昔から土地が漂わせる独特の雰囲気のようなものに興味があった。とくに登山やトレッキング、それにキャンピングなどで自然の中に身を置いていると、五感で感じ取るもの以外に、「気配」として感じられるものがあり、それが土地の個性そのものだと思え、それに惹きつけられた。
そうした土地の個性を醸し出す条件というのは、いったい何か。
地形はもちろんポイントとなる要素だし、地質も関係しているだろう。他に、その場所にまつわる歴史的な背景もあるだろうし、地域によって異なる文化的な背景も関係しているかもしれない。そんなことを考えているうちに、デジタルマップとGPSというツールが登場し、さらには様々な地質学的なデータや地球物理学的な知見が手軽に参照できるようになって、具体的に条件を絞り込めるようになった。また、そんな絞り込みを助けてくれるプログラムも使えるようになり、体系的に分析できるようになった。
それに、文化人類学や民俗学、宗教学、象徴学といった学問の体系を組み合わせると、その場所と関わりのあった人間や集団の意識が表出してくる。
神社仏閣や遺跡といった聖地や、奈良、京都、東京(江戸)のような古代から近世にかけて建設された都市を分析すると、土地が持つ「地勢」のようなものとそこに関わった人の意図がはっきりと見えてくる。そうした考察にフィールドワークでの検証も合わせて発表してみると、仕事に繋がるようになった。メディアで寄稿したりテレビに出演するだけでなく、地域や観光関連の企業からの依頼で、地域に眠っている聖地を調査し、その立地や構造の意味を明らかにして観光資源として活かしたり、「聖地観光」という観点からツアーコースを策定し、時によっては自分がガイドするといったようなことだ。
最近では、その幅が広がって、個人の住居や企業の事業所の立地や構造に関してアドバイスをしてほしいといった案件が増えてきた。昔なら風水や易占などに頼ったところだろうが、地域社会とそれが支えていた伝統というか因習が崩壊してしまい、一般には「得体の知れない」ことに関しての専門家がいなくなってしまったということがあるだろう。
近代以降は、効率優先の合理的な建築がメインとなり、かつてはそうした知識を多少なりとも持ち合わせていた建築士や開発業者も、非合理に見える風水や易などは無視するようになった。
それでも、家を建ててそこで家族が暮らしたり、事業所を設けようとなれば、リアルに自分と子どもたちの幸福を考え、事業の発展と従業員の幸福を願うから、単に合理的なだけではない安心できる「何か」の裏付け欲しくなる。その何かを求めても、昔のように合理性を欠いた占いのようなものを信じる心情は持てないし、「スピリチュアル」などと称するものには、運命を託したりできない不信感がある。そんな心情はよく理解できる。
トポロジー=位相学という言葉があるが、この言葉はギリシア語の「トポス」を元にしている。トポスとは位置や場所を意味するが、それは単なる場所ではなくて、そこで何かが喚起されるという意味を含んでいる。そうした「トポス」は、古来、哲学や地理学、宗教学の探求において、テーマとされることが多かった。それは、人が「場所」というものに特別な思いを持ってきたからにほかならない。個人が場所に対して抱くそんな思いは現代でも変わっていない。
これまでずっと聖地の構造やネットワークを調べ、それにまつわる科学や思想も研究してきたので、それを個人の住宅や事業所などにも援用できるという自信はあった。でも、パーソナルな問題となると、ただアカデミックに取り組み、推論を導き出して、それを物語として構成するといったやり方では済まなくなる。そんな思いもあって、「さすがに風水師や易者じゃないから頼られても困る」と断っていた。
ところが、知人の紹介で、どうしてもという依頼があり、初めて事業所の移転に関しての調査というか、「観立て」のようなことをすることになった。
その企業には、創業当時から顧問として風水や家相を観る専門家がいたのだが、その人が亡くなり、新たな事業拡大のために工場を設置する場所を確定できずに困っているのだという。今まで発展してきた過程で、事業所や工場をどこにどんな構造で展開してきたのかを詳しく聞き、それを地図上でシミュレーションしてみると、はっきり法則性があるのがわかった。基本的に南北のラインと二至のラインが目安になっていて、そのラインから外れないように、事業所を移転したり、工場を建てていた。また、そうした施設の構造も二至の太陽の運行ラインを意識して造られていて、さらに周辺の寺社などの聖地との位置関係も計算されていた。
この事例に出くわしたときに、ぼくが今駆使しているデジタルマップやGPSや地理学的なデータを用いずに、まさにドンピシャで計算できる先人がいたのだと感動してしまった。
そんなことがあってから、個人の依頼も受けてみるようになった。
別荘にある池を潰して敷地を有効活用したいのだけれど、大切にしていた池なので何か意味がないか調べてほしいといった話もあった。これは、敷地内の配置を調べてみると、おおまかに風水を意識した上で、池を二至のラインの上に設け、池の畔に置いた不動明王像に冬至の朝日が反射するようになっていた。こうした例は、不動明王を祀った寺院によく見られるもので、魔除けの意味があると伝えた。さらに、不動明王にこの日の朝日が当たるのが主眼だから、必ずしも池でなくてもいいのではないかとアドバイスした。
また、最近の事例では、新たな事業所の用地の地勢をシミュレーションしてほしいというケースがあった。まず、必要な情報として用地の住所と図面を用意してもらい、その敷地の方位的な特徴を解析した。場所は、太古からの安定した丘陵上で、東から南方向が開けていて、環境的にはのびのびとして明るいところである事がわかる。建物の構造も、豊かな日照の恩恵を十分に受けられるようにうまく設計されている。
そうしたことを見越したうえで、立地する土地周辺の歴史を掘り下げてみた。用地の近くには縄文から古墳時代にかけての遺跡が点在していて、太陽信仰の祭祀が太古から行われていたことが想像できた。そして、戦国時代にはこの地方の有力武将がその本拠地となる城郭を築いたが、その城を中心とした結界の構造を調べてみると、事業用地がその二至ライン上に位置していることがわかった。
城は、南東にある自然地形のランドマークから冬至の太陽が昇り、反対の北西側にあるこれも自然地形のランドマークの方向に夏至の太陽が沈むように、二つのランドマークを結ぶライン上に築かれている。そのライン上にぴったりと用地も載っていた。さらには、城が築かれたのは安定した丘陵の頂上部で、それも共通していた。このラインに沿って今は県道が直線を描いているが、それは古い街道で、まさに街道そのものがこのラインになっている。こうしたことがわかれば、先例を基準にして、その土地に刻まれた物語を正確に描き出すことができる。
古来の魔術的思考では、ミクロコスモスとマクロコスモスは構造的にコレスポンデンス(照応)関係にあるとする。マクロな構造がミクロな構造の中に折り畳まれているのはフラクタルでも同じだ。かつては都市計画の中に組み込まれた区画の中にも、さらにはその中にある住居も、共通の仕組みや構造を意識していて、それが全体の調和を形作っていたのだろう。
今まで、仕事のメインは地域全体や比較的広い区画を対象にしてきたけれど、それと並行して「ミクロな部分=個人や企業に関わる部分」にも目を向けていかなければならないなと感じている。地域おこしというのも、そんなコレスポンデンスな視点と施策が必要だろう。
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