタートしました★
体験会 、ワークショップ、資格認定講習、各種研修など対応いたします。
http://obtweb.typepad.jp/obt/2010/02/obt_treeing.html
2008/11/28 カテゴリー: 01.アウトドアライフ, 02.ライフスタイル, 06.ツーリズム | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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先日の三連休は、那須で開催されたストローベイルハウスワークショップに参加してきた。ストローベイルとは、 稲や麦の藁を圧縮して方形に束ねたブロックで、これに泥や漆喰を塗って固めて壁材として使うのがストローベイルハウス。
以前、府中にあったスローカフェで、漆喰塗りの壁やベンチがあたたかくて柔らかい質感で心地よく、 どうやって作ったのかを調べていたら、これがストローベイルであることを知り、一度、実体験してみたいと思っていた。
那須では内装の仕切り壁やベンチを作るのではなく、壁材として用いて建て坪で5坪あまりの小屋を造った。
フワフワのストローベイルが、独特の工夫でしっかりとした壁になるのは、その構造を知らないと不思議だが、自分たちで、 組み上げていくと、とても合理的で簡単なのがよくわかった。
スタンダードと思っている(あるいは思いこまされている)こと以外に、多種多様なオルタナティヴがあるのは、 言って見れば世の常のようなものだが、「家造り」 となると素人が生半可で作れるものではないという巨大な先入観が目の前に立ちはだかっていて、想像すらしないし、 セルフビルドを調べてみようとすらしないことがほとんどだろう。
でも、こうして、15人あまりの人数で、1日半で曲がりなりにも「家」の体裁が整ってしまい、各所に遊び心も盛り込んで、 個性が生きる空間が出来上がってしまうのだから、まさに、目から鱗といった体験だった。
これまでの社会システムや経済システムで「スタンダード」とされてきた資本主義の枠組みが崩れてきた今となっては、 「オルタナティヴ」として枠外に追いやられていたもののほうが、価値を持ってくるだろうし、そうして選択肢が増えていくことで、 人の生活や社会システムも多様なものになっていくだろう。
個人的には、いつも柔軟にオルタナティヴを梯子したりシフトしたりしながら、総体として自らの「個性」 となっていくような形でありたいと思う。
2008/11/24 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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先週、六本木のアーテリジェントスクールで、縄文文化研究の小林達雄氏の講演を聴いた。
冒頭、このスクールの主催者が、レヴィ・ストロースが、「縄文土器は5000年前に現れたアールヌーヴォー」 と評価していると紹介した。岡本太郎が、「芸術は爆発だ!!」と唱えたのは、縄文土器の斬新な意匠に感激したからというのは有名な話だが、 レヴィ・ストロースも縄文文化を高く評価していることは知らなかった。
環境破壊や食糧危機に悩む現代にとって、自然と調和を保ち、共生していた縄文は、 人類が生き延びるための一つの指針になるのではないかと期待されている。
採集・狩猟と若干の栽培農業を行っていたとされる縄文文化は、世界史的に見ると『遅れた文明』とみなされるが、じつは精神性の点で、 他のいかなる文明よりも進んでいたのではないかと、小林氏は言う。
1.5万年前、ちょうど氷河期の終盤に、縄文文明は日本列島という『世界の辺境』ともいえる場所で花開いた。辺境とはいいながら、 世界に先駆けて弓矢を使用し、犬を飼い、そして土器を発明した。単に粘土を固めただけではなく、 火を使って焼成するということはまぎれもなく「化学」の誕生も意味した。 さらに、縄文人たちは定住化し、都市計画のもとに、 合理的なムラを築いた。
それに遅れること5000年後、西アジアで新石器革命が起こり、農耕がはじまる。これによって集住化が進み、経済社会が生まれ、 貧富の差が生まれる。そして、自然は共生するものではなく、収奪と改変の対象となっていく。
西アジアに起こった本格的な農耕が東に波及してきても、縄文社会は紀元前1000年くらいまで、以前と変わらない採集・ 狩猟主体の生活を営んでいた。
それは縄文人たちに農耕を営む技術力や知識がなかったからではなく、彼からが農耕生活ではなく採集・ 狩猟生活を自分たちの意志で選んだからだという。後の弥生時代と比べても、それを凌駕する巨大集落を築き、 外洋へも漕ぎ出せる船を縄文人たちは持っていたが、あえて、外来の文化である農耕は選択しなかった。
それは、縄文人たちの文化・文明が、農耕文明のようにモノに価値を置くのではなく、精神性に価値を置いていたからだという。
縄文文化の特徴である火炎土器は、実用性よりもデザイン性が重視された。また、 大湯のストーンサークルに代表されるような大規模環状列石や三内丸山に見られる巨木のランドマークや大規模な祭祀広場……それらは、 縄文人たちが豊穣な世界観、イメージを持っていたを表している。
