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2007/12/26 カテゴリー: 01.アウトドアライフ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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**地上25m、9階から10階建てのビルの高さに相当する。この高度感に慣れるまで、
さすがに少々怖かった**
ツリーイングは、本来、力に頼らず、楽に登降が可能なのが特徴なのだが、まだ体の使い方が慣れていないせいか、一夜明けると、 腕がパンパンに張っていた。知らず知らずのうちに、ロープを握りしめたりもしていたようで、箸を持つにも手が震えるほど、 握力もなくなっていた(笑)
今日は、朝、現場の雑木林に集合。昨日に引き続き、小春日和のような陽気でね冬枯れの林は、柔らかい陽光が射し込んで爽やかだ。
今日の最初の講習は、「ビッグショット」と呼ばれる巨大パチンコで、ラインを結びつけたパウチ(錘)を狙いの枝まで飛ばす練習。 これが、アメリカのマッチョな樵向けに作られた代物なものだから、恐ろしく力がいる。狙いの枝にラインを掛けるまで、二、三度引いただけで、 すでに筋肉痛の腕がプルプルと痙攣してしまう。
その後、シングルロープを木の根回りに結びつけてアンカーをとるためのロープワークを練習して、いよいよ、 自分で全てをセッティングして、昨日より高い位置までSRTで登る。
樹上で、腰に吊したデイジーロープを外し、それを投げ縄の要領で、さらに上の枝に掛け、DRTシステムを組んで、 上に掛けたロープに乗り移る。ここで、もし、ロープワークに間違いがあったら、ロープを移った途端に転落することになる。
ハーネスをSRTシステムからDRTシステムに掛け替えるときは、さすがに緊張する。ぼくが使ったデイジーロープは、 そこまで登ってきたシングルロープに比べて伸び率が大きいので、テンションをかけてしっかりフリクションが効いていることを確かめても、 ぶら下がった途端に30cmくらいストンと落ちるので、毎回、肝が冷やされる。
何度も何度も、理屈で考えずに、体が自然に動くまで登り降りを繰り返し、午前中の講習は終了。
昼食を挟んで、午後は、セミナーハウスの正面に聳えるセコイアの木に全員で取りつく。
二班に分かれて、違う枝にロープを掛け、一人が登って、上で自分のデイジーロープを別の枝に掛けてそちらに乗り移ったら、 次の人間がメインロープを伝って登り、デイジーに移るということを繰り返して、一本のセコイアのてっぺん近くに、 インストラクター二人と受講生6人の8人が集結した。
インストラクターから、お菓子が振る舞われ、その場で講評。今回の参加者は、フィールドワークのプロばかりだったので、そつがなく、 安全管理なども完璧で、非常に成績優秀と褒められた。
「ただし、どんなことでもそうですけれど、慣れてきたときがいちばん危ないということを肝に銘じておいてください。これから、 アクティビティとしても、また仕事に生かすにしても、ツリーイングに慣れて、油断したときが危険ですから、常に緊張感を持って、be safety ということを忘れずに、楽しんでください」
西陽を受ける樹上で8人が固まって、それぞれ今回の講習の感想など話していると、8人と、ぼくたちを受け入れて、 ゆったりと風にしなっているセコイアとの、なんともいえない一体感が生まれてくる。
木の特性を理解して、木に触れ合いながら、そして、仲間と力を合わせながら、樹上に達し、日差しや風を共に感じていると、 大袈裟でなく、自分たちが地球という一つの生命を構成している細胞なんだなという気がしてくる……ツリーイングの世界は、 まだまだ奧が深そうだ。
今後、ツリーイングのインストラクターの資格をとるまで、このレポートを続けていくので、お楽しみに!!
また、インストラクター資格を取ったら、このコーナー主催で、ツリーイングの体験会も実施する予定です!!
**シングルロープのベースアンカーをとるための舫結びを練習する。これが、命を左右する部分だけに、皆、
真剣だ**
**午後の課題となったセコイアの大木。この木に、次々に登っていく**
**樹上に集結。じつは、この課題そのものが、SRTの検定だった**
**検定終了後の講評。そして、SRTクライマーの認定証を受ける**
**今回の受講者は、林業関係者、アウトドアガイド、学校の先生と、
みんなフィールドワークの専門家ともいえる人たちだった。また、一緒に木に登りましょう!!
