●地霊の気配●
旅をしていると、初めて訪れた土地なのにとても懐かしい感じがしたり、その逆に「ここは自分の居場所ではない」 という冷たい疎外感を感じることがある。
あるいは、もっとはっきりと、そこにいるだけで体の中に力がみなぎってくるような気がする場所があったり、逆にそれまで元気だったのに、 その場所に立った途端に体の中の力が吸い取られてしまうような気がすることがある。
高校時代からぼくは登山にのめり込んだ。大学時代は、年間100日近くも山に入り、八ヶ岳や奥秩父、北アルプスの稜線を辿っていた。
山では、個々の土地が持つ独特な雰囲気をもっとも露骨に感じさせられた。長い縦走の途中、 そこに辿り着くまでは重い荷物に喘いでいたのに、その場所に差し掛かかった途端、急に力が漲って地の果てまでも行けそうな気がしてくる。 逆にある場所では、それまで快調に歩いていたのに、そこに達した途端に腰が抜けたようになり、 立ち上がって先へ進もうという気力が失せてしまう。そういった「正」や「負」の感覚は、それぞれの場所に固有で、 そこを何度訪れても印象はほとんど変わらない。しかも、そんな感覚はぼく一人のものではなく、パーティを組んでいると、 メンバー全員が多かれ少なかれ同じような感覚に囚われる。
紀元前1世紀、古代ローマ帝国が全盛を極め、ヨーロッパ全域から北アフリカにまでその範図を広げていたとき、 辺境に派遣された兵士たちは、進駐した土地に固有の雰囲気が漂っているのを感じとった。そして、それをゲニウスロキ=地霊と名づけた。 目に見える景観の裏側に潜む「何者か」の気配、それは先進の文明社会から訪れたローマ帝国の兵士たちを得体の知れない不安な気持ちに陥れ、 ときに畏怖させた。
ローマの兵士たちがゲニウスロキを強く感じ取った場所は、北ヨーロッパではケルトの聖地に奇妙に符合し、 北アフリカでも土着信仰の聖地に符合していた。つまり、太古から、人々は土地に秘められた地霊を感じ取り、 他の土地とは区別していたことを物語っている。
ぼくが登山を通して体感したものも地霊であるといっていいだろう。いったい地霊とは何なのか、その正体を知りたい。 取り憑かれたように山に向かい、新たな地霊と次々に出会う度に、そんな思いが強まっていった。
山に登っていると、意外な場所に小さな祠や人がかつて長期間そこで野宿していたような形跡に出会うことがある。さらに、 主要な山岳にはほとんどといっていいほど、頂上に古い祠が祀られている。人々を拒むように聳える山岳は、 世界のどこでも神々が住む場所とされた。近代登山の洗礼を受けるまで、 ヨーロッパアルプスもヒマラヤもまさに人智を越えた世界であって神の領域だった。日本でも、山岳は神の領域だったが、 人が辿り着くのを完全に拒むほどは高くもなく急峻でもなかった。そこで、神々の領域である山岳に踏み込み、そこで修行する「修験道」 が発達した。人の住む里から離れ、異界である山岳に臨む。そして、山岳に宿る神と接して、人としての意識を越える。 それが修験道の目的だった。
レジャー化した登山の中にも、「山開き」や「御来光」といった形で修験道の影響は色濃く残っている。そんな、山という「場所」 を信仰の対象とし、さらに修行の場とした修験道ならば、ぼくが感じた地霊の謎に迫れるかもしれない。そんな思いから、 山岳修験の世界にも足を踏み込むことになった。
修験道は、7世紀に役小角(役行者)によって創始もしくは大成されたといわれている。 空海も奈良の大学を飛び出してから遣唐使として再び歴史の表舞台に復帰するまでの7年間を山岳修行に明け暮れて過ごしたとされる。
修験道では、経験的に人を心地よくさせる場所と、逆に人を不安にさせる場所を特定している。そして、 その場所の特性に応じた具体的な修行を行う。人を不安に陥れる谷間や滝行場では、その場所がもっとも恐ろしく感じられる黄昏時に一人置かれ、 押し寄せる不安や恐怖を克服するように強いられる。そして、晴れやかな気分になれる峰の頂では、 それまでさんざん精神と肉体を疲弊させられた後で、劇的な御来光を拝まされ、大自然の恩寵に魂が打ち震えるような歓喜を呼び覚まされる。