縄文文化では、数百種の植物を分類していたと考えられるという。それは、縄文文化を今に残しているアイヌ文化から類推されるもので、 ぼくも以前『チキサニ』という小説で書いたが、アイヌが狩猟のさいに矢毒として用いるトリカブトは、 今の分類学では単にトリカブト一種類だが、アイヌはそれを何種類もに細分していた。
多様な自然と向き合うことで、自然に対する畏怖の感覚が生まれ、社会も多様で柔軟性があった。ところが、農耕民の社会は、 植物を有用なものだけ篩い分け、集約的に栽培した。農耕社会では、自分たちにとって有用なものだけが価値あるもので、 他のものには価値が見いだされない。自然は、畏怖するものではなく、征服される対象となっていく。
「縄文は、弥生に征服されたのでしょうか?」
最後の質疑応答で、女性が質問した。
「征服というよりも、混血していって、縄文の血が薄くなっていったというのが真実だと思います」
と、小林氏は答えた。
大陸から朝鮮半島を経由してやってきた弥生人たちは、日本列島土着の縄文人たちよりも背が高く、カッコ良かった。そのため、 縄文の女性たちは、この外来のカッコいい弥生人たちのほうに魅かれ、急速に混血が進んでいったのだろう、と。
2008/11/05 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 11.人 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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月に一度の検診を終え、都心のライブラリーで少し仕事をして、ローカル線に40分揺られて降りた駅から自宅への道すがら、 東の空を見ると、大きな満月が昇ってきた。
その月は、真っ赤で、周りの建物と比べてもかなり大きなものだったのだが、自宅に戻り、シャワーを浴びて、 一眼レフに望遠レンズをつけて表に出てみると、普通の満月になっていた。
上り始めたばかりの月は、地球大気の層が厚く、赤く見え、地平線付近には大きさを比較する対象物があるので大きく見えるといった 「理屈」はわかっていても、あの紅い月には、何か「意思」を感じさせる不気味さがある。
子ども頃は、「日が暮れるまで遊んでいると神隠しに攫われるよ」と祖母に脅されて、それがもの凄く怖いのだけれど、 遊びの誘惑に勝てず、ついつい日が暮れるまで近所の友達たちと里から離れた山で遊び、気がつくと、あの大きく紅い月が出ていて、 遮二無二あぜ道を走って、追ってくる月から逃れて、家に帰ろうと、走ったものだった。
高く上った満月を愛でながら、ああいう子供時代があったからこそ、自然に対する畏れが、自然に身についたのだろうなと、 しみじみ思った。
2008/10/15 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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最近、おとなしくデスクワークする時間が多くなって、気分転換も兼ねて、コーヒーの自家焙煎を復活した。
この夏は、久しぶりに能登を巡り、半島の突端にある二三味珈琲で、芳しい焙煎の香りを嗅いだが、そんな時を懐かしみながら、 焙煎機の中で爆ぜていた豆の音を思い出しつつ、タイミングをはかりながら焙煎網を振る。
初めは炎に豆を近づけ、パチンパチンとポップコーンのように最初の爆ぜがおこって豆が開く。半ば爆ぜたら、少し火から離して、 今度はチリチリと焼きに入る。
この焼き加減が微妙で、豆から立つ音と、煙の上がり方、そして香りで判断しながら、好みのローストに仕上げていく。
今日焙煎した豆は、ペルー産のオーガニック栽培のもので、天日でじっくり乾燥されている。大粒のきれいな豆が揃っていて、 なかなかに筋がよろしい。ミディアムを狙い、頃合いを見計らって火を止め、急いで団扇で荒熱を飛ばしてやると、 均質な焙煎に仕上がった豆たちが現れた。
ふと、「育ちのいい生徒たちが集まったクラスを指導する教師は、こんな気分なんだろうな」と思った。
サイフォン用に、少し細かく挽いて、淹れると、水分が抜けた豆は何倍にも膨らんで、芳醇な香りを立てはじめる。 香りもスッと凛々しく、味わいも素直で筋が通っている。いかにも優等生で、清清しく、飲んだ後の切れ味も最高だった。
……だけど、次は、思い切り癖のある、したたかな豆と格闘して、そいつをねじ伏せて味わってやりたくなった。
2008/10/14 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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昼間、暑かったせいか、夕方になって急にビシソワースが飲みたくなった。
そこでスーパーへ走り、メイクイーンを買ってきた。しかし、どういう由来で、このジャガイモは「メイクイーン」 と名づけられたのだろう?
