昨夜は学生時代からの親友と久しぶりに酒を酌み交わした。
紀伊半島の突端、熊野灘に面した町に暮らす彼と顔を合わせるのは10年ぶりで、さすがにお互い歳を重ねたことを感じさせられる。
「今日はだいぶ歩いたから、黒ビールが飲みたいな」とWが言うので、新宿のビアホールへ。学生時代からあまり酒の強くないやつなのに、中ジョッキを立て続けに4杯も開けて、急に酒が強くなったのかと思っていたら、案の定潰れてしまった(笑)。
近くのホテルまでタクシーで帰ると言うが、夜風に当たって少し酔い醒まししたほうがいいだろうと、のんびり歩くことにした。
歩くほどに酔いが覚めてきて、「そういえば、おまえが熊野に帰ることになって、引っ越しの手伝いに行った晩は、俺が酔いつぶれたっけな」なんて昔を思い出していた。
学部生時代、ぼくは中野に住んでいて、Wはひと駅隣の高円寺に住んでいた。歩いて20分くらいの距離で、よくぼくのほうから泊まりに行った。ぼくのところは四畳半一間の傾きかけたボロ長屋で、Wは風呂付きの小奇麗な1DKのアパートに住んでいて、自分の住処より彼のところのほうが格段に快適だったのだ。
Wは、学部を卒業した後も、大学の図書館に通って司法試験の勉強を続けた。今のように法科大学がある頃ではなかったから、一年に一度の試験で合格しなければ、また翌年まで頑張らなければならない。
大学を卒業してから、他の友人達はみな就職してそれぞれの職場に馴染んでいき、学生時代からそのままの付き合いを続けていたのは、そんなWとフリーランスで学生時代の延長のような生活をしていたぼくの二人だけになった。
かつての仲間たちがみんな安定した生活を手に入れて、楽しく暮らしているのを横目に、Wは自分の目指した道をがむしゃらに進み、ぼくのほうは試行錯誤を重ねながら自分の進むべき道を探していた。貧乏で、苦しく辛いことばかりだったが、同志のようなWが身近にいたおかげで、惨めな気持ちにもならずに、楽しく暮らしていけた。
卒業から4年後だったか5年後だったか、Wの父親が倒れ、彼は故郷に戻って教師になる道を選んだ。ぼくが酔いつぶれたのは、Wが引越しする前夜の送別会のときだった。
「あのときは、ほんとに寂しくなったんだよな。ついに最後の仲間を失ってしまうような気がしてな…」
「まったく、あのときは、おまえらしくなかったな。まだ荷物の整理もついていないのに、わざわざ邪魔しに来たようなもんだったな」
あれから30数年が経ったなんて信じられない。
今回、Wが上京したのは、彼の娘が進学を希望する大学の下見のためだった。長男はすでに独立してJR東海に就職し、妹の方は外大に進学して留学する具体的なビジョンを持っている。ちょうど、Wとぼくが東京で青春時代を過ごしていた頃と同じ年頃に彼の子どもたちが達したわけだが、あの頃のぼくたちと比べると、はるかにしっかりしている。
Wをホテルまで送って行くと、一緒に上京した奥さんと娘のKちゃんがわざわざ出迎えてくれた。みんなで、ひとしきり昔話をして楽しい時間を過ごした。
新宿駅へと一人歩きながら、ほのぼのと幸せな気分になった。
揺れる電車の窓越しに流れていく夜景をぼんやり眺めていると、Wが故郷に帰ってからの30年という時が刻んだ様々な出来事が蘇ってきた。父親として立派に子供を育て、いい家庭を築いたWと比べると、自分の根無し草のような生き方が恥ずかしくなる。
しばらくすると携帯のメールが鳴った。Wからだった。
彼は、ぼくの離婚をとても残念に思っていて、今晩は経緯やらこの先、どのようにぼくが生きていこうと思っているのか心配で、その話がしたかったのだが、差し出がましいようで、どう切り出そうかと思っているうちに、強くもない酒を煽ってしまったと書いていた。そして、ぼくが息子の写真を見せて、時々会っているんだと言った瞬間に、急に安心して緊張が溶け、酔いつぶれてしまったのだと続いていた。
Wというかけがえのない友人を持てたことだけでも、ぼくは幸せだ。
コメント