先月の御嶽山の突然の噴火の後、今度はハワイのキラウエアが噴火して、人命の被害はないものの街を溶岩が飲み込んでいき、大きな経済的損失を与えている。
火山噴火は、人間の都合などお構いなしに、ときとして一つの文明を終わらせ、あるいは地球上の生物種を根絶やしにまでしてしまう。
川内原発の再開可否を巡って阿蘇や霧島などの巨大火山が破局的噴火を起こす可能性の高さなどが論じられているけれど、それこそ、浅はかな人間などに予測などつくはずがない…御嶽山だって予測できなかったのだから。
先日配信した聖地学講座は、そんな火山に対する信仰をテーマした。ちょうど今、タイムリーであり、また自然と人との関係を見直す上で、面白いテーマだと思うので、全文掲載してみたい。
**以下、聖地学講座第56回より転載**
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火山信仰の起源
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この講座の第25回では「火山を崇める聖地」のテーマで、伊豆諸島から伊豆半島にかけて広く分布する三島信仰やハワイ島のキラウエア火山の女神「ペレ」にまつわる不思議な話などを紹介しました。
今回は、先日の御嶽山噴火の後、俄に高まった火山に対する関心を受けて、火山国日本で火山が「聖地」として崇められ理由を火山信仰の起源という面から考えてみたいと思います。
【御神火】
日本では、古くから火山噴火を「御神火」と呼んできました。人智の及ばない神の領域に属する火は、先の御嶽山のような災害ももたらしますが、降り積もった火山灰は、長い年月が経つと養分をたっぷりと含んだ土となり、豊かな農作物を育み、また富士山麓の青木ヶ原樹海のような樹林更新が行われて、多くの動物を養い、さらには溶岩によって川を堰き止めてできた湖には魚が泳ぐようになり、雨水は山体に浸透して、広大な山麓に清水となって溢れ出します。それから、温泉も火山がもたらす恵みの一つですね。
御嶽山という名にもある「御」は、人間の畏怖と崇敬の気持ちを表しています。御山,御灰,御池,といった言葉は、火山崇拝の気持ちがそこに込められているわけです。また噴火口を「御火戸(ミホド)」と呼ぶ地方もありますが、これは、女性器を表す「ホド」に崇敬語の「御」をつけたもので、火山そのものを出産する女性に見立てているのです。
日本神話では、伊弉冉尊(イザナミノミコト)が国生みの最後に火の神「軻遇突智(カグツチ)」を産んで、このとき「ホド」を火傷して亡くなってしまいますが、これも火山が噴火した後に沈静化した状態を比喩的に伝えているものとも考えられます。火山の生命力の源であるマグマが噴出し終わり、その跡は暗い虚ろな噴火口が残る。伊弉諾尊(イザナギノミコト)は、妻恋しさに、その噴火口から黄泉の国へと降りていったのでしょう。
【浅間信仰】
日本でもっとも有名な火山といえば、もちろん富士山ですね。富士山の史上もっとも大きな噴火は、平安初期の貞観6年(864)から貞観8年(866)にかけて起こった貞観大噴火です。貞観11年(869)には、この噴火と連動するような形で3.11の東日本大震災と震源域を同じくする貞観地震が起こったため、この震源域と富士山噴火の関連性から、富士山の噴火が近いのではないかと警戒されています。
富士山もやはり女神の山です。木之花咲耶姫の化身が富士山であるとされ、富士山麓の浅間大社を中心に全国に点在する浅間神社の主祭神に木之花咲耶姫が祀られています。
日本神話では、天津神である瓊々杵命(ニニギノミコト)の妃となった木之花咲耶姫が一夜で身篭り、瓊々杵命は国津神の子ではないかと疑います。その疑いを晴らすため、「天津神である瓊々杵命の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に入り、火を放ちます。そこで生まれたのが火須勢理命(ホスセリノミコト)、火照命(ホデリノミコト=海幸彦)、火遠理命(ホオリノミコト=山幸彦)の三柱の子となっています。火中で子を産むというモチーフは、そのまま火山と結びつきます。また、木之花咲耶姫は水の神の側面も持っていますが、それは、山麓に豊富な雪解け水をもたらす富士山の実像に合致します。ちなみに、第三子である火遠理命の孫が初代天皇の神武天皇であるとされます。