ヨーロッパが温かい季節へ移行する区切りの日がメイデイだが、メイクイーンは、この日の主役として、冬と夏に綱引きされる。そして、 この綱引きを夏を象徴するメイキングが制し、二人が結ばれる。この儀式によって、晴れて温かな季節に移行していく。
いわば実りの季節を左右するのがメイクイーンというわけで、そんなことから考えてみると、 このジャガイモがヨーロッパの実りのシンボルということなのだろうか?
メイデイには、「世界樹」のメタファともいえるメイポールを広場に立て、それに結びつけた紐を持って、 老若男女が春の訪れを祝って踊る。日本でいえば、春分に当たるだろうか。
秋分を過ぎて、これから日が短くなり、「夜の季節」へと向かっていく中で、ふと、春に思いが飛んだ一日だった。
2008/10/09 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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先日の「東京シティライド」 で 立ち寄った佃島の箸屋さんで、みつけた箸袋。
以前、雑誌の付録についていた箸袋と箸のセットを使っていたのだけれど、どうも、今ひとつ貧弱で気に入らなかった。
これは、風神雷神図をモチーフにしたもので、一目で気に入った。
今後は、こいつに、東北の居酒屋でもらったネマガリ竹の箸を入れて、持ち歩くことにしよう。
2008/09/30 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
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先日、映画を観た"into the Wild"の原作『荒野へ』(ジョン・クラカワー著 集英社文庫)を読んでいる。
美しくて、悲しい映像の記憶を呼び覚まされながら、映画では伝えきれなかった細部の物語に、引き込まれている。
23歳の主人公クリスと出会った80歳のロンは、映画では出会いと別れの場面しか登場していないが、後にクリスから 「この世は驚きに満ちています……外へ出て、自然の造形と接し、人と出会わなくてはいけません」と手紙を受け取り、 その孫のような青年のアドバイスを真剣に受け取って、自らも荒野の住人となる。
かつて、クリスが寝起きしていた砂漠の片隅に小さなサイトを築き、そこで再会を約束したクリスを待ち続ける。
クリスとの交流の中で、ロンはクリスが家族との軋轢を抱えていることに気づいて、「いつか、許せる時が来る。そしたら、 神の祝福がもらえるよ。光が見えるんだ」と若者を励ます。
クリスが荒野に散ったと知ったとき、ロンは信仰を捨てる。
『私は祈ったんだ。アレックスの肩にかけた指を話さないでください、と神に願いごとをしたわけさ。あれはとくべつな若者だって、 神に言ったんだよ。だけど、神はアレックスを死なせてしまった。それで、なにが起こったか、私は12月26日に知り、神を捨てた……』
映画では、クリス(アレックスと名乗っていた)が亡くなる瞬間、雲間から光が射し込み、それが彼の顔を浮かび上がらせる。それまで、 苦悶していた彼の表情は、うっすらと笑みを浮かべる。
荒野へ向かった若者は、結局、自分の内側へその深奥へと旅を続けていたのだろう。そして、彼と関わった全ての人たちもまた、 彼の影響で、自分の深奥へと向かっていくことになったのだろう。
ぼくは、10代の終わり頃から、一人旅とソロの山行を始めた。
それまで、日記などまともにつけたことはなかったのだが、小さなフィールドノートを用意して、 そこに自分の気持ちを書き付けるようになった。若い頃のその日記は、今でも宝物としてとってある。
クリスが、野宿の夜に、左手に不器用な持ち方でペンを握って、アルファベットの大文字で、その時々の思いを綴っていく姿は、 そのまま、自分の若い頃のテントの中での姿だった。
彼が長じて、今のぼくくらいの歳になっていたら、いったいどんな生活を送っていただろう。
どんなに辛いことがあっても、今、ぼくは「生」を与えられている。それを感謝して、ただ流されていくのではなく、時々、into the Insideの旅へ戻らなければいけないのだと思う。
2008/09/18 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 07.本 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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レイトショーで『into the Wild』を観る。
