本文の方で、太陰太陽暦と朔旦冬至について簡単に触れてみましたが、こうした暦法というのはとても複雑で、私のような浅学には、基本的なところを理解するのが精一杯で、使いこなすなどというのはほど遠い話しになってしまいます。聖地や結界は、様々な暦法を用いて形作られていることが多いので、様々な暦法を心得ていれば、見立ても簡単にできるのですが…。
ところで、暦法といえば、中央アメリカで紀元前800年頃から紀元後800年頃まで栄えたマヤ文明が複雑な暦法を完成させていました。ニューエイジ信奉者の間では、マヤ暦は世界の終末を予言しており、その人類滅亡の日が2012年12月23日だと信じられていますが、どこにもそんな兆候は現れていません。そもそも、マヤ暦にそんな予言は存在せず、ただ、マヤ暦の大きなサイクルが、この12月23日で一巡するというだけなのです。
マヤ暦では、1日の単位が「キン」で、20キンが1ヶ月。1ヶ月は「ウイナル」で、18ウイナルが1年。1年が「トゥン」で、さらに大きな暦の単位が加わり、20トゥンが1カトゥン、20カトゥンが1バクトゥン、13バクトゥンで暦が一巡します。13バクトゥンは187万2000日で約5130年となります。マヤ暦は紀元前3114年8月からはじまり、13バクトゥンというグレートサイクルの終わりの日がこの12月23日に当たるというわけです。
マヤ族が恐れたのは、グレートサイクルの終わりの日ではなく、不吉なカトゥンでした。1カトゥンは太陽暦に直すと約19年で、面白いことに朔旦冬至で紹介した「章」に一致します。カトゥンは13種類あって、13カトゥンで一巡しますが、このうち8番目のカトゥン「8アハウのカトゥン」が最悪のカトゥンとされ、8アハウのカトゥンの約19年間は戦乱や政治変動が続くとして恐れられたのでした。
紀元278年はちょうどこの8アハウのカトゥンでしたが、このときは今のエルサルバドルのイロバンゴ火山が大噴火して、南部マヤ地域に大きな打撃を与えました。次の8アハウのカトゥンに当たる534年には大都市ティカルが戦乱で滅亡、790年にはマヤ文明そのものが終焉を迎えます。
その後、マヤ族は細々と命脈を保ち、小規模な再生を見ますが、1441~61年まで続いた8アハウのカトゥンで、ようやく復活を遂げていた都市、チチェン・イッツァが災害により滅亡します。そして、次の8アハウのカトゥンに当たる1697年3月、スペインの部隊がマヤ族最後の都市タヤサルを攻略して、ついにマヤ族は完全にこの世から姿を消すことになります。
マヤ文明の衰退に関しては、食糧供給が十分にできない密林地帯で人口が過密になり、それに加えて、支配層が戦争や政争に明け暮れて、食糧増産のための開拓が行われず、公平な食料分配も行わなかったために、反乱も相次いで、衰退に向かっていったと推定されています。これは、現代社会の構図そのままで、ニューエイジの信じる滅亡論などよりはるかに不気味です。
それでも微かに命脈を保っていたマヤ文明の息の根を完全に止めたのは、「8アハウのカトゥン」という彼らの終末論でした。幾度かの大きな災厄が巡ってきた時、それがちょうど8アハウのカトゥンにあたっていたことで、彼らは、その災厄を避けられない運命として、何の対策も施さぬままに、ただそれを受け入れてしまいました。彼らの信仰が彼らを最終的に滅亡させてしまったのです。
マヤ文明の進退の歴史は、今を生きる我々にも、様々な示唆を与えてくれます。
今年の歳末は、冬至やクリスマスとともに、マヤ族自身がその日を迎えられなかったグレートサイクルの終わりの日を様々に思いを巡らしながら過ごしてみたいと思います。
-------------聖地学講座第12回「冬至と太陽信仰」より抜粋
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