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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.306
2025年3月20日号
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◆今回の内容
○聖地と「こころの古層」
・未生と縄文精神
・こころの古層の構造
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聖地と「こころの古層」
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この講座の第300回では、聖地について考察する「聖地学」という分野を看板として掲げたものの、これが結果的に様々な学問分野にまたがり、しばし茫然となったといった話を書きました。今まで、この講座で取り上げた学問領域は、歴史、宗教、神話、民俗学、考古学、建築学、地理学、地球物理学、心理学、社会学、哲学、芸術、文学と節操がないほど多岐にわたっています。
それは、聖地は、人間の歴史、文化、そして精神性と深く結びついています。そのため、聖地を探求する上で考慮しなければならない側面は、信仰、神話、宗教、シャーマニズム、意識、歴史、文化、科学、芸術、観光、等々があげられますから、広範な学問分野に及ぶのは当然でした。
宗教学者の中沢新一は、聖地の成り立ちと人間心理を掘り下げるアプローチとして「ジオサイコロジー」を提唱しています。中沢といえば、『アースダイバー』シリーズで、聖地と地理の関係を掘り下げ、縄文海進期に海に突き出た岬となっていた場所に東京の神社の多くがあり、その古層には縄文時代の太陽信仰の祭祀の記憶があることを明らかにし、他の地域でも、古代人の地理観と死生観が聖地に潜んでいることを明らかにしてきました。それは、私が長年行ってきたレイラインのフィールドワークによって得た知見とも一致して、強く共感するものでした。
ジオサイコロジーは、「サイコロジー」とあるように、聖地や宗教を成り立たせた古代人たちの心理、とくに精神性の古層に焦点を当てようというものです。中沢と臨床心理学者・ユング派分析家である河合俊雄が日本ユング派分析家協会の研修セミナーでおこなった講演と、その後のディスカッションをまとめた『ジオサイコロジー』という本も出版されています。
この本の中で、中沢は、「聖地を作るとき、人間は自分の無意識の動きや構造に忠実にことを運ぶ。そのために聖地の構造を探ると、そこに人間の<こころの古層>の結構がくっきり浮かび上がってくる」 と記しています。端的に言えば、聖地のはじまりは、人間の「こころの古層」が関係しているということです。それは聖地学の観点からいえば、ビッグバンのようなものです。「こころの古層」は聖地のビッグバンを生じさせた力学ともいえます。
聖地学の探求を進めるにあたって、当然、人間の心理の古層にも着目し、この講座でも何度も取り上げてきました。たとえば、第091回『縄文の心性』や第106回『縄文の響きと日本人の自然観』などです。しかし、私のアプローチは、聖地を成り立たせた人間の心理には触れても、その心理自体の結構・構造までは掘り下げていませんでした。
そこで今回は、中沢のジオサイコロジーのアプローチを参考にして、彼が「こころの古層」と呼ぶ結構・構造について考えてみたいと思います。
●未生と縄文精神
まず、『ジオサイコロジー』という著作の内容から入ろうと思いますが、その冒頭で、河合俊雄は、ユング派の心理療法のポイントにある「象徴」について記しています。
ユング派の心理療法では、クライアントが語るイメージを字義通りに受け取るのではなく、その背後にある象徴的な意味を読み解く能力が重視されます。神話、儀式、文化伝統などを参照枠として、語られるイメージをそれらに当てはめて解釈するわけです。
ところが、日本でこの手法を用いる場合、象徴体系の曖昧さが壁になるといいます。西洋文化圏と比較すると、日本における象徴は多義的で、明確な定義や共通認識が難しく、心理療法家は苦労するのです。こうしたことから、日本人の心のあり方には、象徴性を超えたより直接的な次元が強く影響しているといわれます。
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