ウィルダネス(荒野)に憧れ、文明社会に背を向けて、コロラド川を下り、砂漠で暮らし、そしてアラスカへ……。
ぼくがライフスタイルのモデルにしたいと昔から思っているコリン・フレッチャーは、ウィルダネスへの憧憬を持ち、 そこに単身踏み込んでいくけれど、都会や文明生活を否定するわけではない。
また、ウィルダネスの湖畔での孤高の暮らしを実践し、それを『ウォールデン』に著わしたソローも、 ウォールデン湖畔の暮らしを数年続けたにすぎない。
into the Wildの主人公クリス・マッカンドレスは、恵まれた家庭環境に育ち(といっても、それは表面的なことに過ぎず、 彼が荒野へ向かう動機の大きな部分を家庭環境が占めていたことが徐々にわかってくるのだが)、大学を優秀な成績で卒業しながら、 名前も含めて、それまでの自分の人生に付随していた全てを捨てて、放浪を始める。
この世は全て偽善に満ちている……そんな青臭い認識は、どんな青年でも持つ。でも、徐々に世間との折り合いをつけて落ち着いていく。 彼の場合は、そんな想いが激しすぎ、ひたすら孤独へ、自然へと向かわせていく。
だが、人間社会を嫌悪して、それまでの自分を捨てた彼は、放浪のうちに様々な人との出会いを通して、 人はそれぞれ苦悩を抱えているが健気に生きていることを知る。そして、いつしか、青臭い青年だった彼は、 人に生きる勇気を与えられる人間に成長している。
アラスカという「正真正銘の大自然」は、彼が再び人間社会に戻ってくるための、大きなターニングポイントになるはずだった……。
これは、実話を元にした話だ。
ついに、体は帰ってこれなかったクリスだが、彼は、自分の死期を悟って、出会った全ての人に対する感謝の言葉を記し、最後に、 自分の本来の名前を記す。彼の魂は、しっかりと彼を好きだった人たちの元に帰ってきたのだろう。
純真無垢な魂が損なわれてしまう切なさ、運命の残酷さ、自然の前での人間の無力……だけど、人間は本来素晴らしい、 生きるということは輝いていることだと思わせてくれる。
2008/09/16 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 07.本 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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週の初め、お盆前に伸び放題の庭木の手入れをするというので、茨城の実家へ。
東京の自分自身が陽炎になってしまうのではないかという暑さに比べると、5℃も低いこちらは、まさに別天地だ。 遮るものの何もないだだっ広い平野なので、日差しは灼熱だが、木陰に非難すれば、爽やかな風が火照った体を冷やしてくれる。
鹿島灘がほど近いここは、沖を流れる親潮のおかげで、その上を渡る海風が、陸を冷やしてくれる。 それで周囲に比べても格別に過ごしやすい。それに、海風と陸風が交互に吹いてくれるおかげで、風が止まるということがなく、 夜も東京のように風が止まってのたうち回るような寝苦しさということがない。
そんな涼しい環境にありながら、久しぶりに庭仕事などすると、大汗をかいて、たちまちバテてしまう。 もう70歳を越える庭師のおじいさんが、まったく汗をかかずに、午前中から夕方まで、食事休みだけで淡々と仕事を進めているのに、 まったく恥ずかしくなってしまう。
剪定された枝を集め、ノコギリや剪定ハサミで細かくして、後で可燃ゴミの袋に入れやすくする。とりあえずは、 この木くずを家の裏のスペースに山積みにして、そこで乾燥させる。昔は剪定クズなどはそのまま燃やしてしまえば良かったのだが、 今は無闇に煙りを上げると、周囲の家の迷惑となってしまう。
田舎とはいっても、だんだん都会的な価値観に支配されて住みにくくなってきた。
そういえば、昔はどの家も井戸水を生活用水にしていたのだが、上水道が整備され、 井戸の水は飲用しないようにと役所からお達しが出ている。ウチでも、普段は上水道を使っているのだが、 昔の井戸の水を汲み上げられる蛇口が一つだけ残してあって、今頃の季節は、生ぬるい上水道などより、 キンッと冷えた井戸水のほうを使いたくなってしまう。