皆さん!!**
■ツリーマスタークライミングアカデミー■
http://treemaster.jp/
2007/12/21 カテゴリー: 06.ツーリズム | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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**今回の講習の舞台となったのは、八王子セミナーハウスの明るい雑木林。
冬枯れで見通しのきく林は気持ちいい**
10月にロープを使った木登り 「ツリーイング」の最初の講習を受けて、今回は、その続きの講習を八王子セミナーハウスの会場で受講してきた。
前回は、ダブル・ロープ・テクニック(DRT)と呼ばれる、特殊なギアを使わないシンプルな方法で、 単純に木を上り下りする方法を学んだが、今回は、ロッククライミングでよく使用するアセンダー、ディセンダーという登降具を使って、 より高い場所に登るシングル・ロープ・テクニック(SRT)をメインに、到達した場所からさらに高いところへロープを掛けて登ったり、 二本のロープを使って樹間を移動するといった応用技術を学ぶ。
体験会やDRTまでは、レクリエーション的な意味合いが強いが、今回の講習は、樹上で枝打ちや鳥類観察、 設置作業等を行うことができる実践的な意味合いが濃く、参加者は林業関係者やアウトドアガイド、学校の先生など、 ツリーイングを自分の仕事に生かそうとする人が集まった。
朝早くセミナーハウスに集合し、SRT技術と安全についての座学。そして、明るい雑木林に移動して、さっそく実技講習が始まった。
**まずは、装備一式を点検して身につける。二人一組となって、バディが、
ハーネスの具合などをチェック**
**DRT技術の復習と、
樹上で他の枝にロープを掛けて乗り換えるためのモンキースローの練習をする**
**枝の先端へ移動していくリムウォークを地上で練習する。ロープに引っ張られているので、
これがなかなか難しい**
冬枯れの杜に木枯らしが吹くと、枯葉が光りを帯びて舞い落ちる幻想的な風景の中、黙々と、課題に取り組んでいく。
前回のDRTでは、高さ10m程度まで登って降りるだけだったが、今回は20~30mの高さにまで登り、 さらに樹上でロープを掛け替えたり、アセンダーからディセンダーに掛け替えるというかなり危険な作業があるので、みんな緊張の面持ちで、 真剣に取り組んでいる。
今、様々なアウトドアアクティビティが、道具の進歩もあって、誰でもすぐに本格的に楽しめるようになってきたが、そこには、 命を落とすリスクも確実に存在していることをあらためて痛感した。
2007/12/18 カテゴリー: 06.ツーリズム | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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この二日間、ツリーイングの講習会に通い、木に登っていた。
明るい広葉樹の林では、コナラやクヌギの枯葉が、陽の光を柔らかにまとって舞い落ち、時に、それが一斉に降り注ぎ、 宙ぶらりんになったぼくは、光とともに踊っているような気分を味わった。
今日の午後は、セコイアの金色の針のような落ち葉を全身に浴びながら、真っ直ぐに登っていった。それは、 星々が光の矢となって飛びすぎていくワープする宇宙のトンネルを行くようでもあり、 そのトンネルを抜けた先に何が待ち受けているのだろうなどと、しばし、自分の心のほうがワープしてしまった。
遠い昔、秋の山で嵐に閉じこめられたことがあった。
テントが吹き飛ばされそうな、秋にはありえない激しい嵐が去った翌朝、テントから這い出したぼくは、息を飲んだ。 限りなく澄んだ空気に、そのまま宇宙へと繋がっていくような深い青空を背景に、無数の光り輝く落ち葉と、どこからやってきたのか、 落ち葉の数に負けない赤トンボが群舞していた。
嵐の前は、はっきりとした季節感がなく、ただ「秋色」めいた雰囲気が濃くなりつつあることを感じたに過ぎなかったが、嵐の後、 山は一気に秋を駆け抜け、冬に飛び込む直前の風景をぼくに見せてくれた。
たった一人、落ち葉と赤トンボの群舞に包まれたそのとき、ぼくは、『自然がぼくを迎え入れてくれた』と思った。 この瞬間を見せてくれるために、ぼくを足止めして、激しい嵐を耐えさせたのだと……。
昨日と今日、穏やかな林の中で宙にあって、光をまとった落ち葉に包まれたとき、はっきりと、「あの時」のデジャヴュを味わった。
一昨日は、上州の山に「ふたご座流星群」を観に行き、自然は、見事な青い流れ星を観せてくれた……。
きっと、自然は、奇蹟のような瞬間をたくさん用意してくれているのだろう。
そんな奇蹟のような瞬間に、もっともっと立ち会っていきたいと思う……。
2007/12/16 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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以前紹介した 「ガイアシンフォニーDVD」の続編が届いた。
年末年始は、また第一巻から見直して、じっくりと、今後の自分のライフスタイルなどを考えてみたいと思っている。
今なら、全巻セットのクリスマスセール中なので、気になっていた人は、ぜひどうぞ!!
