月に一度の検診を終え、都心のライブラリーで少し仕事をして、ローカル線に40分揺られて降りた駅から自宅への道すがら、 東の空を見ると、大きな満月が昇ってきた。
その月は、真っ赤で、周りの建物と比べてもかなり大きなものだったのだが、自宅に戻り、シャワーを浴びて、 一眼レフに望遠レンズをつけて表に出てみると、普通の満月になっていた。
上り始めたばかりの月は、地球大気の層が厚く、赤く見え、地平線付近には大きさを比較する対象物があるので大きく見えるといった 「理屈」はわかっていても、あの紅い月には、何か「意思」を感じさせる不気味さがある。
子ども頃は、「日が暮れるまで遊んでいると神隠しに攫われるよ」と祖母に脅されて、それがもの凄く怖いのだけれど、 遊びの誘惑に勝てず、ついつい日が暮れるまで近所の友達たちと里から離れた山で遊び、気がつくと、あの大きく紅い月が出ていて、 遮二無二あぜ道を走って、追ってくる月から逃れて、家に帰ろうと、走ったものだった。
高く上った満月を愛でながら、ああいう子供時代があったからこそ、自然に対する畏れが、自然に身についたのだろうなと、 しみじみ思った。
コメント