でも、水質を検査してみると、昔はほとんどいなかった大腸菌が検出されたり、残留農薬が浸潤したのか、 微量の有害物質が検出されたりして、安全とはいえないので、直接飲むことは残念ながら控えている。
さて、あらかた庭の片付けも終わって、繁った枝をそのまま残されたサルスベリの木陰で休んでいると、傍らの岩に、 木くずがついているのが目についた。
これも裏の木くずの山に持って行こうと近づくと、なんとも質素にまとまった蓑虫だった。
材料はいくらでもあるから、もっと豪華に蓑を作ればいいのに、などと思いつつ、でも人に見せびらかすわけでもなく、 大きさがステイタスになるわけでもなく、まさに身の丈に合ったサイズと形でいいんだなと、こいつを見ているうちに、 なんだかほのぼのとした気分になることができた。
2008/08/13 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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もうだいぶ昔、浴衣を仕立てたような記憶があるのだが、思い出せない。たしか、一度、 袖を通して田舎の花火を見物に出掛けたような気がするのだが……。
浴衣を仕立てた名残りの下駄は、学生時代、夏に都心へ通学するのに突っかけて歩いていた。しかし、本体のほうは、 はっきりと着た記憶がなかった。
先日、新しいプロジェクトのミーティングが引けた後、メンバーで飲みに行って、和装の話になった。メンバーの一人、 建築家のN氏が若い頃から和装が好きで、年に幾度か和服で集まる会を開いているという。
「夏は、浴衣が涼しくていいんですよ。気分も変わるしね……」
なんて話があって数日後、思い立って、浴衣を見に行った。
これから仕立てては夏が終わってしまうので、店の女将さんに見立ててもらって、吊るしを買い、そのまま店のある小江戸の街を歩いた。
猛暑日を記録した炎天も、ゆったりと風が通る浴衣は、たしかに洋服よりも爽やかで気持ちがいい。昔、下駄を愛用しはじめたときは、 鼻緒の擦れに慣れるまでしばらく時間がかかったが、今の下駄は鼻緒も柔らかく、裏にはラバーが貼ってあって、痛みも疲れもずっと少ない…… カランコロンと下駄を鳴らして歩くあの風情も捨てがたいのだが。
2008/08/02 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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2050年までに、西ヨーロッパと北アフリカ全域をSustainable enegy gridで結ぶという壮大な計画"Super Grid"という計画がある。
Hydro=温水、Geothermal=地熱、Concentrating Solar Power=太陽熱、 Photovoltaic power=太陽光、Wind=風力、Biomassといった、それぞれの地域の特性に応じた発電設備を設けて、 それをSuper Gridと呼ばれる送電網で結ぶという計画だ。
一見すると、いかにも環境問題に関心の高いヨーロッパらしい、『サステイナブル』な構想のように思えるのだが……。 個々の土地に固有のサステイナブルなエネルギーを利用するというのは、理にかなっているが、それを『壮大な』送電網で結ぶという点が、 どうにも引っかかる。
例えば、アフリカのサハラ砂漠で太陽熱を使って発電して、それを減衰の少ない高電圧直流送電線で運ぶとしているが、 減衰が少ないといっても、電線で長距離を運べば、ロスしてしまうことに変わりがない。
そして、何より、2050年までに毎年最大10億ユーロの費用を掛けるというけれど、その費用というのは、施設や送電設備の製造、 設置コストがほとんどを占めることになるだろう。
「誰のためのプロジェクト」なのかといえば、それは、結局、ヨーロッパのゼネコンやエネルギー産業のためのということになるだろう。
個々の土地独自のサステイナブルなエネルギーを使うなら、その土地で使えばいい。今まで、 ヨーロッパはアフリカからさんざん搾取し続けてきて、しまいにはサハラに降り注ぐ太陽光までも奪い取ろうというのだから、呆れた話だ。
サハラで発電するなら、それを砂漠の緑化や周辺のアフリカ諸国にまわすのが先決だろう。
いかにも「環境コンシャス」という時代の要請に応えるかのように見せながら、じつは「巨大産業」を起して、 じつは環境負荷を掛けている張本人である企業や集団を潤わせることにしかならないのではないか?
