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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.271
2023年10月5日号
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◆今回の内容
○聖地と理想郷
・桃源郷というイメージをもたらした町
・都市文明の寿命と理想郷の形
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聖地と理想郷
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前回は、日本庭園が聖地を形作るのとまったく同じ考え方で設計されていて、その中心概念に「風水」の思想が活かされているという話を書きました。風水というと、古代中国において、王城とそれを中心とした都市を設計するために用いられたものという認識が一般的ですが、作庭でいう風水は、少しニュアンスが違います。
古代の王城都市では、風水は、周囲の自然との調和も意識していたものの、より重視されたのは、王家と都市の繁栄でした。今でも風水思想が根強い香港や台湾を見ると、一族の繁栄や富と健康を願う意識のほうが強く、しばしば利害がぶつかり合い、互いに優位に立とうとする「風水戦争」のようなものが起こったりします。1980年代半ばには、中国銀行と、その隣に建設された香港上海銀行との間で、龍脈の奪い合いから、互いに威嚇し合うような建築設計がなされたり、魔除けのオブジェが置かれたりしたのは有名な話です。
そのように、人間の利益のために風水を使えば、自然との調和という風水本来の目的から外れていくことになりかねません。日本庭園と向き合ったときに、落ち着いた気分にさせてくれるのは、設計の主眼があくまでも自然との調和や一体感、さらには自然表現そのものにあり、そのために風水の思想と技術が用いられているからでしょう。
この夏、あちこちの日本庭園を訪ねて思ったのは、そこに体現されているそんな自然との関係をより広げて、都市計画のようなものに活かせないかということでした。。
今回は、そんな観点から、風水思想が目指した「理想郷」と、その実例を探ってみたいと思います。
●桃源郷というイメージをもたらした町●
昔から、人は、みんなが何不自由なく、幸せに暮す「理想郷」というものをイメージしてきました。西洋ではそれを「ユートピア」と呼び、多様な形のユートピアが構想されてきました。あるものは、原罪以前のエデンの園のような世界に人々が暮らし、あるものは、先進の科学技術が飢えや病気や争いを消滅させて、人々が豊かに暮らす世界を描きました。
東洋では「理想郷」といえば、中国の魏晋南北朝時代の作家・陶淵明(365-427)が『桃花源記』に記した「桃源郷」が有名です。漁師が桃林の山奥深くへ迷い込んでたどり着く理想郷で、そこは、秦の時代に、乱を避けて生き延びた者たちの子孫が世界から隔絶された土地で、平和で裕福な生活を楽しんでいる場所として描かれました。
西洋のユートピアは、産業社会の発達以降に考え出されたものが多く、またキリスト教的な世界観に基づいているため、自然は人間に従属するものというイメージが強く、日本庭園の延長にある理想郷とは相容れません。しかし、桃源郷のイメージは、それにかなり近いように思えます。
『桃花源記』の記述をより詳しくみてみましょう。
「時は、晋の太元年間(372 - 396) 。武陵( 現在の湖南省張家界市付近)に、一人の漁師の男がいた。
ある日、谷川に沿って船を漕いで行くうちに、夢現の気分に陥り、気がついてみると、両岸一面に桃の花が咲き乱れる谷にいた。桃の花の芳しさが充満するこの谷は、この世とは思えなかった。
漁師はまだ続く川をさらにさかのぼり、ついに源流にたどり着き、岸に上がった。そしてまだまだ続く桃林を進んでいくと、険しい岩山に突き当たった。その山裾には人ひとりが通れるほどの小さな口があり、漁師はその中へ入った。それは山を貫くトンネルで、それを抜けると、広大な土地に飛び出した。
見渡せば、美しい池がいくつかあり、その周りには良田が広がっている。さらに、桑畑と竹林があり、道は縦横に交わって、点在する農家はどれも立派だった。ときおり、鶏と犬の声が響き、道を行く農民は漁師が観たことのない小綺麗な服を着て、老若男女みな楽しそうだった。
一人の村人が漁師を見かけて、「どこから来たのか」と声を掛けてきた。
漁師が川を遡ってきたことを話すと、村人は自分の家に案内し、酒席を設け、鶏を殺してご馳走してくれた。そして、彼らの祖先は500年前に秦の戦乱を避けてここまで逃れてきて、以来、ここに住み着いて、外の世界とは接触を持たなかったのだという。
村人は、漁師から外の世界の様子を聞いて驚き、他の村人も話が聞きたいだろうからと、漁師を紹介して、他の農家にも招かれて数日を過ごすことになった。
歓待され、土産を持たされて無事、故郷に帰った漁師だったが、あの桃源郷が懐かしくなって再び訪ねようとしたが、二度とたどり着くことはできなかった」。
中国では、桃は人々を幻想の世界へ誘う花木や邪気を祓う仙木仙花とされ、これを食べれば不老長生をもたらすと考えられていました。『西遊記』では、「蟠桃(ばんとう)」と呼ばれる扁平な形の桃を孫悟空が食べ尽くす話が出てきます。そこでは、蟠桃を食べると霞に乗って天翔り、不老不死になれるとされています。そうした桃に埋め尽くされた谷の先にある世界は、この世ならぬ、仙人のような人たちの住む理想郷と考えられたのです。
この『桃花源記』は、じつは 陶淵明の完全な創作ではなく、具体的なモデルとなった町があります。
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