紀伊半島の内陸部を縦断する大峰の「奥駆け」や出羽三山、御嶽等では、修行のプログラムを効率的に組み込んだコースが整備され、 先達と呼ばれる熟練のガイドが個々の修行者の個性やコンディションを見極めながら、体験の度合いをコントロールしていく。
修験というシステムを体験することによって、人は確実にアルタードステーツ(超常意識)を体験する。そして、 目に見える自然の裏側にあるスーパーネイチャー(超自然)の存在を意識し、より敏感に地霊の気配を察知できるようになる。
だが、修験道では、地霊が存在することと、それが正と負の性格を持つものに分かれ、人に確かに作用すること、 そして地霊と接することによって、人がスーパーネイチャーを体感できるということは理解できても、「地霊」 がそもそも何なのかは教えてくれない。。
修験道に足を踏み入れて、その洗練されたシステムに感銘を受けはしたものの、ぼくは、まだどこか消化不良な気持ちを抱えたまま、 「地霊」というものを考えていた。そんなとき、ふと思い出したのが、「レイライン」という概念だった。
●聖地を結ぶレイライン●
ゲニウスロキ=地霊を感じる場所は聖地とされていることが多い。人に畏怖を抱かせるような場所だから、 そこが特別な場所として聖別されるのは当然ともいえるが、様々な聖地を訪ねてみると、 単にそこが周囲とは異なる雰囲気を秘めているだけではなく、他の聖地と同じような雰囲気を持っている場所があることに気づく。そして、 同じ雰囲気=ゲニウスロキを持つ聖地を地図上で結んでみると、不思議なことに直線上に並んでいたり、 幾何学的な形に配置されているケースが多い。そんな同じ雰囲気=ゲニウスロキを秘めた聖地同士を結ぶラインを『レイライン』と呼ぶ。
イギリス・イングランドの西部にケルトの遺跡が多く残るヘレフォードという町がある。1920年代初頭のある日、 この町に住む写真家でアマチュア考古学者のアルフレッド・ワトキンスは、郊外の丘陵地帯を車で走っていて、ふと、 窓外の風景に奇妙な感覚を覚えた。彼は、周囲が見渡せる小高い丘の上に車を止め、景色を見渡した。
彼が見やった先には、古代ローマ時代の遺跡、丘の上に建てられた教会、古代に築かれたマウンドや列石が点在していた。それは、 イングランドのこの地方にはよくあるランドマークだった。だが、もう一度その風景を見なおしたとき、彼はあることに気づいた。
彼方まで見通せる展望の中、古代ローマ時代に築かれた街道が真っ直ぐに伸び、その街道に沿って遺跡や教会が並んでいた。 そのことに気づいた瞬間、ワトキンスは白昼夢を見た。午後の日差しに照らされて際だつ古代ローマの街道、 その街道の上を妖精たちが進んでいく姿を……。
ワトキンスは、慌てて自宅に戻ると、たった今自分が目撃したものを確かめるべく、ヘレフォード周辺の地図を広げ、 古代ローマの街道を辿ってみた。そこには、確かに遺跡や教会が連なっていた。さらに、自分が目撃した景色の先までも、 その聖地の連なりは続いていた。
さらにワトキンスは、ローマの街道とは関係のない、この地域の主立った聖地を地図上で結んでみた。 するとそこにも次々に直線が浮かび上がってきた。
彼は、この発見に取り憑かれ、後に地図で見つけた直線を実地に辿ることが彼のライフワークとなった。ワトキンスは「ゲニウスロキ」 という言葉は使っていないが、明らかに、土地が持つ雰囲気を意識し、同じ雰囲気を持つ土地同士を結びつけて、 そこに有意な直線を見い出していった。彼は、 自分が発見したこの直線を今では失われてしまった古代の叡智が作り出した意味のあるルートであると考え、「オールド・ストレート・ トラック=古代の直線路」と名づけた。そして、1925年、自分が調査した結果を一冊の本、「ザ・オールド・ストレート・トラック」 として出版する。
これを機に、イギリス中で、オールド・ストレート・トラックを探す活動が盛んになった。イギリスは元々、 心霊現象やダウジングといったオルタナティヴなものが盛んな土地柄だが、地図という客観的な尺度で明白に表せるオールド・ストレート・ トラックは、広く知識層にも受け入れられ、 今で言えばオリエンテーリングやジオキャッシングのような知的でアクティヴなゲームとしてブームを巻き起こした。
