【今回のポイント】
・ヤマトタケルは朝廷と「まつろぬ者たち」との関係を象徴している
・ヤマトタケルはレイライン-結界のポイントを指し示す「記号」である
・近畿の五芒星の一角、伊吹山の山頂にあるヤマトタケル像が物語るもの
・ヤマトタケル東征ルートの真説
・碓氷峠と旧軽井沢はレイラインを構成する
・軽井沢開拓の祖である宣教師ショーはスパイであり、レイラインを熟知していた
・別所温泉がヤマトタケル=東国遠征軍によって開かれたという根拠
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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.64
2015年2月19日号
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◆今回の内容
1 ヤマトタケルとレイライン
伊吹山のヤマトタケル像
碓氷峠と旧軽井沢
上田・別所の夏至・冬至ライン
2 お知らせ
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ヤマトタケルとレイライン
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【伊吹山のヤマトタケル像】
琵琶湖の東岸に凛とした姿を見せる伊吹山は、日本百名山にも数えられ、その山頂からは琵琶湖から比叡の山々、大津の平野、関ヶ原方面まで見渡せます。その一角に、ヤマトタケルの像が立っています。
記紀神話では、ヤマトタケルは「小碓命(おうすのみこと)」として登場し、景行天皇の王子とされています。古事記では、小碓命は父の寵妃を奪った兄大碓命を素手でつまみ殺し、兄殺しの咎めを受けて、九州の熊襲建(くまそたける)兄弟の討伐を命じられたと記されています。
熊襲討伐を命じられた小碓命は直接九州へは向かわず、まず伊勢に向かいます。伊勢には、幼い時からの自分の理解者であり自らも慕っていた叔母の倭姫がいて、斎王を勤めていました。倭姫は小碓命に女物の衣装を渡し、ある策を伝授します。小碓命はまだ少年で、この衣装を纏うとうら若い乙女にしか見えませんでした。九州に入った小碓命は、女装して熊襲に近づき、隙を見て熊襲建兄弟を打ちます。このとき、熊襲建は小碓命の武勇に感嘆し、自らの名を与え、以後小碓命は倭建(ヤマトタケル)を名乗ることになります。
九州を平定したヤマトタケルは、その後、出雲(古事記)、吉備、難波の邪神を平らげ、大和に帰還します。
景行天皇は、ヤマトタケルの功績を讃え、兄殺しを許した上に皇位継承権を与え、今度は東国征伐を命じます。
この東国征伐でも、ヤマトタケルは直接東国へは赴かず、いったん伊勢へ向かい、倭姫と会います。そして倭姫から神剣草薙剣を受け取り、これを携えて東国征伐に向かいます。
東国征伐では数々の危難に遭いながらも、倭姫から渡された草薙剣で野中の火攻めの火をなぎ払い、相模の国走水では后である弟橘比売の自己犠牲によって海を鎮め、東国の邪神を征伐します。古事記では、相模から武蔵、上野の国を平定したとされ、日本書紀ではさらに陸奥にまで足を伸ばしたと記されています。
東国征伐からの帰途、ヤマトタケルは尾張国で美夜受比売と契を結び、姫に草薙剣を預けて、最後の敵である伊吹山の神との戦いに出かけていきます。伊吹山では、神の化身である白い大猪(古事記の記述。日本書紀では大蛇と記される)の毒気にあたり、さらに氷雨を受けて瀕死となってしまいます。草薙剣を持たないヤマトタケルは、伊吹山の神を討ち果たせぬまま、麓へと下りて伊勢を目指しますが、途中の能褒野(のぼの)でついに力尽き、ここで果ててしまいます。
最後の力を振り絞って向かった先が、夫婦となって草薙剣を預けた美夜受比売の元ではなく、叔母倭姫だったという点には、何か陰謀めいたものと、ヤマトタケルと倭姫との間のただならぬ関係を連想させます。神話の場合は往々にしてマクロな事象をミクロな人間関係に置き換えることがありますから、そうした視点で解釈すれば、伊吹山を本拠とする勢力と尾張の勢力は繋がっていて、ヤマトタケル=朝廷軍を尾張勢力が籠絡して力を奪い、このために伊吹山の勢力に朝廷軍は敗退し、援軍を求めて伊勢へ向かう途中で殲滅されたともとれます。そうした政治的な駆け引きや戦いの史料はまだ見つかっていないので断定はできませんが、可能性は多いにあると思います。
古事記と日本書紀では、ヤマトタケルの記述にかなり違いがみられることから、一人の人物の事績を記しているのではなく、大和朝廷と九州や出雲、吉備、難波、東国、それに伊吹山の神といった「まつろわぬ者たち」との多岐にわたる関わりをヤマトタケルという創作の人物を軸とした神話に仕立てたと見たほうがいいでしょう。
一方、ヤマトタケルはレイライン的な「記号」あるいは「シンボル」の意味もあります。
冒頭、伊吹山の頂上にあるヤマトタケルの像について触れましたが、この像は、最後にヤマトタケルが目指した伊勢を向いています。レイラインハンティングに掲載している「近畿の五芒星」の一辺は伊勢と伊吹山を結んでいますが、この伊吹山のヤマトタケル像は、まさにこのラインを示しているのです。
伊吹山の神をヤマトタケルが平定に行くというのは、近畿の五芒星という朝廷にとって最重要ともいえる結界を形作るためにどうしても欠かせない伊吹山というポイントを攻略するという意味があったのでしょう。
記紀神話ではヤマトタケルは伊吹山を攻略できずに終わりますが、その後、朝廷はこの地を支配していた産鉄民である伊福部氏を抑え、レイラインのシンボルとしてのヤマトタケルを伊吹山に置いて、近畿の五芒星を確立します。
また、尾張にも朝廷勢力が進出し、草薙剣を奪還して、これをご神体とした熱田神宮を創建します。
【碓氷峠と旧軽井沢】
ヤマトタケルの東国征伐からの帰還ルートは、古事記も日本書紀も共通で、武蔵国(現在の埼玉県)から上野国(群馬県)を経て、信濃国(長野県)に入ったとされています。古代、信濃国の国府は現在の上田市に置かれ、その国府から南西に進んだ別所温泉がヤマトタケルはこの別所温泉で東国遠征の疲れを癒やし、大和を目指して尾張国へ下っていくわけです。
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