5月の満月の晩は、京都の鞍馬寺で不思議な祭りが開かれる。今年は、スーパームーンの今晩が、その祭り「ウエサク祭」の宵だ。
8世紀末に唐招提寺の鑑真の弟子である鑑禎によって創建された鞍馬寺は、魔王尊と毘沙門天、千手観世音菩薩を三位一体とする「尊天」を祀る独特の宗派を形作っていた。12世紀以降は天台宗に組み込まれ、長く天台門下が続いたが、昭和24年になって独立し、独立宗教法人の鞍馬弘教となった。
そもそもが、500万年前に金星から地球にやってきた魔王「サナート・クマラ」を本尊としたり、鬼一法眼に代表されるアウトローがここを根城としたり、さらには義経を匿い、彼を裏のルートから奥州藤原へと送ったりと、鞍馬寺は大和朝廷を中心とする権力に与せず、独特の不可侵の世界を洛北に築いていた。
その鞍馬寺は、人類を正しい教えに導く導師が住まう「シャンバラ」への入り口ともされ、それを証明するブッダの幻影が空中に現れ、それを祝い祈るのが5月の満月の晩であるとされている。シャンバラへの入り口は、他に北欧とヒマラヤ、南米にあるとされ、ヒマラヤではやはり同じ5月の満月の晩に「ウエサク祭」が開かれるという。
いわゆる「正統仏教」からは著しく逸脱した教義や様式も含めて、鞍馬寺は限りなく邪教じみていて、アウトローで、「異界」としての魅力に満ちている。
鞍馬寺の背後の森の奥深くには龍神の池があり、そこから汲み上げられた水を聖水として、これに今晩の月を映すことで、月の魔力が水に宿る。そして、それをいただくことで、不老長生が得られると伝えられる。
残念ながら、この祭りには参加したことがないが、何度も訪れた鞍馬の雰囲気から、祭りの雰囲気も類推することができる。
そして、想像すればするほど、この祭りは「かぐや姫」の話をそのまま体現しているものだという思いが強くなる。
人類が争いもなく穏やかに生きられる叡智を持つ導師は、月というシャンバラに住む。そこからやってきた使いがかぐや姫で、人類を導師のもとへ導こうとするが、結局、その思いは遂げられず、シャンバラへと帰っていく。
「尊天」を構成する一尊である千住観世音菩薩は月の精霊であり、慈愛によって一切衆生を救済化育するとされる。その千住観世音菩薩こそかぐや姫ではないのか…。シャンバラは隠されたものではなく、いつも夜空に浮かぶ月であるのに、誰もそれに気づかない。そのことを伝えようと千住観世音菩薩はこの世に降臨するが、未だ人類はその単純な叡智に気づくための澄んだ目を持てずにいる。
しかし、3.11を経験し、とびきり澄んだスーパームーンの今晩、その青い月を愛で、聖水に月を映してそれを味わえば、シャンバラへの道が浮かび上がってくるかもしれない。鞍馬でたくさんの人たちが見ているのと同じ月を見上げながら、聖水を味わったつもりで、シャンバラへの道を思い描いてみる。
>かいさん
コメントありがとうございます。
私の故郷は鹿島灘の一角の町で、子供の頃からよく海岸に出かけては、潮干狩りや貝拾いをしました。ぜひ、私の故郷の貝で聖水をいただいてください!
茨城から福島の海岸沿いには、貝にまつわる不思議な話がたくさんあります。もう12年経ちましたが、北茨城の金砂神社では、ご神体の黄金のアワビを海に戻し、新しいご神体を迎える磯出大田楽という祭りが行われました。
また貝にまつわるお話なども披露していこうと思っていますので、どうぞご期待ください!
投稿情報: uchida | 2015/01/12 17:19
初めまして。鞍馬山は7万年前の火山噴火。で検索中に辿りつくことが出来ました。お話。とてもジ-ンと胸にきました。私は鹿島灘で手にできた、金星の英名を持つビ-ナスクラム、蛤のかけら磨きを楽しんでいます。蛤にはいろいろな言い伝えや逸話がありますが、出雲の大国主さまの命を蘇生させた女神貝神話が好きです。ご存知かもしれませんが、磨きとおすと、透明感のある鏡のようになります。コラムを拝読し、この5月、鹿島灘のはまぐりかけらを持って出かけてみたいと感じました。池の聖水で磨き、鏡となったは磨ぐりにお月さまをお迎えしたいと感じました。すばらしいコラムにであえてよかったです。朔元旦のお話も、感動を頂きました。これからのお話も、楽しみにしています。
投稿情報: かい | 2015/01/10 14:15