ワトキンスが最初に発見したヘレフォード付近のオールド・ストレート・トラック上には、地名に「ley」 という文字が付く場所が多かった。現代の英語では、「ley」は「広場」や「草原」といった意味だが、古くは「光」を意味していた。そして、 オールド・ストレート・トラックの多くが夏至や冬至などの日の出や日の入りの方向と関係が深いことから、これを「レイライン」 とも呼ぶようになり、次第にレイラインという呼称のほうが一般的になっていった。
グレートブリテン島の西端に位置するセントマイケルズマウントから内陸最大の聖地グラストンベリートアを通り、 東海岸のセントジョージ教会まで、イギリスを南西から北東へと横断する長大なレイラインがある。
「セントマイケルズライン」と呼ばれるこのラインは、春の始まりとされるメイデイに、 北東から登った朝日の光が伸びる道筋を示している。セント・マイケル、セント・ジョージはいずれもドラゴンを退治したとされる聖人だが、 詳細に見ていくと、このライン上には、ドラゴン退治の伝説にまつわる場所が数多い。ドラゴンといえば、東洋では「登り龍」 に象徴されるように吉祥の幻獸だが、西洋では人に害を成す魔物とされる。そのドラゴンを退治するとは、 荒ぶる土地の力=負の雰囲気を持った地霊を封じ込めることを表しているのかもしれない。さらに言えば、 セントマイケルズラインそのものがドラゴンであり、それを封じるため、要所要所に聖地が置かれたとも考えられる。
古代の人たちが「地霊」の存在を意識するだけでなく、地霊の性質を分類し、同類の地霊を結ぶラインを形作ったり、 あるいはセントマイケルズラインが象徴するドラゴンのように、 すでに存在するそうしたラインを封じるようなテクニックを持っていたと仮定して、そんなレイラインの概念を使えば、 ぼくが長年疑問に思ってきた土地に固有の雰囲気=地霊の意味に迫れるかもしれない。そんな発想が浮かんだ。
じつは日本でも古来から聖地を結ぶ直線が存在することが知られていた。
太平洋に面した千葉県上総一宮の玉前神社を東端とし、神奈川の寒川神社、静岡の富士浅間神社、富士山頂、日蓮宗の霊山七面山、 琵琶湖の中に浮かび弁天様を祭る竹生島、大山、そして日本海に面する出雲大社を結ぶ700㎞あまりの直線。それは、修験道や密教の世界で 「御来光の道」と呼ばれてきた。
2001年の春分の日、ぼくは、御来光の道の東端に当たる玉前神社で夜明けを待っていた。
東の空が白みはじめると、真っ直ぐ東に伸びる参道の先から朝日が昇り、 それに正対する一の鳥居が自ら発光するようにその存在を浮き立たせる。そして背後に影を真っ直ぐ伸ばしていく。 境内を一瞬にして横切った影は、二の鳥居の下を潜り、さらに西へと生き物のように伸びていく。その先には、東京湾を越えて寒川神社があり、 富士浅間神社、富士山頂が並ぶ。富士山の真西に位置する七面山では、 眼前に聳える富士山のシルエットが後光を伴って浮かび上がったかと思うと、富士山頂を割って射し込んだ金剛のような光が、 七面山頂を浮かび上がらせる。そして、山頂に建つ敬慎院の秘密の臍穴を通って、 最奥に安置された法華経の守護神七面天女像の眉間を照らすのだという。
たった今、最初の関門を通り抜けた春分の曙光が、そうして数々の聖地を貫きながら、それぞれの聖地で劇的な光景を演出しながら、 700㎞彼方の出雲大社まで達しようとしている……そんな想像を巡らせると、この「ご来光の道」 というレイラインが秘めた謎に魂が打ち震わされた。
マヤ文明を象徴するチチェン・イツァのククルカンピラミッドでは、春分と秋分の日に、 階段の横に大きな蛇の影が現れる設計になっている。世界遺産にも指定されるこの史跡には、膨大な数の観光客が訪れるが、 それよりも遙かに壮大で劇的な光景が、じつは身近で展開されているのだ。
どうしてわざわざこんな壮大な装置が築かれたのか。太陽の運航と結びついた巨大建造物や聖地、そしてレイラインのような配置は、 一般的に、『農事暦』と説明されることが多い。種まきの時期や水やりの時期、 そして収穫の時期を知るために作られた天文観測装置だというのだ。だが、それなら、卓上盤程度の大きさで十分だし、 距離を隔てた聖地を結びつけるレイラインなどは、天文観測装置としては、逆に規模が大きすぎて意味をなさない。
