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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.158
2019年1月17日号
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◆今回の内容
◯大嘗祭の意味
・大嘗祭と日本神話
・大嘗祭が祀る神とは
◯お知らせ
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大嘗祭の意味
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昨年の11月、天皇の代替わりの後に行われる践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)について、秋篠宮が疑義を呈したにもかかわらず、宮内庁がこれに取り合わなかったことがわかり、物議をかもしたのは記憶に新しいところです。
秋篠宮は、践祚大嘗祭が宗教色が強い儀式であることから、新たに神殿を建てたりせずに宮中の神嘉殿(しんかでん)を活用して費用を抑え、これを天皇家の私費である内廷費で賄うという具体案を示していたのですが、宮内庁はこれを本格的に検討せずに、公費である宮廷費を使って新たに大嘗宮を設けて執り行うことにしていたという問題です。
神嘉殿は、毎年11月に「新嘗祭(にいなめさい)」と呼ばれる天皇が行う収穫祭の行われる場所です。践祚大嘗祭は天皇が交替して初めて行われる新嘗祭のことですから、秋篠宮の主張は的を射たものといえます。結局、神嘉殿を使って践祚大嘗祭を行えば、天皇家の私的な内廷費の積み立てから3億円程度を支出すれば賄えるはずなのですが、新たに大嘗宮を造営して行うという当初の方針が貫かれ、費用はその10倍近くあるいはそれ以上になるだろうと予想されています。
そもそも践祚大嘗祭とは、どのような意味を持つ儀式なのでしょうか。今回は、天皇家にとって最大の儀式であるこの践祚大嘗祭について掘り下げてみたいと思います。
●大嘗祭と日本神話
先にも書きましたが、そもそも践祚大嘗祭は新しい天皇が即位して初めて行われる新嘗祭のことです。この新嘗祭は宮廷の中でもっとも重要な収穫祭なので大嘗祭とも呼ばれていました。践祚とは天子が位を受け継ぐことを意味しますから、践祚大嘗祭はその名の通りの意味となります。
大嘗祭は7世紀の皇極帝の時代から始まったとされています。占いによって選ばれた斎田で穫れた新米を天皇が神に捧げ、それを自らも頂いて神と共食し、収穫を祝います。さらに践祚大嘗祭では、その後に新しい天子となるための秘儀がとり行われます。
源高明によって撰述された『西宮記』や大江匡房が著した『江家次第』には、新王は天の羽衣なるものを着て湯浴みした後に,悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿で新穀を食した後に、神座に設けた御衾(おふすま=寝具)に伏すと記されています。
新穀を共食するというのは、収穫祭という性格上ごく一般的な儀式といえますが、その後の神座に上がって御衾で神と同衾するという神事はかなり特殊です。これは、日本神話の中の天孫降臨のエピソードになぞらえられた儀式だといわれています。
日本書紀本文の天孫降臨の段では、天皇の祖先とされる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高天原から地上に降臨する際、高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)が真床追衾(まとこおふすま)で瓊瓊杵尊を包んだと記されています。
践祚大嘗祭で新天皇が神座に設けた御衾に伏すのは、天孫降臨を再現し、新天皇が真床追衾に包まった瓊瓊杵尊に擬態しているのは明らかです。これは秘儀であるため、その儀式の詳細は不明ですが、その目的は天孫降臨における瓊瓊杵尊の姿を擬態するだけでなく、瓊瓊杵尊の神霊を降ろし、これと同衾することで新天皇に瓊瓊杵尊の神霊が乗り移ることで、正式に皇孫に連なるということを表していると考えられます。
大嘗宮に天皇が入御する際には、行列の先頭に采女(宮廷女官)が先頭に立って先導しますが、これも瓊瓊杵尊が天下る際に、ウズメがその行列の先導をしたという天孫降臨神話を再現したものといえます。
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