2007/12/08 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 08.スーパーネイチャー | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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2007/12/07 カテゴリー: 06.ツーリズム | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
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先週末は、うららかな日和の中、葉山でシーカヤックを楽しんだが、この週末は所用で田舎に帰ったついでに、 近くの鹿島灘に足を伸ばして、ビーチコーミングをしてみた。
明るく凪いだ葉山の海とは対照的に、外海らしく大きな波が立って、自然の力をまざまざと見せつけてくる。海といえば、 どうしても思い浮かべるのは故郷のこの海で、今でこそ、サーフィンのスポットとなっているが、「遊ぶ」 場所としてのイメージはほとんどなかった。
葉山の磯には命が溢れていたが、冬の鹿島灘には、命の賑やかさはあまり感じられない。
この日は、満ち潮で海岸線が狭かったせいか、打ち上げられたものも少なく、、医療廃棄物のようなものが目についた。
だが、ぼくは、冬の海が好きだ。
波の砕ける音が腹の底を打ち、冷たい潮風が体の芯まで染み込んでくる。そして、圧倒的に広い太平洋と対峙していると、 人間がちっぽけな存在だということが身に染みると同時に、ちっぽけだけれど、自分もこの自然の一部なんだという思いがわきあがって、 そこにいるだけで深いメディテーションを味わっているような気分になってくる。
時には、こうして一人で広大な風景と向き合ってみるのもいいものだ。
**いい波が立っているのに、海にいるサーファーはたった一人**
2007/12/03 カテゴリー: 06.ツーリズム | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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最近、何故か、様々な場面で「星野道夫」に出くわす。それは、ただの偶然なのか、それとも、今、 日本で星野道夫というナチュラリストへの関心が高まっていて、出くわす頻度が高くなっているせいなのか?
