それにしても、愚かな事件だ。10代後半から20代の若者が、早々に人生を切り開いていくことを捨てて、 自殺はおろか非情な無差別殺人に走る。
時代が逼塞していて、夢を持ちにくいことはわかる。だが、今回の秋葉原のような事件を起こしてしまっては、 まったく同情の余地はない。犯人は、一昨年、友人に自殺をほのめかすメールを送っていたというが、せめて、そのとき死んでくれていれば、 このゴミ屑のような犯人に、大切な命が手に掛けられることもなかったのに……。
こんな鬼畜は、死刑にするだけではとても足りない。
こんな鬼畜が出てくると、地獄があってほしいと思う。そして、犯人は、無間地獄に堕ちて、 永遠の業苦を味わい続けてほしいと心から願う。自分が手を掛けた人たちの恐怖と苦しみと痛みと哀しみを無限に味わい続けるがいい。
今回の事件から、ぼくは昔自殺した、二人の友人のことを思い出した。今回の犯人を時代の犠牲者だとは思いたくないが、ある意味、 時代を反映しているともいえる。この希望が持ちにくく、辛い時代、その走りともいえる時代に、二人は、自殺という道を選んだ。
もう10年以上前に、雑誌に掲載した記事だが、それをあらためて、ここに掲載してみたい。
●悩めばこそ人なり。然り、生きてこそ…●
今月は、少しシリアスな話しをしたい。
無手勝流で脳天気、アバウトな『軽さ』をこのページに求めているどんどんファンの皆さんには申し訳ないが、今月は、
ちょっとそういう気分になれないのだ。
じつは、つい最近、知り合いが自殺した。
それは、突然にやって来た…
N君は、この2月から、あるプロジェクトに一緒に関わりはじめた仲間だった。明るい性格で、仕事もバリバリこなし、
グループ全体の雰囲気をいつも和やかにする潤滑剤のような存在だった。アメリカ取材に一緒に行って、彼は外国ははじめてながら、
学生時代から得意としてきた英語を駆使して、すっかり海外の雰囲気にも馴染み、
さあこれから世界をまたにかけて実力を発揮していこうという矢先のことだった。
昨年の暮れには、S君。俺のまわりで、この半年のうちに二人が自分の命を断った。
S君も、明るく、仕事のできるやつだった。彼は長年の夢だった自分の店を開き、端から見れば順風満帆そのものだったのに、ある日突然、
靴を揃えて高みから身を躍らせた。 俺も、けっこういい歳になって、いろんな人の死に直面してきたが、彼ら二人の死は、理不尽で空しすぎる。
人間というのは、複雑な存在だから、外側から内面を正確に把握することは不可能だ。幸せの真っ只中にあるように見えても、
人に言えない苦悩を心の中にため込んでいて、それがついには飽和状態になって爆発してしまうということもあるだろう。
そんなことはわかっている。
馬鹿のひとつ覚えで、ひとつのことにこだわって他には何も見ない奴とか、歪んだ学校教育に疑いも持たずに優等生で過ごして、
決まりきったレールに乗って安穏としている幸福なブタなんぞよりは、内に苦悩を抱えている人間のほうが、100万倍人間らしい。だが、
それも、生きていてこそだ。
自死を選んだ当人は、それで苦悩から逃れられるかもしれない。だけど、自死は、残された者に、それ以上の苦悩を押しつける傲慢な行為だ。
あまりうまいたとえじゃないが、夏の祭りがすんで、物悲しい季節の黄昏に、独りぽつねんとたたずんでいるような寂寥、
そんな寂寥を人の心に残す。しかも、二度と楽しい夏は巡っては来ず、寂寥は日増しにつのっていく……。若い息子を、
そんな理不尽な形で亡くした親御さんの心境は、まさにそんな感じだと思う。
何故なんだ? 今、俺の頭の中では、その言葉だけが反響している。不思議なことに、彼らの顔は、屈託の無い笑顔しか思い出せない。
その笑顔に向かって、何度もつぶやく、「何故なんだ?」と。
こんなオレだから何かできたバズ…
俺は、「人生なんて所詮遊びだ」なんてうそぶいて世間を舐めて生きているチンピラだが、そんなチンピラだからこそ、
何か手が差し伸べられなかったと、悔やまれてならない。「俺みたいに、その日その日を適当に楽しく生きてても、なんとか渡って行けるんだよ、
この世は」と、このいいかげんさを見てもらえたら、少しは、背負っている荷を軽くすることができたんじゃないだろうかと…。
死んじゃダメだ! 死んで解決することなんてなにもない。
思い返すと、N君とS君には、共通点がいくつかあった。
二人とも30歳前後の年齢だったこと。いくつか職を変えてきて、ようやく、自分のやりたいことを見つけ、その中でのキャリアも積んで、
一本立ちしたところだったこと。そして、まじめで明るく、場を盛り上げるようなキャラクターだったこと。
30歳前後というのは、20代という変化の激しい時を乗り越えて、ようやく大人としての責任を自覚すると同時に、
何か具体的な結果を残さなければと、焦る時期なのかもしれない。
N君は、はじめ意にそぐわなかったプロジェクトのコンセプトをなんとか受け入れ、自分なりのスタンスを見つけた。S君は、自分の店という、
20代の総決算ともいうべきものを手に入れた。それは、よそから見れば、立派に結果を出したといえるのだが、当人にとっては、
とうてい満足できる状況ではなく、中途半端な妥協に思えたのだろうか? ようやく、その地点まで辿り着いたものの、そこでまた方向を見失い、
もはや余力はないと絶望的になってしまったのか?