ところで、どうして富士山を祀る神社を浅間神社というのでしょうか。これにはいくつか説があります。「浅間」は荒ぶる神、火の神を意味し、江戸時代に富士山と浅間山は一体の神であるとして祀られたとする説。「浅間」は阿蘇山を意味し、九州起源の火山伝承が九州から渡ってきた民族によってもたらされたとする説。「アサマ」とは、アイヌ語で「火を吹く燃える岩」または「沢の奥」という意味で、富士山周辺が蝦夷の勢力圏だったときから信仰の場所が「アサマ」と呼ばれていたとする説。マレー語由来で、「アサ」は煙を意味し「マ」は母を意味するという説。さらには、坂上田村麻呂が富士山の怒りを治めると同時に、東国征伐の戦勝祈願に浅間大社を創建した際に、伊勢神宮の摂社である朝熊神社を勧請して、その名が「アサマ」になったという説などです。
『日本文徳天皇実録』には、仁寿3年(853)に浅間神は名神に列せられたとあり、『日本三代実録』では、貞観1年(859年)に正三位の位階が与えられたと記されているので、「浅間」の名の起こりは、平安時代以前であったことがわかります。
浅間神社の最初は坂上田村麻呂が創建した富士宮の富士山本宮浅間大社で、その後、貞観大噴火の後に、現在の富士吉田にも浅間大社が築かれ、その後、一気に増えていきます。これは、富士の神の怒りを鎮めるために、朝廷が必死になったことを物語っています。
富士山本宮浅間大社のある静岡県富士宮市にある、千居遺跡(せんごいせき)は縄文中期の集落跡で、ここではストーンサークル(環状列石)と男根を象った石柱が発掘されています。ストーンサークルと男根型の石柱の組み合わせは八ヶ岳山麓の金生遺跡や、東北の岩手山麓の遺跡群にも見られ、火山の間近にあるこれらの遺跡では、単なる太陽信仰の祭りだけではなく、火山の鎮魂と豊穣が同時に祈念されていたとも考えられます。さらに富士山麓では、河口湖の鵜の島や都留市の壁谷遺跡、富士吉田の池の元遺跡など、旧石器時代から縄文時代初期にかけての祭祀遺跡も発見されていて、太古から火山信仰が盛んであったことが確認されています。
【南九州を壊滅させたスーパーボルケーノ】
「阿蘇」が浅間の語源となった説があると書きましたが、九州の阿蘇山のカルデラの中にもいくつかの縄文遺跡が認められています。大観峰遺跡、狩場遺跡などでこれらは広範囲に広がった定住跡です。
南北25km、東西18kmにおよぶ巨大カルデラである阿蘇カルデラは、30万年前から9万年前の間に起こった4回の大噴火によって形成されました。9万年前の大噴火では、富士山の山体全てに匹敵する噴出物を放出し、火砕流が九州の半分を覆いました。この噴火は、縄文時代のはるか以前ですから、これを見届けた人類はいなかったでしょう。その後、カルデラ内部は肥沃な土地となり、縄文時代の豊かな文化を育みました。
今、阿蘇山が大噴火をすれば、九州は壊滅し、巻き上げられた火山灰で地球の気候にも大きな影響を及ぼすでしょう。その可能性は無ではなく、アメリカのイエローストーンなどとともに、噴火によって、地球文明に深刻な影響を与えることが懸念される「スーパーボルケーノ」の一つに数えられています。
じつは、そんなスーパーボルケーノが、九州にはまだあります。その一つが鬼界カルデラです。
鬼界カルデラは鹿児島県の南、薩摩半島から約50km南の大隅海峡にある海底カルデラです。北西から南東にかけて約25km、北東から南西にかけて約15kmの楕円形を成し、底部の水深は400-500m、今でもその中で複数の海底火山が活動を続けています。鬼界カルデラは、7300年前の縄文時代早期にこの場所にあったスーパーボルケーノの噴火によって生まれました。
このとき、南九州の縄文文明は一瞬にして壊滅し、九州全域から西日本に至る広範囲の地域で、大量の降灰によって人が住めなくなりました。縄文早期の遺跡は東日本に集中して、西日本から九州ではあまり見られないのを、この鬼界カルデラの噴火の影響とする説もあります。