このニュースを読んで、ふと、広瀬隆氏が唱えていた「東京に原発を」というフレーズを思い起こした。
そろそろ、みんなが目を開いて、大きな偽善に騙されないようにしなければならないだろう。
2008/07/27 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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昨日は、夕方凄まじい雷雨となった。
それが通り過ぎてからすっかり涼しくなり、今日も昼間は焼けるような暑さだったが、日が沈むと涼しい風が吹いてきて、 虫の声も涼しげなものに変わった。
今週は『大暑』で、一年のうちでもっとも暑い時期とされる。 この暑さの峠を乗り越えるために土用の丑の日はウナギを食べて精をつけるとされる。
ウナギは食べなかったが、なんとか、この暑さのピークを乗り越えたという実感が、涼しい気分にさせてくれる。
もうだいぶ帰っていないが、実家の庭にある百日紅が、ちょうど桃色の花を満開にしている頃だろう。
いつだったか、茂りすぎて軒に掛かった百日紅の枝を払っているうちに、 調子にのってすっかり幹だけの坊主にしてしまったことがあった。すっきりと見通しが良くなったのはいいが、 ちょうどいいサンシェードになっていた百日紅の緑がなくなり、リビングは真夏の太陽の直射を受けて、地獄のような暑さになってしまった。
生まれ育った実家は(今の実家は元の実家の近くに30年近く前に立て替えたもの)、ぶどう棚があり、庭には柿の木や桃の木があり、 さらに父が丹精込めて育てていた植木の鉢が何千もあって、夏には、青々とした葉が庭中を覆った。
それに井戸から直接ポンプアップした冷たい水を夕方に打ち水すると、ほんとにひんやりとして気持ちが良かった。
当時は今のように物騒な世の中ではなかったから、雨戸を開け放ち、蚊帳を吊って、夜風を浴びながら熟睡した。
そして、朝日に起こされる爽やかな目覚めが待っていた。
夕方の打ち水は、子供のぼくの役目で、当時はそれが面倒で仕方なかったが、今では、 あののんびりとした時間がたまらなく愛しく思える。
2008/07/26 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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先日、互いに浪人の身になって、近況などを語り合ったK氏のblogを読んでいたら「神が現れた……」という、 ちょっと心配なタイトルのエントリーが目についた。
そのエントリー自体は、具体的なことは何も書かれておらず、後日、どういうことか説明されていたのだが、それは、 知り合いの会社経営者に会って話をするうちに、パワーストーンの店を紹介されて、そこに足を運んだという話だった。 その店には専属の占い師がいて、 まず占い師の鑑定を受ける。K氏の過去から現状、どうすれば未来が拓けるのかといったことを話され、 それに合ったパワーストーンを選んでブレスレットをアレンジしてもらったということだった。 その占い師のK氏に対する見立てがことごとく合っていて、それで感激して、先のエントリーのタイトルとなったというわけだ。
じつは、ぼくも去年のシルクロードの旅以来、ブレスレットをするようになった。
元来、装身具嫌いで、ネックレスもブレスレットも指輪も、今まで身につけたことはなかったのだが、 なぜかこのウルムチの骨董品店で見つけた天珠のブレスレットは気に入って、常に身につけるようになった。
べつにゲンを担いでいるわけでもないのだが、なんとなく、これを身につけていることで落ち着くのだ。
K氏は長く経営者として、自分で立ち上げた会社を育ててきた。彼にパワーストーンの店を紹介したのも会社経営者だ。 ぼくは会社を経営しているわけでもないが、フリーランサーとして自分の道は自分で切り開いていかなければならないということでは、 同じような立場にあると思う(自分が抱える社員に対する責任を負わないだけ、ぼくのほうが気楽ではあるが)。
