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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.287
2024年6月6日号
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◆今回の内容
○聖域のフラジリティ
・神社とはなにか
・聖域と境界
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聖域のフラジリティ
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この数回にわたり、日本における聖地と人との関わりを、古代から中世、近世への流れを辿って読み解いてきました。なかでも自然発生的な聖地について焦点をあて、「虹の立つところに市を立てる」の故事にはじまり、そこが、いったんは自由なアジールとなりながらも、封建制の確立と近代化によって規制され、そこに集って社会の潤滑油となっていた自由民たちが迫害の対象とされていった様子を見てきました。
今、様々な情報が溢れ、雑多な人の感情が渦巻く騒がしい社会の中で、疲れを感じたり、むなしさを感じる人も少なくないと思います。一時期、「癒やし」という言葉が飛び交いましたが、それも、誰も彼も押し付けの癒やしを求めて癒やしの商品や癒やしのサービスに殺到するような状況でした。本来、心身とともに思考の弛緩をもたらすはずの癒やしが、逆に、欲望を掻き立てるものとなり、癒やしを執拗に求めるあまり、さらに疲弊するといった本末転倒の現象に堕してしまいました。
先日、八坂神社での、外国人観光客と日本人とのトラブルがSNSで拡散され、それがまた大論争となっていましたが、マナーをわきまえない外国人観光客に対する憤りが、さほどマナー違反をしているとも思えない外国人ツアーにぶつけられ、みっともない口喧嘩になっていましたが、その神社マニアらしき人のヒステリックな言動こそ、こうした聖域にはもっともふさわしくないものでしょう。そうしたことは、神社ブームとオーバーツーリズムの大波がかぶさることによって、どこの神社・聖域でも起こっています。
これは余談ですが、八坂神社には深い思い出があります。かれこれ20年前、仕事で八坂神社と道を挟んで向かいのホテルに数日滞在していました。その滞在中のある夜、京都で着物のデザイナーをしていた友人に誘われて、八坂神社裏の庭園でホタル狩りを楽しんだことがありました。
今はどうかわかりませんが、当時はここがホタルの名所であることは地元でもあまり知られておらず、夕闇の中、人影はまばらでした。いよいよ残照も消えて闇が落ちると、サラサラと涼しい音を立てて流れる小川の両岸をホタルが乱舞し、気がつくとその光の海の中に漂っていました。それは、まさに幽玄の境地そのものでした。八坂神社といえば、祇園が目の前で、そのすぐ先はもう京都の中心市街地です。そんな環境にあるので、なおさらその光景は現実のものとは思えないものでした。
後日、案内してくれた彼女が、八坂神社のホタルの乱舞をモチーフにした着物を見せてくれたのですが、そこでまた、あの光の海に吸い込まれるような感覚になりました。想像ではなく現に幽玄そのものの世界を目にできる京都という土地にあるからこそ、そのデザインは生み出されたものです。ただそれだけで、京都という街が持つ、様々なポテンシャルに圧倒された気がしました。
私にとっての八坂神社は、そうした心象風景が今でもはっきりと刻まれている場所ですから、SNSで目撃したあの醜い光景を心底残念に感じたのです。そういったことは、八坂神社だけでなく、多くの神社や聖域も同じで、私の記憶に残るそうした場所と現状の光景に大きなギャップを感じて悲しくなることが多々あります。
なにかとても大切なものが失われているという思いがずっとあります。だから、本来の聖地とはどんなものであったのか、そこに赴き集う人たちはどんな思いを持っていたいたのか、そんなことをもう一度辿り直してみたい。そんなモチベーションから取り上げたのが、この数回の聖地学のテーマでした。
今回は、その続きを追うとともに、一つの締めくくりとして、あらためて、聖域の構造と性質について考えてみたいと思います。
●神社とはなにか●
私が、レイラインハンティングをはじめた頃は、各地の一の宮のようなメジャーな神社も特別な祭礼以外には訪れる人も少なく、また、祭礼もその神社の神官と氏子が中心であり、見学に訪れる人も観光というよりも、儀式の意味を知って、それを深く味わうことが目的の人がほとんどでした。ですから祭事も粛々と進み、たとえ人が大勢いても、その場の静謐は保たれていました。それは、演目が進んでいる能楽堂の中のようでもありました。
そうした神社の静謐さは、構造そのものにも由来します。神社はもともと神籬(ヒモロギ)のような場所であり、神が降臨する依代、磐座のようなものが母体になっています。虹のたもとに市が立てられたのは、虹が神籬の場所を示す目印、依代や磐座と同じだと考えられたからです。
神社の中心には何もありません。「御神体」のようなものが置かれていることもありますが、それはただ仮に置かれているものであって、それに常に神聖が宿っているとは考えられていませんでした。社=屋代は、あくまでも神が降臨する場所を示す目印として置かれたものであって、もしその中に余計なものがあれば降臨の邪魔になるわけですから、空っぽでなければいけないのです。そこに降臨する神も、キリスト教のヒエロファニー(顕現)のようなあからさまなものではなく、あくまでも「気配」であり、極めてフラジャイルでデリケートなものと考えられてきました。
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