この暮れは、一度も「忘年会」に参加しなかった。
2008年は、様々なことがあった。
この年は忘れないようにしよう……そう思った。だから「忘年」の会には参加しなかったし、自分でも企画しなかった。
年が明けても、年賀状は出さない。
いただいた人への返信もしない。
失礼だとは思うし、申し訳ないが、2009年の年賀は、春に自分の人生を完全にリニューアルできたときに言祝ぎたいと思う。
暮れから正月にかけては、読書や、様々な構想の具体化に向けた青写真を作ることに振り向けたいと思っている。
ずっと、自分の心の中で燻っていたキーワードがある。
「地球を感じる」
OBTでも謳っているし、30年以上前に登山やオートバイツーリングを始めたときに脳裏に浮かんだ言葉だが、漠然と 「地球を感じたい」、「地球を感じることの素晴らしさを人に伝えたい」と思いながら、試行錯誤も繰り返しながら、 なかなか自信をもって体験し、表現することができずにいた。
2008年の終盤、ぼくがずっと胸に抱いていた「地球を感じる」というキーワードが、突然一人歩きを始めた。
様々な自分の体験を人に話したり、思い描いている構想を人に説明するとき、「すべては、地球を感じたいため、 地球を感じて自分もその一部だと感じるためなんです」と、枕をつけて話すと、相手にぼくの思いが自然に入っていくようになった。
そして、ぼくの言葉を受け取った人が、今度はほかの人に「地球を感じるために」と、語り継いでくれる……。
年が明けたら、「地球を感じる」ためのプロジェクトが本格的に始動する。
前回のエントリーで、 コスモロジーを読み解くと書いたが、そのてはじめとして、ジョゼフ・キャンベルを読み直している。
最初に紐解いた『時を越える神話』(角川書店 飛田茂雄訳)の冒頭に、印象的な話が出てくる。 シアトル市の由来となったシアトル酋長が1855年頃に行ったとされるスピーチ。白人との闘いに疲れ、 講話に応じたシアトル酋長が行ったとされるスピーチは、じつは真贋論争があり、今では、本来のスピーチに後々多くの脚色が加えられていった、 あるいは、そもそもこうしたスピーチはなく、ねつ造されたものだというのが定説になっている。
キャンベルがこの本を著したときには、まだ疑いを持つものはいなかったようだ。キャンベル自身も「史実」としてこれを紹介している。
真贋論争はさておき、その内容は、じつに示唆に富んでいる。これをフェイクであるとして排斥してしまうにはもったいない。
そこで、かなり長いが、引用してみたいと思う。
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ワシントンの大統領は、「おまえたちの土地を買いたい」と言ってきた。
しかし、空や土地をどうして売ったり買ったりできるだろう。その考えはわれわれにとって奇妙なものだ。
もしわれわれが大きな空を持たないからといって、あるいはきらめく水を持たないからといって、 そんなものをどうして金で買えるだろう。
この大地のどの部分も私の同胞にとっては神聖なものだ。きらきら光る松葉の一本一本も。どの砂浜も。暗い林のどの霧も。どの草原も。 羽をうならせている虫の一匹一匹も。みな、私の同胞の思い出と経験の中で神聖なものなのだ。
われわれは、自分の血管に血が流れているのを知っているように、木々のなかに樹液が流れているのを知っている。
大地はわれわれの一部だ。香り高い花々はわれわれの姉妹だ。クマ、鹿、偉大なタカ。彼らはわれわれの兄弟だ。岩山の頂き、草原の露、 ポニーの体の温かさ、そして人間。みな同じ家族なのだ。
せせらぎや川を流れる輝かしい水は、ただの水ではなく、われわれの祖先の血だ。
もしわれわれがあなた方に土地を売るとすれば、あなた方はそれが神聖なものであることを覚えておかなければならない。 湖の澄んだ水に映るどんなぼやけた影でさえ、私の同胞の出来事や思い出を語っている。流れのつぶやきは私の父のそのまた父の声なのだ。
川はわれわれの兄弟だ。彼らは私の喉の渇きを癒してくれる。彼らはわれわれのカヌーを運び、われわれの子供たちに糧を与えてくれる。 だからあなた方は自分のあらゆる兄弟に与えるのと同じ親切を川に与えなければならない。
もしわれわれが土地を売るとしても、空気はわれわれにとって貴重なものであることを忘れないでほしい。空気は、 それが支えるあらゆる生命とその霊を共有していることも覚えていてほしい。
われわれの祖父にその最初の息を与えた風は、また彼の最後の息を受け入れる。風はまたわれわれの子供たちに生命の霊を与える。
だから、われわれがあなた方に土地を売るとしたら、あなた方はそれを特別な場所、神聖な場所にしなければならない。 人がそこに行って、草原の花々のかぐわしい香りに満ちた風を味わえるようなところに。
あなた方は子供たちに、われわれが自分の子供たちに教えてきたのと同じことを教えるつもりがあるだろうか。 大地が我々の母だということを。大地に降りかかるものは大地の息子たちみんなに降りかかるということを。
われわれは知っている。大地は人間のものではなく、人間が大地のものだということを。
あらゆる物事は、われわれみんなを結びつけている血と同じようにつながり合っている。人間は生命を自分で織ったわけではない。 人間はその織物のなかのたった一本のより糸であるにすぎない。人間が織物に対してなにをしようと、それば自分自身に対してすることになる。
明らかなことがひとつある。われわれの神はあなた方の神でもある。大地は神にとって大事なものであり、 大地を傷つけることはその創り主に対して侮辱を与えることになるのだ。
あなた方の目的はわれわれにとって不可解ななぞだ。 バッファローが全部殺されたらどういうことになる? 野生の馬をみな飼い慣らしたらどうなる? 秘められた森の奧まで大勢の人間の匂いでいっぱいになり、 緑豊かな丘の景色がおしゃべり用の電線で乱されたらどうなると思うのか? 茂みはどうなってしまうのか? 消えてしまう! ワシはどこに住むのか? 消えてしまう! そして、 足の速いポニーと別れ、命の終わりであり生存の始まりである狩りに別れを告げるとは、どういうことか?
最後のひとりとなったレッドマンが大平原を渡る雲の影だけを最後の思い出として、未開の原野といっしょにこの世から消え去ったとき、 これらの海岸や森林はまだここにあるのだろうか? 私の同胞の霊が少しでもここに残っているだろうか?
われわれはこの大地を愛する。生まれたばかりの赤ん坊が母親の胸の鼓動を愛するように。
だから、われわれが土地を売ったなら、われわれそれを愛してきたのと同じようにその土地を愛してほしい。 われわれがそうしてきたのと同じように土地の面倒を見てほしい。心のなかに受け取った土地の思い出をそのまま保ってほしい。 あらゆる子供たちのために、その土地を保護し、愛してほしい。神がわれわれみんなを愛するように。
われわれが土地の一部であるように、あなた方も土地の一部なのだ。
大地はわれわれにとって貴重なものだ。それはあなた方にとっても貴重なものだ。
われわれはひとつのことを知っている。神はひとりしかいない。どんな人間も、レッドマンであろうとホワイトマンであろうと、 区別することはできない。なんと言っても、われわれはみな兄弟なのだ。
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こんなコスモロジーを指針とした、新しいライフスタイルを築いていきたい。
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