「官用船」という言葉を初めて聞いた。
その船は、高松港から日に4便、8km先に浮かぶ大島まで往復する。
12日早朝、高松港に集合した80名あまりの乗客を載せて、夏の陽が照り返す水面を切り裂くように進んで行く。そして、15分あまりで大島の港に到着。白い砂浜と碧い海、清々しい松林が続く島は、明るく静かで、整然とした街並みにまったく人影がなく、白昼夢の世界のような雰囲気を漂わせている。
今回は、来月から開催される瀬戸内国際芸術祭のサテライトイベントとしてこの島で行われたビーチコーミングに参加した。ヒーチコーミングといっても、ただ砂浜で面白い漂着物を探すというのではなく、漂着したゴミを拾い、それを分別し、記録することで、ゴミの由来を調査することが目的だった。日本の海岸をきれいにする活動を続けるNGO"JEAN(Japan Enviromental Action Network)"の活動の一環で、海洋ごみの研究者である鹿児島大学水産学部の藤枝繁准教授がレクチャーしてくれた。
瀬戸内海の漂着ゴミでとくに目立つのは、牡蠣の養殖に使う樹脂製のストローの切れっ端のようなチューブで、これは一歩歩くごとに2、3個は落ちている。他に、仁丹の程度の大きさのマイクロカプセルなども多い。マイクロカプセルは、農薬を効率的に散布するためのもので、陸上で撒かれ、中の農薬が土中に吸い込まれた後の樹脂製カプセルが用水から川に流れ込み、海へと出て海岸に漂着したものだ。これらの小さな第一次産業廃棄物は、海鳥や海洋生物が飲み込んでしまうものも多い。
他にも、海洋投棄されたと思しき生活ゴミや外洋から瀬戸内海に海流によって運ばれた朝鮮半島や大陸のゴミもある。
一見、夢のように思えるこの大島も、海岸に出て足元を見ると、人間の営為がいかに自分勝手に地球を穢しているか、自分も文明生活の恩恵に預かっていることでそれに加担している事実を突きつきけられて悲しくなってしまう。
藤枝氏は、海洋投棄されたゴミだけでなく、陸上由来のゴミもなくさなければ海洋汚染は止まらないと力説する。このイベントの後、小笠原に調査に向かうという藤枝氏、世界中を跳び回って真っ黒に日焼けして、どこからどう見ても学者には見えない。活動手法もとてもユニークで、今年からは、独自に『海ゴミ排出ゼロ宣言』を掲げ、息子さんが作った「ダサナイン」と「うみそうじん」、「ダストパス」というキャラクターを立て、楽しい語りで、全国を行脚している(藤枝氏のblog"海から来ました")。海洋ごみを見ると、今、ぼくたちが拠り所としている文明の問題点がとてもよくわかる。それをわかりやすく伝えてくれる。Jeanの活動や藤枝氏のレクチャーは全国で行われているので、ぜひ近くで開催されるときは、参加してみてほしい。
ビーチコーミングの後、瀬戸内国際芸術祭の支援グループ"こえび隊"の有志の案内で、大島島内を巡る。
この島は、『国立療養所大島青松園』の施設のみがある。大島青松園はハンセン氏病の療養施設で、かつて不治の病とされ、らい病と呼ばれたハンセン氏病の罹患者を隔離する施設だった。戦後に有効な治療法が確立され、伝染力もほとんどないハンセン氏病は今では根絶されたが、まだらい病と呼ばれた頃に、ここに入所した人たちが、150名あまり生活している。
この島に渡る船が「官用船」なのは、ここが厚労省管轄の施設のみがある島だからだ。かつて、らい病と知れるとそれだけで差別を受けたので、患者は亡くなったこととされ、偽名を使って、官用船に乗り込んでこの島に降り立ったといわれる。
今では、入所者は独身寮や夫婦寮に暮らし、必要な治療や介護を受けている。かつては、大部屋に入れられ、入所者間で子どもができると強制的に堕胎させられるなど、酷い扱いを受けたという。
明るく、長閑で、平和そのものに見える島も、その歴史を紐解くと、そこが楽園のような環境であるだけに、余計に切ない思いに締めつけられてしまう。
高松を拠点したプロジェクトに関わるようになってから、瀬戸内に浮かぶ島を訪れる機会が多くなったが、その多くが明るく長閑な今の表情の裏に、隔離施設や産業廃棄物処分場、毒ガス製造工場といった後ろ暗い歴史を背負っている。それは、我々の命を育んでくれる海を汚すのと同じで、人間の醜さの象徴ともいえる。
島はそんな歴史を払拭して、本来の明るさと活力を取り戻しつつある。
来月からは、この大島も含めて瀬戸内海に浮かぶ5つの島を舞台に『瀬戸内国際芸術祭』が開催される。そのサポートメンバーであるこえび隊は若い人達を中心に2000名を越えて、すでに各島で活動しているアーティストをサポートしたり、島の歴史や自然を紹介するガイドとして活動を始めている。
この夏は、ぜひとも瀬戸内を訪れて、島の素晴らしい自然を体感し、さらに秘められた歴史を紐解いて、ぼくたちが向かう未来について考えてみてほしい。
**藤枝繁氏の楽しいレクチャーの後、港脇のビーチでビーチコーミング。一見きれいに見えるビーチなのに、2時間ほどで、2トントラック一台分のゴミが集まった**
**ビーチコーミングの後、こえび隊有志の案内で、島内を巡る**
**かつて、1000人近くの人達が生活していたが、いまでは150人あまりが残るのみ。空き家となった寮を瀬戸内国際芸術祭のアート会場として、作品が仕上げられている**
**この島で亡くなった3000人あまりの人の遺骨が収められた慰霊碑と強制堕胎された水子を供養する供養塔**
**慰霊碑の立つ丘からの景色。風光明媚なこの景色を入所者たちはどんな気持ちで眺めたのだろう……**
**大島全景二つの島を結ぶ砂州のような平地に大島青松園の施設が固まっている(写真は大島青松園概要より転載) **
コメント