流れる時をただ見つめていた日々…
考えてみると、俺も、30前後の頃は、つらい時期だった。
フリーのライターなんていう報われないプータロー生活も、20代は思い込みとドクマだけで乗り切って行ける。だけど、
さすがに三十路に入ると、浮き草稼業でまともな稼ぎもなく、信用も実績もない無力な自分に突然気づかされる。同年代の周りが、
みんな社会的にも家庭も落ち着いてきていて、自分だけ取り残されていくような気がして、焦りはじめた。だが、
俺は根っからの天の邪鬼で怠惰だから、まめに営業して意にそぐわない仕事をするのも、かったるくてできない。そんなジレンマに陥った俺は、
逆に居直って、何もしないことに決めた。半年以上も収入もなく、ただアパートでゴロゴロして、本を読んで過ごしていた。家賃は溜まる一方で、
家庭は険悪になる。友達と酒を飲んで憂さを晴らそうにも、金がない。ちょうど世間はバブルではしゃいでいる時期で、
おつむすっからかんの馬鹿どもがあぶく銭稼いでいい気になっているのを見ると、ますます何もやる気がなくなる。
そのうち、生きてることもどうでもよくなってきた。「どうせ、こんなクソくだらねえ世の中であくせくするくらいなら、
飢え死にでもしたほうが、よほどさばさばしていい」そして、俺は、なんのアクションも起こさず、
ただ目の前を通り過ぎていく時間を眺めて暮らしていた。
そんなアポリアから抜け出せるきっかけとなったのは、ほんの些細なことだった。半年も家賃を溜めて、いよいよ追い出されるかと思ったら、
大家さんが心配して、「自営の人は風向きというのがあるからねえ。そのうち追い風になりますよ」なんてなぐさめてくれた。
「世間のやつらなんてみんなクソったれだ」と意固地になっていた俺は、身近に救いの神がいることを知った。
少しはまじめに稼がなければなんて、ほんのちょっと改心して仕事にでかけた台湾で、とあるラマ僧に、「あんたは、
常に動いていなければダメだ」なんて、怠惰な生活を見透かすような一言をいわれて、目が少し覚めたような気がした。 結局、
つまらないことは考えず、食わず嫌いもやめて動き出したら、自然にまわりに気の合う人間が集まってきて、
いつのまにやらアポリアから抜け出していた。今は、あの死んだような時間がまるでうそのようで、けっこうなんでも楽しくできるようになった。
焦ったり腐ったりしていると、なかなかアポリアから抜け出せないけれど、ちょっとしたきっかけで、気分を楽にして動きはじめれば、
すべては前に動きだす。要は気持ちの持ちようなんだと、今は笑って言える。
S君の場合は、店を開くところまでようやくこぎつけて、少し息切れしていたのだと思う。彼は、デザイン業界にいたことがあり、
その頃可愛がってくれた大御所たちが、「年が明けたら、バックアップしてやろう」と、裏で相談していたところだった。間が悪かったというか、
ちょうど年末の慌ただしい時期で、みんながS君のことを気に掛けていても、すぐに手を差し伸べられる状況ではなかった。
慌ただしい中にいると、時は飛ぶように過ぎる。思い悩んで沈潜してしまうと、時間は、いちばん嫌なところでストップしてしまう。
ほんの数週間が、S君にとっては、無限に続く苦悩の時に思えたのかもしれない。彼は、突然、店に CLOSEDの看板を出すと、
帰らぬ旅に出てしまった。彼のことを気に掛けていた人たちは、「何故、もう少し待ってくれなかったんだ」と、一様に歯噛みした。
回りはみんな彼を助けてやろうと、てぐすね引いていたのに…なんとも、やりきれない。 死ぬ以前に、解決策は必ずある。
自分ひとりで解決できなくても、誰かが、あるいは何かが解決策を授けてくれる。最悪でも、首をすぼめて時をやり過ごせば、
状況は変わっているはずだ。
このゲームはリッセットできない…
先日、海外レースの取材などで有名なあるカメラマンと、「人生遊びなんだから、楽しまなくちゃ損だよね」なんて盛り上がった。
丸く穏やかな人当たりで、いろんな経験豊富な彼は、人望も厚く、回りにたくさんの仲間を持っている。そんな彼が、30歳半ばくらいまでは、
回りに壁を巡らせて、自分の世界だけを頑なに大事にする典型的な一匹狼だったそうだ。そんな彼は、大きな事故、数少ない心許せる仲間の死、
世界各国で、啓示というと大袈裟だが、それに近いインスピレーションを与えてくれる人たちとの出会いなどを通して、
ある日生まれ変わったのだという。
一匹狼で仕事をしているときは、すぐに目の前に壁が立ちはだかり、それを打ち破るだけのテンションを維持するために、
常に自分を奮い立たせているうちに、消耗していく。へとへとになって、それでもなんとか立ち上がって、再び自分を奮い立たせ……。
そんな生活は、身も心もすり減らしていく。
若さという特権を剥奪されたとき、そんなペースのままだったら、自分を奮い立たせる気力は残っていないだろう。
ちょっとした、気持ちの切り替えで、世界はまったく変容するのだ。それをわかって欲しい。
俺はずっと、価値のある仕事を成し遂げなければ男じゃないなんて思い込んでいたが、人生はゲームで、
思い切り楽しまなくちゃ損だと思ったときから、何事も楽しくてしょうがなくなった。次々展開する出来事がスリリングで楽しいから、
自分からこのゲームを投げ出すなんてことは、愚考としか思えない。
人生というゲームにリセットは効かない。だから真剣に遊ばなければならない。なんだかアンビバレンツなようだが、そういうことだ。
N君とS君については、ただただ冥福を祈るしかない。冥土があるのだとしたら、そこでのゲームは、思いっきり楽しんでください、二人とも。
(1997年 『月刊オートバイ』8月号)
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