朝の連続テレビ小説を心待ちにして、放送直前にはしっかりとテレビの前に座っているなんて、子供のとき、祖母と一緒に『おはなはん』を観たとき以来だから、40数年ぶりくらいだろうか。
大学時代は中野の築58年というおんぼろアパートに住み、フリーで仕事を始めるようになってから調布に移り住んだ。それから25年あまり調布で暮らした。
ゲゲゲの女房の舞台も調布。物語の中でよく登場する深大寺は、同じようによく散歩に行ったものだった。調布の市街には鬼太郎にまつわるモニュメントなどもたくさんあって、水木しげるの出身地である境港とともに「鬼太郎のふるさと」となっている。
調布は、ぼくのこれまでの人生でいちばん長く暮らした土地なので、やはり第二の故郷のように感じていて、水木しげるという人とその作品は「おらが町の自慢」という意識が今でもある。
また、今度のドラマを見ていると、売れない頃の水木さんの様子が、自分の調布時代とオーバーラップして他人事に思えない。
ぼくも、若い頃は年収100万円にも充たない時代があった。家賃を払えばすべてなくなってしまい、その家賃すら滞納を重ねて、いったい明日はどうなるんだろうと、いつも不安を突きつけられながら生きていた。
20代の頃は、将来を夢見るライター仲間がたくさんいて、みんながみんな同じような貧乏をしていたから、それでもなんとか耐えていられた。
そのうち、一人が田舎へ帰り、一人がまともな会社に就職し、また別のやつは家業を継いで、まともな生活へと入っていった。そして、気がつけば、フリーランスのライターなんて稼業をしている人間は自分だけになっていた。
そんな境遇も驚くほど似ていて、だからこそ他人事でドラマを見ることができない。
あれは、バブルの真っ只中にあった90年代の始めだった。
世間はいくらでも湧いてくるようなあぶく銭にまみれて、贅沢三昧に浮かれ狂っていた。そんな中、なぜかぼくにはまともな仕事もなく、浮かれる世間を覚めた目で見ていると、「こんな狂った社会に生きている意味などないな」と、いっそ餓死してしまおうかと思って、何もせず、ただ不貞腐れてゴロゴロしていた。
当然、収入は途絶するから家賃など払えない。公共料金も、まずはあっさりと電話が止められ、次にガス、そして電気を止めるぞと脅しをかけられ、まあそんなものなくてもなんとかなるかと思っていたら、ついに水道も止めると最後通告を突きつけられた。
そんな崖っぷちまで追い詰められたとき、大家さんが訪ねてきた。
大家さんは、調布郊外に畑やアパートを持つ資産家だが、先祖代々続けてきた農業を辞めたくはないと、アパート経営は息子夫婦にまかせて、老夫婦で畑を耕していた。ときどき、採れたての野菜をアパートの住人みんなに配ってくれたりした。
その年老いた大家さんが、玄関口に立ち、「ちょっとお話がしたいんだが、上がらせてもらってもいいかね」と、いつもの穏やかな口調で言った。
ついに、アパートにも居られなくなるんだなと、ぼくは覚悟した。そして、この大家さんからも最後通牒を突きつけられるものだと思った。
ところが、大家さんは、こちらのほうがずっと無礼を続けて申しわけないのに、自分のほうが申し訳ないといったような口調で言った。
「あんた、大丈夫かい? 病気をしてるんじゃないかい? 自営の人は浮き沈みがあるから、今はあまり良くなくても、頑張ればまた浮き上がれるよ。家賃はね、待っててもいいから、私で力になれることがあったら言ってくれていいんだよ」
大家さんの前に正座して、ぼくは不覚にも涙を零した。
そして、不貞腐れて無為に日を過ごしていたことが恥ずかしくなった。
「あんたと同じように、自宅で自営している人が前にもうちのアパートに住んでてね、その人も一時期苦しくて家賃を滞めたりしたんだけど、そのうち、仕事がうまくいってね。今では、アパートの隣に自分の家を建てて住んでいるんだよ。うちのアパートに住んで、食い詰めた人はいないから大丈夫。体に気をつけて、がんばりなさい」
そういって、土がついた山ほどの野菜を置いていった。
そんな大家さんの好意を励みに、ぼくはなんとか社会復帰することができた。
アパートを管理していた息子さん夫婦に、滞っていた家賃を完納したとき、奥さんから話を聞かされた。息子さん夫婦は、さすがに半年も家賃を溜めてしまったぼくに退去してもらおうと思っていたという。それを大家さんに話すと、頑強に反対されたのだという。きっと困っているんだから、助けてあげなければダメだと。
ゲゲゲの女房を観ていると、そんな自分の調布時代を思い出す。
それに、なにより、水木作品はすべてぼくが子供時代にリアルタイムに親しんでいたものだから、このドラマに自分の人生も全部含まれているような気がしてしまうのだ。
>スナフキンこと新堀君
30数年ぶりに、SNSで再会するとは思ってもみませんでした。
ライターに限らず、フリーランサーは誰でもどん底生活を経験していると思いますよ。
ぼくは、ライターになるのが夢とか目的だったわけではなくて、結果的にフリーのライターがメインになっていたというだけで、あんまり自慢できませんけど(笑)
今は、ライター仕事もしてるけど、どちらかといえばプランナーです。表現に関することなら、WEBでもCGタイトルでもパフォーマンスでも、あるいはアトラクションでも何でもやるといった感じです。
沢木耕太郎は『深夜特急』も良かったけれど、やっぱり『一瞬の夏』のほうが緊迫感があって良かったなぁ。
しばらく田舎にも帰っていないけど、今度機会があったら一献まいりましょう!!