言われたことをこなすだけなら心は安楽だ。それが辛いことでも、愚痴や不満を吐き出して、上司や部下のせいにしていればいい。だが、 自分で道を拓いていかなければならない立場では、ときに、不安に押しつぶされそうになり、それでも愚痴や不満を言っても始まらないし、 それをぶつける相手もいない。人間だから、そうそう意志を強く持ち続けて、たくましく不安をはね飛ばし続けることも難しい。そんなとき、 超常的なものに心が傾くのは、仕方ないことだろう。
若いときに出身地で起業し、今は会社を大きくしてがんばる友人がいる。彼は、 経営者である自分と社員との意識の違いをblogに書いていた。与えられた仕事をただこなすだけでなく、会社が持つミッションを自覚し、 積極的にコミットしていく……今、社会が激動期にあって、それに合わせて会社も個人もどんどん変化していかなければならないときに、 誰かの指図を待っていたり、責任逃れをして自分の世界に籠もっていては、社会の変化から置いて行かれてしまう。
彼には、今度スタートするプロジェクトで必要な人材を捜すのに力を貸してもらった。目が回るほど多忙な中、 自社の利益にならないことをレスポンス良く真剣に取り組んでくれた。相談相手のニーズを正確に汲み取って、的確にレスポンスしてくれる。 そんなことからも、彼が優秀な経営者であることはよくわかる。こうした経験をすると、プロジェクトをなんとか軌道に乗せて、 彼とコラボレーションできるようになるために頑張ろうと意欲が湧いてくる。
人材紹介ということでは、かつてSEGAで一緒に仕事をした友人にもとても的確なアドバイスをもらった。彼はまだSEGAにいて、 今はプロデューサーだが、やはり「経営感覚」を持った人間の一人だ。
やはり、心落ち着けて、いい仕事をしていくためにいちばん大切なのは、信頼できる人間関係をおいて他にない。
オリジナルのパワーストーンを身につけはじめたK氏にしても、そうした心の平安に繋がるアドバイスをくれたのは、やはり「人」 なのだから。
2008/07/15 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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このところ、毎日のように通り抜ける近所の公園は、ときどき、ツリーイングイベントの会場にもなる馴染みの場所。
これまで、冬枯れの時期のイベントに参加して、 葉が茂ったら障害物が多くてロープセッティングもしにくいだろうななどと思っていたが、木立の下に立って見上げると、 効率よく太陽の光を受けるために、下の方の枝にはあまり葉はついてなくて、最上部が茂っているだけ。下草も広葉樹の林のせいかあまりなくて、 これなら冬枯れの頃とあまり変わらずツリーイングが楽しめそうだ。
アスファルト舗装の住宅街では、輻射熱でのぼせてしまいそうなのだが、この林に入るととたんに空気がひんやりして、 生き返った気分になる。
このところは、夜も寝苦しいので、ツリーモックがヘネシーハンモックでも吊って、この林で安眠しようかなどと目論んでいる(笑)。
アパートの庭に、何か野菜でも植えてみようかとホームセンターを覗いてみると、ほおずきと朝顔の鉢が並んでいた。売り物なのに、 葉っぱがけっこう食い荒らされていて、元気にはい回る青虫もほったらかしなのが、なんだかほほえましかった。
子供の頃は、ラジオ体操の会場になっている野原に朝顔もほおずきも自生していて、よく、ほおずきの実の中を取りだして、 鳴らして遊んだものだった。
2008/07/14 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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洞爺湖サミットの主要議題が環境問題ということもあってか、メディアは何でもかんでも「エコ、エコ!!」。 ほんとにエコのことを考えているのなら、大勢のスタッフを繰り出して、大量のエネルギーを使って取材なんかせずに、 ミニマムな代表取材団を派遣して、公式発表だけ伝えればいいだろう。
そもそも、これだけネットが発達しているのだから、わざわざサミットのための器を作って、厳戒態勢敷いて、 お金とエネルギーを大量消費しなくても、バーチャルな場をホスト国の日本が用意して、 各国代表のアバターでも使ってオープンな会議をすればいいのではないか?
