□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.288
2024年6月20日号
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今回の内容
○「常世」は若狭にあったのか
・「常世(とこよ)」の思想
・天と地、冥界を結ぶ天の橋立
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「常世」は若狭にあったのか
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
若狭湾一帯は、大陸や朝鮮半島からの文化が流入した拠点の一つで、今でもその痕跡が濃く残っています。2004年から15年に渡って私がツアーを案内した「お水送り」とそれに関連する不老不死の伝説などは、大陸由来の道教や朝鮮神話がそのまま伝わったものです。
そんな若狭をつい先日も巡ってきました。それは、毎年のルーティンであるツーリングマップル(昭文社から発売されているライダー向けの情報地図)の取材とともに、この秋に行われる若狭湾周遊スタンプラリーの取材も兼ねたものでした。もう何十回訪ねたかわからない若狭ですが、そこは訪ねる度に新たな知見とインスピレーションを与えてくれます。
今まで、この講座でも、お水送りや八百比丘尼の伝説、さらに空海にまつわる話や徐福伝説などを取り上げてきましたが、今回は、丹後半島に伝わる浦島太郎伝説を軸に、若狭が「常世の国=不老不死の国」と考えられた背景を考察してみたいと思います。
●「常世(とこよ)」の思想●
江戸後期の国学者、伴信友は『若狭旧事考』で、「さて、遠敷(おにゅう)という義は美しき丹土の出るところ多し、故に小丹生(遠敷)といふ」と記しています。また、藤原京や平城京跡地から、「小丹生郡」や「遠敷郡」という地名が書かれた木簡が出土しています。この遠敷は、奈良のお水取り神事で汲み上げられる「若水」を送る神事「お水送り」が行われるまさにその場所です。
お水取りの縁起では、奈良東大寺二月堂の修二会に遅れてやってきた若狭の遠敷明神が、お詫びに若狭の閼伽井から汲み上げた不老長生の水である「若水」を送り(お水送り)、それを修二会の際に東大寺二月堂にある若狭井から汲み上げて、本尊の十一面観音に捧げる(お水取り)とされています。
ここに登場する遠敷明神は、若狭では土地の創世神である若狭彦・若狭姫という一対の神で、この二神は海からやって来て、その姿は少年少女のまま衰えることがなかったとされます。
丹生とは水銀のことで、地名に丹生もしくは丹と付く場所は中国の仙術である煉丹術に深く関係しています。煉丹術では水銀をベースとした仙薬を飲むことで不老不死になれると信じられ、それを求めた秦の始皇帝は、東の海の先にある蓬莱山に徐福を派遣して、その仙薬を求めさせたわけです。
さらに、若いときに山林修行で煉丹術に触れ、入唐してさらにその知識を深めたと考えられる空海は、良質な水銀を求めて各地を探索し、最終的には丹生都姫が祀られていた水銀鉱脈上の高野山に拠点を設けるわけですが、この若狭でも良質な水銀鉱脈を発見しています。
若狭湾沿岸は「丹」が付く地名が多くあります。若狭湾の西に突き出た半島は「丹後半島」、その付け根部分は「丹波」です。どちらにも水銀やそれが象徴する不老不死にまつわる伝説が数多く残っています。
秦の始皇帝が徐福を東の海上にあるとされた蓬莱山に派遣したことが物語るように、日本海を挟んだ大陸や朝鮮半島側からすれば、対岸の若狭湾沿岸は、不老不死を実現した仙人が住む「常世の国」と想像されていたのかもしれません。
丹後半島の突端近くの伊根には、徐福の上陸地と伝わる新井崎神社があり、その目と鼻の先には浦嶋神社(宇良神社)が鎮座しています。『日本書紀』巻十四、雄略天皇二十二年の秋七月の項には「丹波国餘社郡の筒川の人、水江浦嶋子、船に乗りて釣す。遂に大亀を得たり。便ち女に化為る。是に浦嶋子感りて、婦と為し、相遂いて海に入りぬ。蓬莱山に到りて、仙衆を歴観る。語は別巻に在り」とあります。
>>>>>続きは「聖地学講座メールマガジン」で
初月の二回分は無料で購読いただけます。
最近のコメント