投稿情報: uchida | 2010/08/04 15:48
こんにちは、こないだMIXIでメールした新堀です。早速、拝見しました。ライターになるために、それこそ絵にかいたような苦労をされたんですね。夢を諦めなかった内田君に尊敬です。
機会があれば本も拝読したいと思っています。
内田君はノンフィクションのライターってことになるんでしょうね。僕は沢木耕太郎さんの作品が好きで、特に「深夜特急」はバイブルです。20代のときにこの本に出会っていたら、絶対真似したなって思ってます。笑
これからもブログ読ませてもらおうと思っています。
投稿情報: スナフキン | 2010/08/04 12:36
>66hakubaさん
コメントありがとうございます。
白馬ご在住ですか。
この夏は、まだ一度も伺えてませんが、お盆過ぎには、また白馬三山を眺めに行きたいと思っています。
その際には、ぜひ、いろいろお話を聞かせてください!!
投稿情報: uchida | 2010/08/02 18:04
こんにちは。
はじめまして。
白馬に暮らして、物を作ったり、本を書いたりしている者です。
次の本の原稿で、たまたま落倉の風切地蔵を紹介したのですが、原稿を出版社に渡してから、ある人からこのサイトと、内田さんの本を紹介されました。さっそく本を購入し、読ませていただきました。
すばらしい内容ですね。感服です。
白馬の章は、なるほどと思いました。
去年、大湯のストーンサークルにも行ったので、おおっと思いました。
中学生の頃、歴史クラブに所属していて、白馬の地蔵や、石仏、神社のことを、村の歴史家の先生に教わりながら、自転車で訪ね歩いていました。
その時の記憶と、村史をたよりに、次の本の原稿を書きました。まったく歴史とは関係のない本ですが…(笑)
今日の内田さんのブログ、若い頃の僕も思い当たるふしがありなので、共感です。(これも偶然、次の本に記しました。金額もほぼ同じです)
テレビはほとんど見ないので、長野放送の番組も知らずにいました。
もっと早くに本のことや、このサイトを知っていればと、思いました。GPSでの結果と、語り継がれていたことが一致するなんて、素敵なことですね。
野平のSさんも、ミーティアさんも知り合いです。
次回、白馬にお越しの際は、ぜひお会いしたいと思っております。
長々と失礼いたしました。
ご活躍のほどを。
投稿情報: 66hakuba | 2010/08/01 13:09
>Fさん
コメントありがとうございます。
調布には長く住んだだけに、悲喜こもごも、いろんな思い出があります。
出版界の逸話なども、同じような体験をたくさんしていて、身につまされます(笑)
ところで、忌部は楽しかったですね!!
いよいよ空海にまつわる話にとりかかりました。また四国は取材で縦横無尽に巡りたいと思ってますので、ご教示お願いします!!
>bzcchirinさん
ありがとうございます!!
思い返すと、いい人に囲まれて暮らした土地でした。
「ゲゲゲの女房」の今後の展開が楽しみです。
投稿情報: uchida | 2010/07/31 19:58
いい話です。
投稿情報: bacchirin | 2010/07/31 14:41
こんにちは!初コメです。
以前、徳島の忌部ツアーでご一緒させていただいたFです。その節は大変お世話になりました。あれからブログを欠かさず拝見してます。
ものすごく良いお話でしたので、勇気を振り絞ってコメントさせていただきました(笑)。本当にこんなお話ってあるんですね。朝から温かい気持ちになりました。ありがとうございました。
投稿情報: 電話番のフー | 2010/07/31 10:28