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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.285
2024年5月2日号
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◆今回の内容
○聖と穢れ・失われた聖性
・聖と俗を結ぶ者
・穢れを扱う人々
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聖と穢れ・失われた聖性
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前回は、「虹の立つところに市を立てる」という話から、聖地の成り立ちの一つの形態に焦点をあて、聖地が聖と俗を結ぶ結節点であるとともに、俗な権威や権力から隔離されたアジールとして機能するようになったことを縁切寺などを例に掘り下げてみました。
そうした聖地は、当然、そこを運営する人間がいなければ成り立ちません。聖地は聖と俗の結節点であるわけですから、その運営に携わる人間は、俗から離れた人間でなければいけないわけです。神職や僧侶は寺社という聖地を管理する者ですから、当然、俗から距離を置いていなければなりません。さらに、聖地は寺社だけでなく、古くは市場もそうでしたし、葬送に関わる場所も聖地ですから、それらを管理、守護する役目を負った人たちがいました。彼らもやはり俗から距離を置く人たちでした。
俗世間に身を置く人間にとって、彼らはいわば不可触の民でした。古代から中世にかけて、そうした聖地や聖に関わる不可触の民は、神に近いものとして畏怖の対象でしたが、封建社会が成立して経済原理が支配するようになっていくと、彼らは被差別民としてその存在を貶められていきました。
今回は、前回の流れの続きとして、そうした聖地や聖に関わる人間に焦点を当ててみたいと思います。
●聖と俗を結ぶ者●
かつては、その年に最初に収穫された米を「初穂」といいました。この、「初穂」は収穫をもたらしてくれた神に捧げられ、神聖な蔵に収められました。また、稲作が難しい地方では、米以外の様々な収穫物が「初穂」と呼ばれて収められました。
拙著『レイラインハンター』でもとりあげましたが、奥能登の珠洲市は、かつてイルカ漁が盛んなところで、その港に近い高倉神社に、最初に穫れたイルカが「初穂」として捧げられていました。
江戸時代初期、幕府が檀家制を整備して各地区の檀家寺が戸籍を管理するようになると、土地の神社よりも寺のほうが住民に対する影響力を強めます。珠洲でも同様にこの地区を管理する檀家寺の支配力が強くなり、イルカを屠る儀式が殺生を禁じる仏教の教えに背くとしてイルカの初穂を禁止しました。すると、翌年の漁ではイルカがまったく穫れませんでした。困った漁民は初穂の復活を嘆願します。寺がこれを許して儀式を復活させると、その後は元通りにイルカが水揚げされるようになったと記録されています。
近くにある縄文真脇遺跡からはたくさんのイルカの骨が見つかっていて、イルカを食用にするだけでなく、その骨や油を利用したり、装身具が作られたりしていたことがわかっています。さらに、アイヌのイヨマンテ(熊送り)と同じようなイルカの収穫を祈念する祭りが行われていました。高倉神社の「初穂」は、いわば縄文時代から続く祭りであり、神への捧げ物をきちんとしないと、神は贈り物としての獲物=イルカを与えてくれなくなるとずっと信じられてきたのです。
米を捧げる「初穂」は後に出挙(すいこ)という制度に繋がります。収められた初穂を共同体の首長が管理し、次の年に神聖な種籾として農民に貸し出され、収穫期が来ると、農民は蔵から借りた種籾に、若干の神へのお礼の利稲(利息の稲)をつけて蔵に戻します。こうした循環が出挙の基本的な原理です。奥能登の例では、イルカの初穂は交易によって米などに代えられ、それが出挙の原資とされました。
出挙は律令国家が成立すると国家の制度とされます。国衙の蔵に納められた租稲が春に農民に貸し付けられ、秋には五割あまりの利稲をつけて蔵に返させる正税となりました。これは、地方、諸国衙の財源になりました。また、出挙は「私出挙」として、一般の社会でもおこなわれ、ときに元本の倍以上の高利が課されました。この出挙の例から、金融という行為が、そもそも神のものの貸与、農業生産を媒介とした神への返礼を起源としていることがわかります。
中世になると、初穂は「上分」と呼ばれることが多くなります。日吉神社に捧げられた初穂は日吉上分物、日吉上分米、上分銭。熊野の神に捧げられたものは、熊野上分物と呼ばれました。こうした上分米や上分銭を資本として貸し付けが行われました。寺では寄付された銭を「祠堂銭」と呼んで、これが仏のものとして低利で貸し出されました。規模の大きな寺社ほど、金融の規模も大きくなり、利益が増えますから収穫逓増的に発展していきます。
このように交易や金融に関わることは、神の領域、俗界を越えた神仏の領域とみなされていましたから、商人や金融業者は神や仏の直属民という形で登場します。神の直属民は「神人(じんにん)」、仏の直属民は「寄人」、そして、神仏に準ずる立場とされた天皇の直属民は「供御人(くごにん)」と呼ばれます。供御とは、もともと天皇や貴人の食物を指しますが、後に、天皇の使うものを総称して供御というようになり、供御人とは天皇の日常に使うさまざまなものを貢納する人を指すようになりました。
典型的な供御人としては鋳物師があげられます。鋳物師は蔵人所燈炉供御人と呼ばれ、殿上で使う鉄の燈炉を天皇に差し出す代わりに、全国を自由に遍歴して鉄および鉄器物を販売する特権を認められていました。同様に、曲物をつくる檜物師も、檜物を作って市場で売り歩き、天皇の供御人になるとともに、あちこちの神社の神人になっているケースもありました。
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