自分でレイラインを巡り、劇的な演出が姿を現す特定の瞬間にその場に居合わせると、 レイラインは光と密接に関係のある大地に眠る地霊を顕在化させるものなのではないのかという気がしてくる。
修験道にしても、そして古来から中国に伝わる風水も地霊を扱う技術と言っていい。だが、それらは、 太古からの様々な事象を経験則によって整理したもので、まずその概念を理解するのが難しい。そして、 奥義ともいえるそのコアの部分は師匠から弟子への口伝という形でしか伝わらない。それでは、 いつまで経っても信仰という範疇から抜け出すことはできない。
それに対して、レイラインは地図という客観視できるツールの上に描写することができ、誰でも一目瞭然にその存在を確認できる。 そして、レイラインによって結ばれる聖地を検証すれば、その聖地のネットワークの目的もおぼろげながら見えてくる。
レイライン探索を方法論として、「地霊」を解明する試みを始めてから、気がつけば十年以上が経過していた。「地霊」 というものが何なのか、まだそれは明確にはなっていない。しかし、レイラインを辿ることで、 それを形作った人々が地球を一つの有機体として見立て、その有機体の生命力を高めたり、 あるいはその有機体としての生命力を何かに利用していたのではないかとますます強く感じるようになった。
東洋医学では、人間の体には目に見えない「経絡」という通路があり、それに沿って「気=生気」が流れると考える。 気の流れがスムーズなら身も心も健康だが、それが滞ると病気になる。複雑に絡み合う経絡の交差する場所で気が滞りやすくなるが、その「ツボ」 を指圧や鍼で刺激することによって気の滞りを解消して健康を取り戻す。そんな考え方を地球に当てはめてみれば、 レイラインは人体の経絡に当たるものであり、地霊が宿る聖地はツボということができる。
ワトキンスが発見したレイラインでは、古いケルトの遺跡を潰してその上に教会を建てるケースが非常に多い。 教会を建てるなら別の場所でもいいはずだが、あえて古い聖地にこだわるのは、そこが地霊の湧き出す地球の「ツボ」 に当たる場所だからだと考えれば納得がいく。場面を日本に移してみると、イギリスでケルトの遺跡を潰して教会を建てたのと同じく、 神社仏閣が太古からの信仰の聖地に創建されているケースが多いのに気づく。
じつを言えば、これから著そうとしている『レイラインハンティング』では、ぼくが追い求めてきた『地霊』 の姿や本質を明確にできてはいない。だが、それは「地霊とは何々である」と断言できない」ということであって、ここで紹介する具体例から、 「地霊」というものが実際に存在することと、その地霊を利用した、もしくは意識した「レイライン」というものの存在も感じてもらえると思う。
●レイラインハンティング●
はじめに断っておくと、「レイラインハンティング」は、ぼくの造語で、本場のイギリスでは「レイハンティング」 と呼ばれている。何故、そのままレイハンティングという言葉を使わなかったのかというと、 レイハンティングがどちらかといえばニューエイジ的、精神世界的に捉えられていて、レイラインやその上に点在する聖地とされる場所を 「パワースポット」として、人に対して何かポジティヴな効果を持っていることを前提として考えられていることに違和感を覚えたためだ。 さらに、従来から行われてきた紙の地図に線を引いてコンパスで方位を定める方法が杜撰で、「レイハンター」 を名乗る多くの人のデータがあまり当てにならず、そうした文脈とは一線を画したいとも思った。まさに、従来のレイライン信仰者との間に 「ライン」を引いたというわけだ。
