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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.11
2012年12月6日号
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◆今週のメニュー
1 伊勢神宮・天照大御神とは何か
・天照大御神は祟り神
・天照大御神は持統天皇?
・藤原=中臣の素性
2 コラム
「百聞は一見にしかず」
3 お知らせ
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伊勢神宮・天照大御神とは何か
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【天照大御神は祟り神】
茨城県の南東部にある鹿島神宮は、私にとって子供の頃から馴染み深い場所でした。生まれ育った町が近く、幼い頃は親に連れられてしばしばお参りに行き、中学高校時代には、よく一人で出かけて静謐な境内をのんびり散策したものでした。
まだその頃は、そこが古くから守られてきた聖域であるといった意識はなく、広大な手つかずの境内の森のしっとりとした空気に身を浸すのが気持ち良く、北参道の御手洗池のたもとにある茶屋の甘酒を飲むのが楽しみでした。今は神社ブームに乗って、参拝者が増えましたが、当時は特別な祭りでもある日以外は、訪れる人もなく、神社にお参りするというよりも自然の中をトレッキングしているような感覚でした。
その後、聖地に関心を持つようになると、あの馴染みのある鹿島神宮が、日本史の中で特別な意味を持つ場所であることに驚き、同時に、ある謎が湧き上がってきたのです。
鹿島神宮の本殿からさらに奥へと続く参道を辿り始めると、すぐ左に鹿苑が現れます。ここで飼われている鹿に売店で鹿せんべいを買って食べさせるのが幼い頃の私の楽しみで、この鹿が奈良公園にいる鹿のルーツだということをよく聞かされていました。
鹿島神宮の祭神である武甕槌命が奈良に勧請され、春日大社が築かれたとき、神の使いとされたこの鹿も連れて行かれ、それが繁殖して、今の奈良の鹿のコロニーになったとされます。
私が不思議に思ったのは、鹿島神宮は春日大社の本社でありながら、分社の春日大社のほうが遥かに有名であり、かつ信仰を集めていること。そして、両社ともに、その関連について触れることが何か穢らわしいことでもあるかのように、鹿の逸話以外、あまり表に出していないように見えることでした。
現に、鹿島周辺では、春日大社が鹿島神宮から勧請された分社であることを知らず、春日大社を氏神とする藤原氏、そのルーツである中臣鎌足が鹿島の出身であるという史伝を知る人がほとんどいないのです。
今や春日大社といえば世界遺産に指定され、世界中から人を集める観光地になっています。その本社である鹿島神宮も積極的にアピールすればいいものを何故かアピールしません。鹿島の人に、ご当地の自慢は何ですかと聞くと、剣豪塚原卜伝の出身地であると答えが返ってきます。ご当地自慢に鹿島神宮を挙げる人はほとんどいません。それはなぜなのか…。
今回は、そんな私の鹿島神宮にまつわる疑問が、じつは日本史上の大きなエポックと関連し、それが古代から中世、近世、さらに現代へと連綿と大きな影を落とし続けていることを検証していきたいと思います。
この講座で今まで進めてきた概論からは少し逸脱しますが、聖地や神話の成り立ちを考察するのにとても興味深い事例ですので、しばしお付き合いください。
まず、話は天照大御神から始まります。
**全文はメールマガジンで掲載しています**
http://www.mag2.com/m/0001549333.html
↓こちらにも記事を寄稿しています。
**『祈りの風景』Kindle版で発売されました**
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