いずれにしても、亡くなってから10年が経って、星野さんと「出会いなおし」ているように感じている……。
夏に浅草のデパートで開催された写真展が発端だった。
大井町で開かれていた「バンフ山岳映像祭」を目当てに出かけていったのだが、「マイナーな映画だし、当日券があるだろう」 との当てが外れて一日だけの機会を逃してしまい、それに代わるものが何かないかと考えて、ふと思い出したのが、 数日前に何かで見て手帳に日程を記しておいた星野道夫写真展だった。
星野さんといえば、昔、SEGAで一緒に仕事をしていて、後に"Think the Earth"を立ち上げた上田壮一さんが思い出される。上田さんが、SEGAのプロジェクトを離れて、 ガイアシンフォニー第三番の助監督として星野さんを取材しようとしていた矢先、当の星野さんはカムチャッカで帰らぬ人となってしまった。
星野さんと打ち合わせを進め、監督の龍村仁さんとガイア3の具体的な構想を進めていた上田さんは、 明日から星野さんに密着取材するためにアラスカに行くという日に訃報に接し、途方に暮れてしまっていた。
結局、ガイアシンフォニー第三番は、主人公である星野道夫の過去の映像と写真、文章を散りばめながら、 彼の周囲にいた人たちに綿密に取材することで、星野道夫の生き様と精神を蘇らせたものだった。
とてつもなくピュアで、人を愛し、自然を愛し、人からも自然からも愛される人間、そんな彼の姿が、はっきり浮かび上がってきた。 ソローは、『ウォールデン』という名著をものしたが、彼は、結局、都市に戻った。一方、星野道夫はずっと自然の中にあって、 そこを自らが生きる社会とし、そこで家族を持ち、そして、自然へと召還されていった。その意味では、 星野道夫はソローよりももっとずっとソローらしい一生を生きたのではないかと思えた。
それまでも星野道夫の名は知っていたし、アウトドア雑誌などで、その作品を観たことはあった。でも、正直言って、ガイア…… を観るまでは、さほど自分にとって関心を掻き立てる人ではなかった。
そして、ガイア……で、あらためて星野道夫という人、その人となりを知って関心は持った。だが、 ゲーム開発というパラノイアな時間を過ごす中で、次第にその関心も薄れ、星野道夫という名は記憶の中に埋没していってしまった。
今年の夏、浅草の写真展で「出会いなおした」ともいえる星野道夫は、一気に、10年前の記憶をよみがえらせると同時に、 彼の写真から伝わってくる自然をみつめる優しい視線と、 大自然の中に一人ぽつねんと佇み続けたことで生み出された洞察に満ちたエッセイの断片が、深く心に染みこんできた。
そして、生前にどうして出会う機会がなかったのか、その後ガイア…… を観た後にどうして彼への関心が自分の中で持続しなかったのか不思議に思うと同時に、「そうか、ようやく、自分は、 星野道夫という人が表現しようとしていたことが、今になって理解できるようになったんだ。だから、ようやく、今、彼への関心が、 自分の中で確かなものになったんだ」と感じた。
それからだ、星野道夫との出会いが続き始めたのは。
今年完成した、ガイアシンフォニーの最新版である6番を観に行くと、そこでは、 主要なモチーフとして再び星野道夫が取り上げられていた。さらに、何気なく手に取った雑誌のいくつかにも、星野道夫が特集されていた。
そして、ぼくは、今になって彼の著作を読み、かつて上田さんが助監督を務めた「ガイアシンフォニー3」を見直した。
出会いなおした星野道夫は、とても新鮮だった。
『私たちは、千年後の地球や人類に責任を持てと言われても困ってしまいます。言葉の上では美しいけれど、 現実としてやはり遠すぎるのです。けれどもこうは思います。千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。 つまり正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出していく責任はあるのではないかと』
『ぼくは、ドンが好きだった。どこか、一つの人生を降りてしまった者が持つ、ある優しさがあった』
『ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もう一つの時間が確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、 心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい』
『政治も、社会も、何もなかったように変わってゆく。そして個人の夢や、人々の文化だけがしたたかに残ってゆく』
『誰もが何かを成し遂げようとする人生を生きるのに対し、ビルはただあるがままの人生を生きてきた。 それは自分の生まれもった川の流れの中で生きていくということなのだろうか。ビルはいつかこんなふうにも言っていたからだ。 「だれだってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」』
