夕方、寒風の中をジョギングしていて、ずっと構想している小説の全体像が、ふいに天から降りてきたかのように、具体的に閃いた。
精神を研ぎ澄まし、心の深いところに内在する「何か」が目覚めるためのキッカケをつかむには、 やはりキンッと冷えた今時分の夕方の空気に身を晒すのがいい。
氷のような空気を肌で受けながら、渡っていく風の音や舞い落ちる落ち葉のささやき、 フラジャイルな温もりを伝えてくる夕暮れの日差し、そして黄昏を境に空に登る冴え冴えとした月と星…… そんな外界を彩る事象のいちいちが心に染みこんでくる。
自分の内の奥深くにあって、熟成を待っていた発想や場面のインスピレーションが、そうした外界の事象に刺激を受けて、 意識の表層に浮き上がってくる。
この瞬間をどれほど待ち続けていたか……。
このことは、ずっと"気に掛かり"、"考え"続けてきた。この作品を着想して以来、常に、ぼくの思考はオンであり、 深い内在に突き動かされて、どんな些細なことでも思考のプロセスに載せずにはすませられなかった。
そうした精神状態は、芋づる式に余計な考えや悩みまでも引き出し、あるいは作り出してしまい、とことん精神を疲弊させる。 そんな状況に、「どうして自分はこんなにもあらゆることに気を掛け、考え続けなければいけないんだ?」と、 何度も何度も全てを放り出したくなった。
でもそれはできなかった。
こうした思考の呪縛こそが、自分のレーゾンデートルなのだから……。
今度の作品の中心主題となるのは"業"だ。それは、一つの作品を着想して、 それに具体的に取りかかれるようになるまでに自分自身が囚われる自己破壊的な思考そのものでもある。
今回、『思考』の段階をようやく突き抜けることができて、後は一気呵成に作品が迸るにまかせられたとしても、 また新しい着想が待ちかまえ、それとセットになった「考える」という業は確実に戻ってきて、ぼくにとりつくのだろう。それも、"業"ならば、 仕方ないか……。
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