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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.297
2024年11月7日号
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◆今回の内容
○安倍晴明と泰山府君
・安倍晴明と陰陽道
・秘伝書『簠簋内伝』
・天壇の磁気とヘビ
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安倍晴明と泰山府君
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先日、10月最後の週末は、若狭で行われたイベントで、世界的なツーリングライダーで民俗学者・宮本常一の愛弟子でもあった賀曽利隆さんとご一緒させていただきました。
賀曽利さんとは、もう40年以上の付き合いで、ツーリング取材などでは何度もご一緒させていただいていますが、今回は、私が長年フィールドワークしてきた若狭ということもあって、八百比丘尼伝説や徐福伝説にまつわる地を一緒に訪ねました。その中で、大陸や朝鮮半島とのつながりや宮本常一が訪ねた若狭の話などに花を咲かせました。
お水送り神事が行われる遠敷(おにゅう)の鵜の瀬で、若狭から京都へ鯖を運んだ「鯖街道」の昔のルートを辿るという賀曽利さんと別れ、私はかつて名田庄村と呼ばれた、現在の福井県おおい町名田庄へと向かいました。ここには、陰陽師・安倍晴明の流れを汲む土御門神道の本拠地があり、今でも陰陽道を伝えています。
●安倍晴明と陰陽道
安倍晴明といえば、夢枕獏の小説『陰陽師』や、それを原作にした岡野玲子の漫画、そして映画で、いまやすっかりお馴染みのキャラクターとなり、その影響で京都の安倍晴明神社などは人気の観光地となっています。晴明は平安時代の半ばに活躍した陰陽師ですが、公式には陰陽寮に属する朝廷官僚でした。
朝廷官僚でありながら、平安貴族を相手に独自の祈祷や祭祀も行い、また、自己宣伝にも長けていたことから評判を呼び、『今昔物語』や『簠簋内伝(金烏玉兎集)』などで、脚色されたその事績が伝えられ、それが、今の陰陽師人気にまでつながってきました。
その晴明の子孫が、応仁の乱の後に名田庄に移り、室町時代に花園天皇から「土御門」の姓を賜り、ここに天社土御門神道本庁を開きました。土御門神道では、北斗七星(太一)を泰山府君という神として祀っています。天の中心にある北極星の周囲を巡る北斗七星は、北辰妙見信仰として神道や密教でも祀られますが、泰山府君という形で祀るのは、土御門神道が唯一です。
北斗七星を「泰山府君」とする場合、その北極星を巡る円運動から、時を司り、世界の運命や人の寿命を支配する神とされます。具体的な事物や自然現象ではなく「時」という概念を神とするものは、ギリシア神話のクロノス神もありますが、クロノスは時間の抽象性をそのまま神格化しているのに対して、泰山府君は宇宙の普遍的なリズムとしての時間とともに、天体の動き、さらに地上における季節の移り変わりとそれに対する方位をも含めて神格化されています。
そうした泰山府君を主祭神とする土御門神道は、晴明から続く陰陽道を統括するとともに、時を読んで暦を作ることを主要な職掌としてきました。
明治時代のはじめに太陽暦が採用されるまで、日本では、三島や伊勢などで太陰太陽暦を基にした独自の暦が作られていましたが、土御門の暦はとくに朝廷や貴族に使用され、明治以降は、春日大社や日吉大社、伏見稲荷大社、鞍馬寺等の社寺暦が土御門によって奉製されています。暦法を担ってきた土御門にちなんで、名田庄には「暦会館」が設けられ、古来の暦法や暦を判断するための装置などが展示されています。
天社土御門神道本庁の境内は、今では道の駅も併設された暦会館の北西の集落にあり、そのいちばん奥まったところに、泰山府君祭や星祭り、夏越の祓や大祓などが行われる天壇が設置されています。
天壇は、もともとは中国の道教儀式に用いられたもので、明・清時代の皇帝が天を祭り、五穀豊穣を祈り、ときには雨乞いの儀式も行われました。土御門の天壇はこの中国の天壇をモデルにしているものの、様式は異なっています。中国の天壇は、天を象徴する広大な円形の壇の上に、祈念殿と呼ばれるやはり円形で三層の豪壮な建物があるのに対して、土御門のものはとてもシンプルです。
それは、ちょうど相撲の土俵くらいの大きさに石積された方形の二層になった壇があるだけで、その上は平らに均され、四辺それぞれが東西南北に向けられています。その四辺の各方位、北には玄武の黒、東は青龍の青、南は朱雀の赤、西は白虎の白、それぞれを象徴する色の鳥居が設置されています。ちょうど社務所と本殿を兼ねた建物の背後にあって、天社土御門神道本庁の御神体のような位置づけとなっています。
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