これらは、星野道夫の代表的な著作、「旅をする木」に記された言葉だ。
あらゆる場面で行き詰まりを感じ、目標が見当たらない現代という時代、彼のこうした言葉は、 途方もない安心感を与えてくれると同時に、生きる上での希望や方向性を示してくれる。
「旅をする木」とは、星野道夫が敬愛した動物学者で、アラスカに核実験場を作る計画が持ち上がった際に、敢然と反対を唱え、 アラスカ大学の教員の職を追われたビル・プルーイットの"Animals of North"の第一章のタイトルだった。
早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、この鳥が啄ばみ落としてしまった種が辿る物語。 トウヒの種は様々な偶然を経て川沿いの森に辿りつき、そこで一本の大木に成長する。
そして長い年月の後、その大木は川の浸食によって流れに押し流され、ユーコン川からベーリング海へと運ばれていく。
海を渡ったトウヒは北のツンドラ地帯に流れ着き、木のないその世界で唯一のランドマークとなる。これに狐がテリトリーの匂いをつけ、 やがて、その狐の足跡を追っていたエスキモーに見つけられて、彼の原野の家のストーブの燃料となる。
ストーブの中で燃え尽きたトウヒは、大気の中に拡散してゆき、そこからまた、新たなトウヒの旅路が始まる。
そんな、「生の循環」への賛歌が、星野道夫の一貫した姿勢だった。
20代の頃、親友を山で失い、人生の儚さを痛感するとともに、一度限りの人生を悔いなく生きなければと決心する。そして、 アラスカの風景と出会った彼はその風景に導かれるままに彼の地に渡る。
旅をする木のトウヒのように、流れに逆らわず、自らの周りをピュアな眼差しで真っ直ぐに見つめ続け、そして、あのトウヒのように、 生の循環の一つの節目として、彼はいったん去っていく……。
たぶん、カムチャッカで彼岸に召された彼の魂は、また新たな生の循環の中に下りてきたのだろう。それが、今、 星野道夫が再注目され始めたということなのだろう。
ぼくは、遅ればせながらでも、星野道夫という人の魂に触れることができて幸せだったと思う。
2007/12/02 カテゴリー: 11.人 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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最近、何故か、様々な場面で「星野道夫」に出くわす。それは、ただの偶然なのか、それとも、今、 日本で星野道夫というナチュラリストへの関心が高まっていて、出くわす頻度が高くなっているせいなのか?
いずれにしても、亡くなってから10年が経って、星野さんと「出会いなおし」ているように感じている……。
夏に浅草のデパートで開催された写真展が発端だった。
大井町で開かれていた「バンフ山岳映像祭」を目当てに出かけていったのだが、「マイナーな映画だし、当日券があるだろう」 との当てが外れて一日だけの機会を逃してしまい、それに代わるものが何かないかと考えて、ふと思い出したのが、 数日前に何かで見て手帳に日程を記しておいた星野道夫写真展だった。
星野さんといえば、昔、SEGAで一緒に仕事をしていて、後に"Think the Earth"を立ち上げた上田壮一さんが思い出される。上田さんが、SEGAのプロジェクトを離れて、 ガイアシンフォニー第三番の助監督として星野さんを取材しようとしていた矢先、当の星野さんはカムチャッカで帰らぬ人となってしまった。
星野さんと打ち合わせを進め、監督の龍村仁さんとガイア3の具体的な構想を進めていた上田さんは、 明日から星野さんに密着取材するためにアラスカに行くという日に訃報に接し、途方に暮れてしまっていた。
結局、ガイアシンフォニー第三番は、主人公である星野道夫の過去の映像と写真、文章を散りばめながら、 彼の周囲にいた人たちに綿密に取材することで、星野道夫の生き様と精神を蘇らせたものだった。
とてつもなくピュアで、人を愛し、自然を愛し、人からも自然からも愛される人間、そんな彼の姿が、はっきり浮かび上がってきた。 ソローは、『ウォールデン』という名著をものしたが、彼は、結局、都市に戻った。一方、星野道夫はずっと自然の中にあって、 そこを自らが生きる社会とし、そこで家族を持ち、そして、自然へと召還されていった。その意味では、 星野道夫はソローよりももっとずっとソローらしい一生を生きたのではないかと思えた。
それまでも星野道夫の名は知っていたし、アウトドア雑誌などで、その作品を観たことはあった。でも、正直言って、ガイア…… を観るまでは、さほど自分にとって関心を掻き立てる人ではなかった。
そして、ガイア……で、あらためて星野道夫という人、その人となりを知って関心は持った。だが、 ゲーム開発というパラノイアな時間を過ごす中で、次第にその関心も薄れ、星野道夫という名は記憶の中に埋没していってしまった。