また、天照大御神が岩屋に隠れて世界が闇に閉ざされたという「天岩戸神話」は、この噴火の様子を語り伝えた話が元になっているという説もあります。たしかに、天岩戸神話が残る高千穂付近では、この噴火によって、暫くの間は闇に閉ざされるほどの降灰があったでしょう。
富士山の浅間信仰の語源が「阿蘇」であるという説も、鬼界カルデラの噴火によって阿蘇に住めなくなった縄文人たちが、海路で富士山周辺に達し、その火山信仰をもたらしたとも考えられます。
九州を起点として西日本や東日本に渡って行った民族の伝説は多数あります。大阪の住吉大社に伝わる瀬戸内海を渡ってきた海人族の歴史、九州から黒潮に乗って紀伊半島や伊豆諸島や伊豆半島に展開した渡海民族の痕跡、伊豆半島に渡った民族はさらに富士山麓まで進出した痕跡があり、後の富士吉田の除福伝説などに繋がっていきます。また、神武東征でも九州を起点として紀伊半島に上陸していますから、これらと同じ系統の伝説といえます。
スーパーボルケーノの破壊力を間近に目撃した九州の縄文人たちは、西日本から東日本へと定住地を探して移動していく間に、自分たちの体験を語り、火山の恐ろしさを伝えた。さらに彼らの子孫がそれを語り継いでいった。それらが、「御神火」という言葉や日本神話の中に痕跡をとどめているのでしょう。
ところで、鬼界カルデラは縄文時代の日本に大きな影響を与えましたが、同様のスーパーボルケーノの噴火が地球規模の劇的な環境変化をもたらし、それが人類の進化に大きな影響を与えたことがありました。それは「トバカタストロフィ」と呼ばれるもので、スマトラ島のトバ火山が大噴火を起こし、吹き上げられた火山灰が太陽光を遮断したため、その後、長く続く氷河期が訪れ、生物種が激減したのです。
今から7万5000年あまり前に起こったトバ山の噴火は、TNT火薬換算で1ギガトンに相当すると計算されています。これは、1980年のセントヘレンズの大噴火の3000倍、広島型原爆に換算するとじつに6万7千発分の規模になります。噴出物の容量は1000立方キロメートルで、文字通り全世界が闇に閉ざされたでしょう。
この時まで、人類は多様なホモ属で構成されていましたが、トバカタストロフィとその後の氷河期を生き延びたのは、ネアンデルタール人と現生人類だけで、その総人口も1万人あまりになったと推定されています。
現在世界に生きる私たち現生人類は、このとき生き延びた1万人以下の現生人類を共通のルーツとしているのです。
世界が完全に闇に閉ざされ、その後訪れた氷河期を生き延びてきた人類は、集合意識の中にトバカタストロフィの記憶を刻み込んでいるのかもしれません。そして、それがすべての火山信仰の原点であるのかもしれません。
今もっとも懸念されているスーパーボルケーノは、アメリカのイエローストーンです。イエローストーンが大噴火を起こせば、その規模はセントヘレンズ噴火の1000倍に達するといわれています。この火山は、過去約220万年前、約130万年前、約64万年前に噴火し、今は危険領域に入っています。近年、この火山を含むイエローストーン国立公園全体が10cm以上隆起して、すでに限界点に達しているという見方もあります。
全人類に御神火が降り注ぐ日も、もう間近なのかもしれません。
【お知らせ】
●朝日カルチャーセンター湘南教室 12月20日
「伊豆の太陽信仰」
伊豆半島には、太古の太陽信仰を色濃く残す聖地が点在しています。伊豆半島開闢の女神を祀る白濱神社、冬至の太陽を迎え入れる縄文祭祀遺跡の中にある八幡宮来宮神社、そして、五穀豊穣・子孫繁栄を願う奇祭「どんつく祭」のご神体を収めるどんつく神社…。これらの聖地を中心に、伊豆半島独特の来宮(きのみや)信仰、三島信仰、伊豆山信仰について解説します。伊豆半島は、川端康成をはじめ、多くの文人や芸術家に愛され続けてきました。その魅力の源流も明らかになってきます。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=260771&userflg=0
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