□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.178
2019年11月21日号
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今回の内容
○大地の営みと聖地
・フォッサマグナ
・大地の躍動を感じる何か
・プレート境界に並ぶ縄文遺跡
◯お知らせ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
大地の営みと聖地
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
前回、八ヶ岳の西麓から南麓にかけて、縄文時代のストーンサークルが多く見られることに触れました。それらのストーンサークルは、いずれも八ヶ岳をいちばん重要なランドマークとしてとらえていますから、一種の「八ヶ岳信仰」を示しているようにも見えます。
一般的な山岳信仰は、山を自分たちの祖霊がいる場所であり、死んだらそこへ帰っていくと考えるものです。縄文時代にも葬送の儀式は見られますから、心霊の帰る場所としての八ヶ岳が意識されたこともあったかもしれません。しかし、縄文時代の山岳信仰といえば火山信仰のほうがポピュラーですから、八ヶ岳を火山として崇めていたと考えるのが自然な気がします。
八ヶ岳にはこんな神話が伝わっています。「昔、富士山の女神(浅間様)と八ヶ岳の男神(権現様)が高さを競って争った。阿弥陀如来が、この喧嘩の仲裁に入り、高さ比べをするために、両方の山の頂上に樋を渡して、その中央から水を流した。すると、水は富士山の方へ流れていった。これで、八ヶ岳のほうが高いことがわかったけれど、富士山は自分が負けた悔しさのあまり、八ヶ岳を蹴り飛ばし、そのせいで八ヶ岳は頭が割れて吹っ飛んで、八つの峰の山となった」。
この神話は、山体崩壊を伴う巨大な噴火で頂上部分が吹き飛ぶ様子を想像させます。地質学的には「古阿弥陀岳」と呼ばれる太古の八ヶ岳は、今のような峰を連ねる形ではなくて、富士山のような一つの峰の山で、標高は3400メートルあまりあったと推定されています。現在の富士山の標高は3776メートルですが、古阿弥陀岳と同じ地質年代の古富士山は標高2400メートルと推定されていますから、古阿弥陀岳のほうが1000メートルも高く、神話の内容に一致します。
古阿弥陀岳は現在の阿弥陀岳付近を火口として山体崩壊を伴う激しい噴火が起き、現在のような連峰型の八ヶ岳になりました。これはまさに巨大な何かが古阿弥陀岳を蹴り飛ばして頭が吹き飛んだような様相ですから、これも神話に符合します。
ところが、古阿弥陀岳のこの噴火は、約20万年前の出来事なのです。縄文時代どころか現生人類が登場する15万年以上前です。そんな時代のエポックを神話が語っているのはどうしてでしょう。地質学的に八ヶ岳の噴火史が解明されたのは昭和に入ってからのことで、この八ヶ岳創生の神話は、それ以前から伝えられてきました。ですから、八ヶ岳の生成史が解明されてから作られた新しい神話というわけでもないのです。
神話や伝説が、太古の地質学的なエポックを奇妙なほど正確に語る例は、伊豆の創世神話や琉球の創世神話などにも見られます。今回は、それがどうしてなのかについて試論を展開してみるつもりですが、その前に、もう一つのストーンサークルについて触れてみたいと思います。
八ヶ岳山麓だけでなく、富士山周辺や東京の西部にストーンサークルが多く見られることも前回触れましたが、八ヶ岳の北方、北アルプスの麓の大町市にも「上原(わっぱら)遺跡」と呼ばれる縄文時代前期(およそ5000年前)のストーンサークルがあるのです。
上原遺跡は北アルプスの東麓に位置します。そこから両側を山岳に挟まれた溝状の地形を南に下って来ると八ヶ岳山麓のストーンサークル群があり、さらにそのまま南下していくと、富士山麓から東京西部にストーンサークルが点在するという格好になっています。ストーンサークルだけでなく、一般的な縄文遺跡を見ても、この地域にかなり集中しているのがわかります。じつは、この分布は、ほぼフォッサマグナに合致しているのです。
●フォッサマグナ
「フォッサマグナ」という言葉は、地理で習ったはずですが、正確に理解している人はあまりいないと思います。それも当然で、フォッサマグナの成り立ちとその性質が明らかになったのは、ここ数年といってもいいくらい新しいのです。フォッサマグナは地質学的にとても珍しい地質構造で、世界中でここにしか見られないものです。地球深部の複雑なマントルの働きと、それに連動したプレートの動きに関係していて、日本列島の成り立ちそのものを決定づけるものでもあるのです。
>>>>>続きは「聖地学講座メールマガジン」で
初月の二回分は無料で購読いただけます。
コメント