紙の地図は、球体である地球を平面に置き換えて表している。だから当然、地図は「歪み」を持っていることになる。近距離…… 例えば縮尺にもよるが100~200㎞といったくらいならば紙の地図に引いた直線が、「ほぼ直線である」といっても、 大幅に誤差が出るわけではないが、それ以上になると、まして海をまたいで海外までとなると、紙の上で直線であることは「直線にならない」 ことの証明となってしまう。また、アウトドアでコンパスを使う人なら誰でも知っていることだが、コンパスは北極点を指しているわけではなく、 北極点から1000㎞あまり隔たった「磁北極」を指している。緯度が高くなるほど本当の北と磁石が指す北は誤差が大きくなっていくので、 緯度に合わせて補正してやらなければならない。その補正を間違うと、 アウトドアでは下手をすればルートを誤って遭難ということになりかねない。
レイラインを正確に検証するためには、紙の地図の歪みを修正しつつ、コンパスの補正を行わなければならないのだが、残念ながら、 ニューエイジ的にレイラインを信仰する人の多くは、そうした地図を見るための当たり前のセオリーを知らなかった。
2001年、アメリカがそれまで軍用として運営してきたGPS衛星のスクランブル信号を解除して民間利用に開放した。 GPSという言葉は、いまでこそ携帯電話にも当たり前に組み込まれてポピュラーになったが、つい10年ほど前までは、 一般の人が気軽に利用できるようなシステムではなかった。
GPSとは、「グローバル・ポジショニング・システム=全地球測位システム」の略。 米軍が打ち上げた40機あまりのGPS衛星が地球全土をカバーし、その衛星が発する電波を受信することによって、 正確な位置測定が可能になる。2001年までは、軍事利用が優先され、衛星電波にはスクランブルがかけられていた。 それまでもカーナビなどでGPS信号が利用されていた。だが、 それはスクランブル信号による誤差を補正するジャイロシステムなどを組み合わせて実用化していたもので、 GPS電波を受信するだけでは数百メートルの誤差が生じていた。スクランブル信号が解除されたことによって、 民生用のGPSレシーバーが非常に正確になり、誰でも簡単に位置測定やナビゲーションに利用することが可能になった。ぼくは、 これに着目して、GPSをレイラインハンティングのツールとして用いることにした。さらに、 GPSと歩調を合わせるかのように急速に発達してきたデジタルマップをシミュレーションツールとして用いることにした。
GPSは、磁北極と北極との位置の補正を自動的にかつ正確に行い、常に真北を指し示してくれる。デジタルマップは、 ある地点からある地点までの方位と距離を正確に割り出すことができる。コンパスと紙の地図が頼りだった頃に比べると、計算の手間は激減し、 正確性は飛躍的に高まった。
GPSとデジタルマップはデータを同期させることができるので、 あらかじめデジタルマップでシミュレーションしたデータをGPSに転送して現場でそのデータを使用する。 GPSで実際に現場を辿ることによって、デジタルマップ上にはプロットされていない小さな社や塚などを見つけてGPSに登録する。 さらに物件の位置をより正確に修正したり、デジタルマップからでは読み取れない、神社の本殿の向きや境内の配置などのデータを取る。そして、 収集した現場のデータを再びデジタルマップに反映させることで、より詳細な検証が可能になる。
GPSとデジタルマップという最新のツールを使うようになって、当初は、それまでレイラインとされてきたもののほとんどが、 正確性を欠くものとして否定されてしまうのではないかとも予想していた。ところが、結果は逆で、紙の地図とコンパスを使っていた頃よりも、 埋もれていた物証を数多く見つけられるようになり、さらにレイラインの精度の高さに驚かされることになった。
二千年以上前の創建とされる二つの神社が東西に10㎞以上隔てて並んでいる。その二つのご神体の位置をGPSで測ると、 百分の一秒の精度で同じ緯度上にあることが示される……そんな事例に出くわすと、互いの位置を目視することもできない神社どうしで、 どうしてそんなに正確な測地が可能だったのか、さらに、何故そこまで正確に配置する必要があったのかと、大きな疑問が沸き上がってくる。
さて、前置きが長くなったが、これから、最先端のツールを駆使して、 レイラインを探索することで見えてくる人と地球=宇宙との秘められた関わりを紐解いていきたいと思う。
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