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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.133
2018年1月4日号
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◆今回の内容
◯シンクロニシティと2018年の抱負
・年齢のシンクロニシティ
・龍燈伝説のシンクロニシティ
◯お知らせ
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シンクロニシティと2018年の抱負
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あけましておめでとうございます。
みなさんは、どんな年末年始を過ごされたでしょうか。私は例年と変わりなく、年末年始という自覚のないまま、ずっと自宅で本を読んだり調査の資料をまとめたりして過ごしていました。
12月27日と30日には、前回お知らせしたNHKの「さし旅」が放送されて、それを見ていた友人や実家の母から電話をもらったり、フェイスブックでメッセージやコメントをいただいて、それがなんだか2017年の締めくくりのような形になりました。
それにしてもNHKの地上波の影響力は大きいですね。私が登場したのはほんの10分ほどで、たいして中身のある話でもなかったのに、驚くほどの反響をいただきました。以前、ローカル放送で1時間の特番に出ずっぱりだったときも、関西テレビで30分出ていても、またBSで30分出ていてもほとんど反響がありませんでしたからね。ちなみに、今度は、「ブラタモリ」からお呼びが掛かるのを待っております(笑)。
ところで、今回は新年第一号でもありますし、みなさんもお屠蘇気分が抜けきっていないかと思いますので、難しい話は次回からということで、私が最近体験した不思議なシンクロニシティについてお話してみたいと思います。
【年齢のシンクロニシティ】
年末、あることから、ふと、学生時代に影響を受けた人物は誰だろうと考えました。真っ先に思いついたのは、ミッシェル・フーコーでした。フーコーはフランスの思想家で、当時の哲学・思想の世界を席巻していたポスト構造主義の泰斗であり、私が大学生だった1980年代前半には、もっとも注目される思想家の一人でした。
イデオロギーに囚われず、世界をプレーンな目で見て、事象の裏側にある関係性をあぶり出して、根源を追求するというスタイルは自由で、とてもかっこよく見えたものでした。監視社会の分析を監獄が誕生する歴史から始める『監獄の誕生』や、中世にはコミュニティの中の許容要素とされていた狂気が排除の対象になっていくところから資本主義を分析していく『狂気の歴史』など、世界を見つめる多様な視点を提示してくれたフーコーにのめり込んでいたのです。
ところが、そのフーコーは、絶頂期ともいえる1984年に、エイズで急逝してしまいました。まさに私がいちばん嵌っていたときだったので、人生の最大の師を突然失ったようなショックを受けたものでした。
そんなことから、ふとフーコーは何歳で亡くなったのだろうと思い、調べてみると享年は57歳でした。禿頭で眼光鋭く、物腰が落ち着いた人だったので、もっと歳がいっていただろうと思っていたので意外でした。さらに、私はこの15日にフーコーの享年と同い年の57歳になりますが、今の私の未熟な知識や浅い思考と比べて、フーコーという人がいかに物事を深く広く考察していたかが、今更ながら胸に響いてきました。
それが、年末にいちばん印象深い出来事だったのですが、年を越して、2018年はフーコーに迫ることはできないまでも、少しでも知性を磨きたいと、今まで触れずに来た古典を紐解いてみることにしました。その第一弾として選んだのは、ダンテの『神曲』でした。
Kindle版の『神曲』をさっそく読みはじめると、最初に簡単な年譜があり、そこには、ダンテは56歳で亡くなったと記してありました。ダンテは、まさに今の私と同い年で亡くなったわけです。偶然が二つ続くと、何かのメッセージだろうかなどと考えたくなるものですが、じつはもう一つ偶然が重なったのです。
この話は、前置きが少し長くなりますが、おつきあいください。
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