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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.146
2018年7月19日号
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◆今回の内容
◯諏訪と伊勢そして出雲
・奥三河の花祭り
・霜月神楽で繋がる諏訪・奥三河・伊勢
◯お知らせ
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諏訪と伊勢そして出雲
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前回は、諏訪をテーマに、日本神話に描かれる諏訪神と実際の諏訪に伝わる信仰とのギャップを掘り下げてみました。諏訪神である建御名方(タケミナカタ)が出雲から落ち延びてきて、諏訪を根拠地としたというのは表向きで、じつは諏訪には漏矢信仰とその源流をなすミシャグチ信仰が伝わっていて、さらにそれは縄文時代にまで遡るというものでした。
縄文の信仰というのは、そもそも土偶が何を意味していたのかが謎であるように、縄文人が何を考えていたのかということは、大きな謎になっています。諏訪に伝わるミシャグチ信仰は、シャグジやシャグジン、石神、将軍、大将軍などの呼び名があり、全国に広がっています。東京の石神井もやはりミシャグチ=石神が由来だと伝えられています。そうした分布地と縄文の祭祀遺跡の分布は重なり合うところが多く、諏訪のミシャグチ信仰を分析していくことは、謎の縄文人の心性を解き明かすことに繋がるかもしれません。
今回は、諏訪を解き明かしていくと見えてくる伊勢との関係に焦点を当て、さらに伊勢という土地が、出雲と非常に親しい関係にあったということに触れたいと思います。
●奥三河の花祭り●
かれこれ、30年も前のことです。私の祖母が94歳で大往生しました。私の両親は共稼ぎだったものですから、私は祖母に育てられたべたべたのおばあちゃん子でした。祖母が亡くなった通夜の晩、私は突然高熱を出し寝込んでしまいました。それは、祖母を亡くしたショックというわけではなく、自分でもまったく予期しなかった突然のことでした。
田舎の葬儀ですから、地区の人などが手伝いに来て、忙しいのに、私は人事不省だし、やはり私と同じく祖母に育てられた妹は、ちょうどその時、臨月で葬儀の手伝いもできず、私の看病をするはめになりました。当の私はそんなことはつゆ知らず、不思議な夢を見ていました。
夢の中で私は、靄の掛かった川面に舟を浮かべ、ゆっくりと櫓を漕いでいました。小さな舟の舳先には、白装束を着て、不思議な形の菅笠を被り、太い八角形の断面の木の杖を握って座る祖母の後ろ姿がありました。
舟は鏡の上を滑るように、なんの抵抗も感じずに対岸まで行き着きました。舳先が対岸の小さな桟橋に着くと、祖母がすっと立ち上がり、まったく危なげなく、まるで宙を浮くように動いて岸に立ちました。
私も祖母の後から上陸しようと、握っていた櫓を置いて、舳先の方に進みました。すると、祖母は私を制するように手を上げて、「おまえはこっちには来れないよ。向こう岸にお帰り」と静かに言いました。私は、それが祖母との別れになると感じてとても寂しい気がしたのですが、その言葉に従い、櫓を取り直すと、舟を回して漕ぎ進めました。時々振り返ると、祖母は、小さな体をずっとこちらに向けて、手を振っています。その姿は、私が帰省して東京に帰るときに、バス停まで歩いていく私に向かって、いつまでも手を振っていた、まさにその姿でした。
しばらく進むと、祖母の姿は靄に飲み込まれ、前方には岸が近づいてきました。そして、祖母が上陸したのと同じような桟橋に上陸すると同時に、私は現実に帰ってきました。そこには、私を心配そうに見下ろす妹の顔がありました。
もう、通夜が開けたことを妹は教えてくれました。私が夢の内容を妹に話すと、妹は「おばあちゃんは、お兄ちゃんのことがいちばん可愛かったから、お兄ちゃんに最期の橋渡しをしてほしかったんだね」と納得したように呟きました。
そんな不思議なことがあって、一週間後、私は、何気なく見ていたテレビの中に、三途の川を渡ったときの祖母とまったく同じ装束をした人を見ました。
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