バブルの時には、湯水のごとく金を使うことを「美徳」として、お祭りに仕立て、つい最近はホリエモン式の錬金術をはやし立て、 その同じ「口」が、「地球のためにエコを!!」と唱えているのだから、まったく呆れてしまう。
地球は、たぶん害虫にしかすぎない人間なんかに自分のことを考えて欲しいなんて思っていないだろう。 バカな人間が文明崩壊で死滅した後、10万年くらいかけて何もかも浄化して、「人間以外」 の生き物が暮らしやすい地球に再生しているに違いない。
ぼくは、基本的にエコロジカルなライフスタイルは悪くないと思っているし、自分でも、心地よく実践していきたいと思っている。
でも、それを「正しいこと」として、人に押しつけたりはしたくない。
今回のG8では、2050年までに50%のCO2削減を共通目標にしようとして、それを中国やインドにも押しつけようとしている。 それに対して、これらの新興諸国は先進国は今までさんざんCO2を吐き出しておきながら、 自分たちの都合を押しつけるばかりだと反論している。
新興諸国が公害を出さないようにしなければ地球環境は悪化していってしまうのはわかるけれど、 それを一方的な押しつけで枠にはめようというのは、おかしな話だ。そもそも、我々、先進国の人間が、 新興諸国の生産力に頼ってモノを大量に作り、それを消費するからこそ新興諸国の公害が引き起こされているのだから、 そうした新興諸国に依存する部分を少なくしていけばいい。
怪しげな中国食品に頼らず、それを日本産と偽装する怪しげな企業の加工食品にも手を出さず、 なるべく素性のはっきりした食品を口に入れ、お仕着せのレジャーで時間とお金を使う前に、もっと身近な自然に目を向けて、 自然と親しむことの楽しさを再確認したらどうだろう。
この頃、近場の移動は自転車を使うが、それはことさらエコを意識しているわけではなくて、 この春から引っ越してきたところが周囲に緑がたくさんあって気持ちが良く、道を選べばクルマの通りも少なくて、 安心してサイクリングできるようになったからだ。
そもそも、自分の身体を動かして、思い切り爽やかな空気を吸って、汗を流す事が好きで、今までの都会生活では、 それが満足いくだけできなくてストレスが溜まっていた。それが、少しだけ自然に近づいたことで、生活の中で気持ち良さが増えた。
エコロジカルなライフスタイルというのは、ぼくにとって「地球環境を守る」なんて大それたためなのではなく、単に「気持ち良さ」 の追求だ。エコというよりエゴライフ。ぼくは純粋に地球のためを思って地球環境のために尽くそうなんて思っていない。
ただ、ありのままの自然が好きで、その自然に浸って暮らしたいだけだ。そのために地球が住みやすい環境であって欲しい。そして、 そのためにできることはしていこうと思うだけだ。
2008/07/08 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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以前、とある時計メーカーの日本代理店へ取材に行った際、 広告担当の女性がHanhartのけっこうゴツイ腕時計をしているのが目についた。
どうして、その時計をしているのか聞いてみると、「手巻きの時計が好きなんですよ。毎朝、7時のニュースで時刻を合わせて、 一日分のゼンマイを巻きあげて、仕事に出掛けるんですけど、そんな些細な儀式が、一日の始まりって感じで、気が引き締まるんです」と、 答えが返ってきた。
それを一緒に聞いていた、今は"RIDE"という二輪のストーリー誌の編集長をしているS君が、嬉しそうに話を返した。
「ぼくも手巻きが好きなんですけど、ぼくは、バイクに乗るときに、エンジンをかけてからゆっくりと巻くんです。で、 ちょうど巻き上がったときにエンジンの暖気が済んで、発進すると調子がいいんですよ」
そして、自分の腕にしていたオメガのスピードマスターを彼女に見せた。
一日をこれから始めようというとき、あるいは、一つの作業に一区切りつけて、別の作業へ移行しようというとき、ちょっとした「儀式」 を挟むと、気分が変わっていい。
ぼくの愛用の時計は自動巻だが、最近はゼンマイがへたってきたのか、一杯に巻き上げても一日しか持たず、 気がつくととまっているので、その都度、携帯で時刻を確認して合わせている……これは気分が変わるルーティンの「儀式」というよりも、 メンテナンスのサインだから、早くメーカーに調整に出さなければいけないのだが(笑)
今朝は、久しぶりにサイフォンを引っ張り出してコーヒーを淹れ、その間、香なぞを焚いてみた。
ほんとうは、気候や気分に合わせて豆を選び、それも生豆から焙煎して淹れたいところなのだが、 ミディアムローストのオーガニックコーヒーを挽いて、少し薄めに淹れて、大きいマグカップにたっぷり注いだ。
かなりおおざっぱな「儀式」だけれど、アルコールランプの揺れる炎や、フラスコの中を上下する水とコーヒー、 そしてゆっくり揺れながら立ち上る香の煙を眺めていると、やっぱり、生活の中で、 ささいな儀式をいくつか取り入れて暮らしたほうが豊かなのでないかと思えてくる。
効率や合理性ばかり追い求めてきた結果が、今の環境破壊や人間性の疎外をもたらしたのだから、人類全体が、ここらで少し一休みして、 機械式時計のゼンマイを巻くような、アナログな儀式をしてみたほうがいいのかもしれない。
2008/07/07 カテゴリー: 02.ライフスタイル | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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