里山や農村の景観は、本来、その土地の植生を生かして、長い時間をかけて里に住む人たちが作り上げていったもので、
都市計画のように机上の青写真と流行の建築家が作り出したものではない。
都市景観には、時代を象徴するダイナミズムがあるし、緊張感を孕んだバランスや創発性を秘めたカオスといった魅力はある。
だが、都市には、目を瞑ってゆっくりと息をつけるような安心感はない。それがあるのは、やはり、
自然と人とが長い間の関わりの中で作り上げてきた農村景観だ。
先日、農村工学研究所景域整備研究室を訪ねた際、室長の山本徳司氏が面白い話を聞かせてくれた。景域整備研究室では、
まさに本来あるべき農村景観の保全や記録に取り組んでいるのだが、農村景観には、目に見える環境調和性のバックボーンとして、
日本人の自然観、精神世界観があるのだという。
古来、日本人は、山岳を神の領域として恐れ崇め、里と山岳との間に「塞の神(さのかみ、さえのかみ)」を置いて境界としてきた。
塞の神の下の方は人の日常領域であり、上は人が立ち入るには畏れ多い神の領域、そんな目印だった。
山の神は、春になると山から下って、里を視察に訪れる。
その時、塞の神に乗り移り、小川をヤマメやイワナの背を借りて下り、途中からドジョウの背中に乗り移って田の用水に入り、
田の端にある桜の木に登って、里を見渡すのだという。そして、里に住む人たちの息災を願って、桜=塞鞍の木に花を咲かせるのだという。
山と里を結ぶ景観の変化にそんな物語を重ね合わせると、里山や農村の風景が心に安らぎをもたらしてくれることの意味がよくわかる。
■竹林の再生は……■
今回の取材で最後に訪れた『鶴を呼ぶお米』 を生産している小松島の農事組合法人くしぶちがある山里は、昔ながらの農村景観がそのままに残り、ただそこにいるだけでホッとする空間だ。
小松島市の西部に当たるこの周辺は、田植えが済んだばかりの田とそれを取り巻く竹林が目につく。
折しも、この地方名産のタケノコの収穫とその加工の真っ最中で、事務所の前の畑にはタケノコを煮るための大きな釜が据えられている。
だが、「タケノコ」と名乗るにしては、バカでかい。長さ1mほどもあり、大人が両手でようやく抱えられるくらいにズシリと重い。聞けば、このタケノコは、ぼくたちが普通イメージしている、早朝に地面を突き破って出るか出ないかといった頃合いのものを慎重に掘り出すものではなく、地面から出きって、 1mほどになったものを根本からバサッと切って収穫したものなのだとか。
ここでは、このタケノコ……というか竹の小学生高学年くらいのものを大胆にカットして、畑の大釜で茹でて、
缶詰に加工しているのだという。
やや灰汁は多いものの、丁寧に煮てやれば、地面の下から丁寧に掘り出したタケノコにも遜色のない、軟らかいタケノコ煮になるという。
ちなみに、ラーメンの具として使われる「シナチク」は、その名から中国特産のもののような先入観があるが、
これよりさらに成長した竹を切って煮て、それを醤油に漬けたものだそうな。そう言われれば、シナチクには竹独特の筋がある。
くしぶちの代表、浜田孝俊さんに、まずは竹林から案内していただく。
くしぶちの事務所から背後の山へ向かって狭い坂道を登っていくと、すぐに竹林に入る。尾根に出ると、そこも竹林で、
尾根筋の人が入りやすいところは丹念に手入れされて、射し込んでくる西陽に美しい影を落としているが、急峻な谷筋を見ると、
さっき事務所の横で見たタケノコが伸びるにまかされ、立ち枯れて倒れた竹もそのまま放置されている。
「昔は、こうした急な斜面の竹林も丹念に手入れしていたんですけど、担い手が高齢化して、人手も足らず、
こうして荒んでいってしまうんです」と、浜田氏。
手入れのされない竹林は密生によって地力が衰えて、いずれ林全体が死んでしまうのだという。
見晴らしの効くところから周囲を見渡すと、青々とした竹林の間々に秋色のように焼けた、
いかにも地力を落としてしまった林が点在しているのが見える。
「今、エコツーリズムやグリーンツーリズムが盛んになってきていますよね。死にかかった竹林を再生するために、私は、都会の人たちに来てもらって、鶴のお米やタケノコ、それからこれも特産の椎茸なんかを食べてもらい、竹林の手入れもしてもらえたらなと思っているんですよ」
急峻な斜面の竹林を見たときに、ぼくは、「これならツリーイングの技術を使えば、
アクティビティとして楽しみながらタケノコ掘りや枯竹の撤去ができるな」とすぐに思った。浜田さんは、
伝統的な竹篭編みの技術も持っているし、竹林の手入れの後で自作の竹篭作りなどすれば、体験も充実できて、
人もたくさん訪れるようになるのではないだろうか。いずれ近いうちに、e4プロジェクトで、そんなツアー企画を立ててみたい。
