神秘主義やスピリチュアリズムの世界では、「この世に偶然はない、全ては必然である」といった言葉が好んで使われる。
遠い旅先で長年会っていなかった友人と偶然出くわしたり、あるテーマについて考えていたら、 まさにそのテーマの仕事が舞いこんできたり、あるいは、とても命は助からないと死を覚悟した事故に遭いながら奇跡的に命拾いしたり…… そうした経験をすると、「こんな稀有な出来事に遭遇するのは、何か、大いなる意志に導かれているに違いない」 と思いたくなるのが人情ともいえる。
だが、そうした決定=運命論は、歪つな宗教観やメシア思想の源泉でもあり、「選ばれた者-選ばれざる者」、最近なら 「勝ち組-負け組」という差別主義の温床でもある。
「ここにあなたたちが集い、宇宙の神秘を解き明かすありがたいお話を聞けるのは、けして偶然などではありません。 あなた方がここで幸せを分かち合う機会を持つことは必然だったのです」と暗示にかけて、終幕に『壺』がご登場……。
そうした、不気味な決定=運命論を痛快に蹴散らしてくれるのが、本書だ。
旅先で懐かしい友人に合う会うのも「たまたま」、とんでもない事故に遭いながら命拾いするのも「たまたま」、 自分が望んでいた職業に就けるのも「たまたま」。しかし、この「たまたま」というのは、われわれが普段感じているほど「極めて稀」 なことではないと、確率や統計から解き明かしている。
原題は"The Drunkar's Walk"、酔っぱらいの千鳥足。文中では、 それを流体中の粒子の動き=ブラウン運動にたとえ、人生での様々な経験も数式化できるのだと説く。
何か「稀有」と思える事態に遭遇したとき、われわれは、それが起こる確率を恐ろしく低く見積もってしまう。だが、 それを実際の確率論に当てはめてみると、想像したほど低くはない。また、たとえ恐ろしく低い確率であっても、 ある現象が連続して起こる頻度は想像以上に高く、それに遭遇することは極めて珍しいというほどでもない。
確率や統計というと、ぼくのような典型的な文系人間は、数字が登場しただけで思考停止に陥ってしまうが、 ガリレオやパスカルの業績の背後にギャンブルがあったことや、スポーツ史における期待されない選手があげた大記録、ブルース・ ウィリスがハリウッドで成功するまでの裏話……などなど、興味を掻き立てるエピソードを散りばめながらわかりやすく解説し、 確率や統計にまつわる歴史物語としても楽しめる。
どんな一連のランダムな事象でも、ある特別な事象のあとには、純粋の偶然よるありきたりの事象が起こる「平均回帰」。人間が、 ある事象に遭遇したときに必ずいだいてしまう「可用性バイアス」や「確証バイアス」、「ホットハンド誤謬」、そして「ギャンブラーの誤謬」。 近年の金融工学でしばしば登場した「ベル曲線=ガウス分布」。複雑系ではおなじみの「バタフライ効果」……様々な用語を駆使して、 日常生活のバックグラウンドを成す『偶然=ランダムネス=たまたま』の正体が暴かれていく。
著者のムロディナウは、物理学者だが、かつては「スタートレック」のTVシリーズの脚本も手がけたことのあるストリーテラーで、 見事に難解なテーマを楽しい読み物に仕立てている。
人生が行方の知れない酔っぱらいの千鳥足のようなものだとしたら、運は天にまかせて、気楽に享楽的に生きればいいじゃないか……と、 短絡的に考えてしまうのが、われわれ浅はかな凡人だが、ムロディナウは、決定=運命論なんて思い込みは捨てて、人生の可能性に賭けてみろと、 励ましてくれる。
「ある複雑な仕事で何度失敗しても、もし続けていれば、しばしば最終的には成功するかなりのチャンスがある」
「能力は偉業を約束してはいないし、偉業は能力に比例するわけでもない。だから重要なことはその方程式の中の別の言葉…偶然の役割…
を忘れないようにすることだ」
「成功の重要な要素、たとえば打席に立つ回数、危険を冒す数、チャンスを捉える数は、われわれのコントロール下にある」
最後に、IBMのパイオニア、トーマス・ワトソンの印象的な一言で締めくくられる。「もし成功したければ、失敗の割合を倍にしろ」
久しぶりに元気がフツフツと湧いてくる一冊だった。
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