日曜日、NHKの"新日曜美術館"を観た。 今年87歳になる画家の野見山暁治さんが地下鉄副都心線の明治神宮前駅を飾るステンドグラスを製作した1年半を追いかけたもの。
一見しただけでは、何を意味しているのかわからない野見山さんの抽象画だが、戦争体験やパリでの生活、帰国してからの生活を綴り、 それを作品の製作とだぶらせていくことで、野見山さんの魂が、キャンパスに刻みつけられ、塗り込まれ、 盛りつけられていくのだとわかってくる。
ただ自由なイマジネーションにまかせて筆を運んでいるのではなく、昔、自分が出会った光景、情景を絞り出すように思い出しながら、 今度は、それを一筆一筆、純化した形でキャンバスに載せていく。そこに描かれているのは、かつて自分が出会ったことであり、だけど、 そのエッセンスだけを抽出しているので、『絵は絵空事』なのだ。
番組では、野見山さんが描いた原画を、今度はステンドグラス作家が、ガラスのパーツに細分化し、仮組みしたところで、 さらに野見山さんが手を入れていく。自分の作品が異質の方法でデフォルメされたのを見て、「きれいだねぇ!!」と純粋に感動する。そして、 ステンドグラス作家が、原画に立ち向かって、そこから何を読み取っていったのかを説明すると、「うん、うん」と嬉しそうに、 かつ真剣に頷いていく。
ステンドグラスは鉛でガラスのパーツを組み合わせて、一枚の作品とする。原画にはない鉛の強い線が絵を細かく縁取っている。 それを見て野見山さんは、「なるほど、こういうことをしてもいいんだな……。勉強になるなぁ」と、また子供のように目を輝かせる。
ステンドグラス作家が、画壇の大御所に向かって、自分が原画と向き合ったときの印象を真摯に伝える。 それをピュアな気持ちで受け取って、さらにその先で、自分が何をすれば作品が、より完成に近づいていくのか、真剣に考える。そこには、 エゴもプライドも、ステイタスも年の差も何もない。あるのは、ただ目の前に存在する完成を待っている作品だけだ。
こんなコラボレーションができたらいいなと、つくづく思った。
だけど、こうした真剣なコラボレーションができるのは、それぞれが真剣に考え、真剣に生きているからこそだろう…… 真剣に生きなければ。
さて、そろそろきついコーヒーでも飲んで、"Raises the dead"といくか!!
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