竹林へ登る途中、窓のない大きな倉庫のような建物が目についた。
これはおがくずを固めた菌床で椎茸を栽培しているファームなのだという。竹林を抜けきった山の上には、使用済みの菌床が集積されていた。
この使用済みの菌床が、竹林の中の枯れた竹を粉砕した竹繊維、さらに同じ町内で出る鶏糞に混ぜ合わされ、乾燥されて、
昨日訪ねたトマト栽培で土壌改良材兼肥料として使われている。
**たっぷりと有機成分を含んだ菌床。以前は、処理が厄介な「廃棄物」だったが、今はまさに「宝の山」だ。
**菌床と鶏糞は、竹の繊維と混ぜ合わされ、空気の流通の良い理想的な土壌改良材兼肥料となる**
こうして、地域で生み出されるものに注意深く目を向けて、みんなでその利用法を考える……ふと、「農業は脳業なのだ」
といっただじゃれのようなフレーズが思い浮かぶ。だが、みんなが体と頭を使って知恵を出し合い、情報を交換し、
互いに補い合っている徳島の農業のあり方は、羨ましいほど知的なコミュニティであると思う。クリエイティビティというのは、
まさに脳が生み出すもので、脳は体を動かし、人と接することで活性化される。ともすれば偏狭な都会生活の中で頭でっかちになりすぎて、
自分のオリジナルの発想よりも知識偏重に陥りがちな自分の脳味噌が恥ずかしくなる。そんなことを思いつつ、「地力は知力」
などという言葉も浮かんでくる……徳島の土地と人に触れあって、ぼくの脳もやや歪ながら活性化されたようだ(笑)。
■ツルを呼ぶお米■
さて、肝心の鶴を呼ぶお米だが、こちらは竹林が点在する四国らしい丘の連なりに囲まれ、海に面した扇状地に広がっている。
かつては海抜よりわずかに高い標高で、度々水害に襲われたというが、その分、保水力が高く、元々、良質の米ができるのだという。
ここを低農薬から無農薬へと移行させ、除草は農薬の代わりに機械除草として、さらに冬場には水張りをして湿地化することによって、
様々な水生昆虫が住むようになり、ナベ鶴が飛来し、用水ではタナゴが釣れるようになったという。
今は、ちょうど田植えの時期で、トノサマガエルの鳴き声が賑やかな田んぼは、すでに田植えの済んだところと、苗床が浮かべられて、
まさにこれからといったところがある。肝心の浜田さんの田んぼはというと、まだ地面を均した上に水が張られているだけで、
田植えをする気配がない……。
「今は、タケノコのほうが忙しくて、田んぼのほうには手が回らないんですよ」と、笑う。
じつは、本来、田植えは5月の終わり頃に行われるのが、稲の生育にとっては最適で、何故それがゴールデンウィークの頃になったかというと、人手を確保することが要因なのだという。
近年は、温暖化の影響で、本来の田植え時期よりもさらに遅らせてもいいくらいで、
ますます理想と現実が離れてきてしまっているのだという。
そんなことを浜田さんと話しをしている横で、コープ自然派徳島の中村さんが、車から小さな網とバケツを引っ張り出し、
傍らの用水をサッと掬ってバケツに網の中身をあけた。
そこには、元気に泳ぐメダカに、ヤゴ、そしてちょっとおぞましいヒルがいた。中村さんは、べつにねらい澄まして掬ったわけではなく、
ただ無造作に足元の用水に網を入れただけなのだが、一掬いでこれだけの生き物が入るのだから、
この田んぼの生物の多様性はかなりなものだろう。
メダカをただレッドデータブックに載せても蘇ってはこない。
べつに絶滅危惧種だからメダカを繁殖させようなどと考えているわけでもなく、ただ水田を昔のように自然な形に戻してやるだけで、
当たり前のように生物が戻ってくる。そんなことを実地に生物調査をして実感してもらおうということで、中村さんは率先して
「田んぼの生き物調査」を開催している。
バケツの中の小さいけれど多彩な生き物世界を眺めているうちに、自分の子供時代は田んぼの用水に捕虫網を差し入れて、泥と一緒にドジョウやザリガニを捕ったことを思い出した。せっかく買ってもらった捕虫網が、重い泥を持ち上げたせいで破れ、みつかると叱られるので物置の隅に隠したものだった。
40年以上前のそんな記憶を懐かしむぼくくらいの世代はいいが、虫取りやザリガニ取りも経験したことのない今の子供たちは、
田んぼの生き物調査を通じて、何を感じるのだろうか……。
鶴を呼ぶお米には、「田んぼの生き物調査米」というサブネームもつけられている。米も一つの生物として、虫や鳥や他の植物とともに、
ともに育みあって実を結び、そこに自然の力、地力が凝集する。そういうものこそ、本物の「大地の恵み」といえるだろう。
<<<その1
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