今年の夏、浅草の写真展で「出会いなおした」ともいえる星野道夫は、一気に、10年前の記憶をよみがえらせると同時に、 彼の写真から伝わってくる自然をみつめる優しい視線と、 大自然の中に一人ぽつねんと佇み続けたことで生み出された洞察に満ちたエッセイの断片が、深く心に染みこんできた。
そして、生前にどうして出会う機会がなかったのか、その後ガイア…… を観た後にどうして彼への関心が自分の中で持続しなかったのか不思議に思うと同時に、「そうか、ようやく、自分は、 星野道夫という人が表現しようとしていたことが、今になって理解できるようになったんだ。だから、ようやく、今、彼への関心が、 自分の中で確かなものになったんだ」と感じた。
それからだ、星野道夫との出会いが続き始めたのは。
今年完成した、ガイアシンフォニーの最新版である6番を観に行くと、そこでは、 主要なモチーフとして再び星野道夫が取り上げられていた。さらに、何気なく手に取った雑誌のいくつかにも、星野道夫が特集されていた。
そして、ぼくは、今になって彼の著作を読み、かつて上田さんが助監督を務めた「ガイアシンフォニー3」を見直した。
出会いなおした星野道夫は、とても新鮮だった。
『私たちは、千年後の地球や人類に責任を持てと言われても困ってしまいます。言葉の上では美しいけれど、 現実としてやはり遠すぎるのです。けれどもこうは思います。千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。 つまり正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出していく責任はあるのではないかと』
『ぼくは、ドンが好きだった。どこか、一つの人生を降りてしまった者が持つ、ある優しさがあった』
『ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もう一つの時間が確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、 心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい』
『政治も、社会も、何もなかったように変わってゆく。そして個人の夢や、人々の文化だけがしたたかに残ってゆく』
『誰もが何かを成し遂げようとする人生を生きるのに対し、ビルはただあるがままの人生を生きてきた。 それは自分の生まれもった川の流れの中で生きていくということなのだろうか。ビルはいつかこんなふうにも言っていたからだ。 「だれだってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」』
これらは、星野道夫の代表的な著作、「旅をする木」に記された言葉だ。
あらゆる場面で行き詰まりを感じ、目標が見当たらない現代という時代、彼のこうした言葉は、 途方もない安心感を与えてくれると同時に、生きる上での希望や方向性を示してくれる。
「旅をする木」とは、星野道夫が敬愛した動物学者で、アラスカに核実験場を作る計画が持ち上がった際に、敢然と反対を唱え、 アラスカ大学の教員の職を追われたビル・プルーイットの"Animals of North"の第一章のタイトルだった。
早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、この鳥が啄ばみ落としてしまった種が辿る物語。 トウヒの種は様々な偶然を経て川沿いの森に辿りつき、そこで一本の大木に成長する。
そして長い年月の後、その大木は川の浸食によって流れに押し流され、ユーコン川からベーリング海へと運ばれていく。
海を渡ったトウヒは北のツンドラ地帯に流れ着き、木のないその世界で唯一のランドマークとなる。これに狐がテリトリーの匂いをつけ、 やがて、その狐の足跡を追っていたエスキモーに見つけられて、彼の原野の家のストーブの燃料となる。
ストーブの中で燃え尽きたトウヒは、大気の中に拡散してゆき、そこからまた、新たなトウヒの旅路が始まる。
そんな、「生の循環」への賛歌が、星野道夫の一貫した姿勢だった。
20代の頃、親友を山で失い、人生の儚さを痛感するとともに、一度限りの人生を悔いなく生きなければと決心する。そして、 アラスカの風景と出会った彼はその風景に導かれるままに彼の地に渡る。
旅をする木のトウヒのように、流れに逆らわず、自らの周りをピュアな眼差しで真っ直ぐに見つめ続け、そして、あのトウヒのように、 生の循環の一つの節目として、彼はいったん去っていく……。
たぶん、カムチャッカで彼岸に召された彼の魂は、また新たな生の循環の中に下りてきたのだろう。それが、今、 星野道夫が再注目され始めたということなのだろう。
ぼくは、遅ればせながらでも、星野道夫という人の魂に触れることができて幸せだったと思う。
2007/12/02 カテゴリー: 02.ライフスタイル, 07.本, 11.近況 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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