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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.179
2019年12月5日号
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◆今回の内容
○呪いと救い
・稲荷と犬神
・呪いの名所
◯お知らせ
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呪いと救い
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「呪い(のろい)」というと、なにやら怨念じみた禍々しいことのようですが、これを「呪い(まじない)」と読み変えるとだいぶ印象が異なります。子供が軽い怪我をしたときに「痛いの痛いの飛んでけ」と言ったり、雷が鳴りだしたときに「遠くの桑原、遠くの桑原」と唱えるようなものを呪い(まじない)と呼びますが、これらも、その意味を考えてみると、傷の痛みを与えている神仏を祓ったり、雷神に対して遠くへ行けと念じる呪い(のろい)そのものなのです。
そんな視点で見ると、私たちの周囲には、呪い(のろい)がたくさんあることがわかります。
今、寺社を巡って御朱印を集めることがブームになっていますが、この御朱印もそうですし、護符も悪霊や悪鬼を呪い祓うものです。「棚上げ」という言葉がありますが、これも本来は呪いに関係した言葉でした。怨霊や邪気に対して、神棚に上げて、神として祀るから祟らないでほしいと念じて(呪って)、それから逃れることを指したものだったのです。年末に行う「煤払い」も、もとは「呪詛(すそ)祓い」と言い、生きて生活していれば、自然に溜まってしまう業=呪いを一年の締めくくりに精進潔斎して祓い落とすという意味でした。
今回は、こうした身近に溢れている呪いを見つめ、呪いとはなにかということを考えてみたいと思います。
●稲荷と犬神
先に棚上げについて触れましたが、怨霊や邪気を神祀りして神棚に上げることはじつは少なく、ほとんどの場合、神祀りして簡易的な神棚を作ったら、それは集落の外れや辻に置き去りにされました。私が幼い頃の田舎では、時々そんな打ち捨てられた小さな神棚を見かけました。好奇心いっぱいにそんなものに近づいていくと、祖母に厳しく制されたことを思い出します。
今では、そんな打ち捨てられた神棚などは見なくなりましたが、若宮様と呼ばれる小さな祠は、集落の外れや屋敷の角でしばしば見かけます。これも同様に神祀りした悪霊や怨霊を封じ込めたものです。小松和彦は『呪いと日本人』の中で、六部(りくぶ)殺しの名残としても若宮が祀られることが多かったと紹介しています。かつて、貧しい地方では、旅人や遊行の僧を家に泊めて、その金品を奪って殺すといったことがしばしばありました。殺した旅人や遊行僧が祟り、怨霊となったのが六部で、その六部を弔い、神上げして若宮として祀る例が多かったというのです。
若宮様と同じように、小さな稲荷を祀った祠もよく見かけます。こうした稲荷の多くは江戸時代に設けられたものですが、これは稲荷神社を勧請したものではなく、いわゆる「狐憑き」として取り憑いた狐の霊をお祓いした後に、それを閉じ込めるために設けた祠がほとんどです。若宮様と同じように屋敷の敷地の角にお稲荷様の祠が置かれていたりもしますが、これも同様です。上野寛永寺の境内には「お円稲荷」がありますが、これは、お円という娘に取り憑いた狐の霊を祀ったものです。
狐憑きのようなものは、古代、陰陽師が登場する以前に呪術師として活躍した呪禁師(じゅごんじ)たちが使ったとされる蠱毒(こどく)と呼ばれる呪いに由来します。蠱毒とは、動物霊を使役して人に呪いをかけるもので、蛇、犬、狐、トカゲ、カマキリ、ムカデ、イナゴなどの動物を何十匹もひとつの容器に閉じ込めて共食いをさせて、最後まで生き残ったものを使役神とした呪術の方法です。『本草綱目』には、生き残った動物に怨念を込めて殺し、それを焼いた灰を呪殺したい相手に飲ませれば、効果を発揮すると記されています。
また蠱毒は呪殺に用いられるだけでなく、これを使って秘術を行うことで、富を得ることができたとも伝えられています。横溝正史の小説で後に映画化された『犬神家の一族』がありますが、この犬神というのも、まさに蠱毒から連なるものです。昔の田舎では、犬神筋とか猿神筋、長縄(蛇)筋と呼ばれる家系がありました。いずれも富裕な家系ですが、その富の源泉が犬や猿、蛇などを神上げして利用した結果だとして、忌み嫌われもしたのです。
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