日本中には不思議な伝説に彩られた場所がたくさんあります。
そんな中でもぼくがこの数年通い詰めているのは若狭です。若狭は、 この地に鎮座する若狭彦神社と若狭姫神社の祭神である若狭彦命と若狭姫命が海からやってきて若狭を開いたという伝説があります。
若狭彦、若狭姫の二神は少年少女の姿で、ずっと年老いず、同じ容姿を保っていたと伝えられています。
そして、ここに伝わる有名な伝説として「八百比丘尼」があります。ある日、 漁師の娘が父親が獲った人魚の肉をそれと知らずに食べて不老不死になってしまう… 龍宮の使いである人魚の肉は不老不死をもたらすものとされていたのです。自分では望まずに不老不死となってしまった娘は、 尼となって諸国を流浪し、800年目にして生まれ故郷の若狭に戻ってきた。そして、海を望む洞窟に籠もり、 そこでようやく死を得ることができたという話です。
**若狭彦、若狭姫の二神が渡ってきたと伝えられる若狭湾。 澄み切った海がまた神秘的な雰囲気**
八百比丘尼が最後に籠もったとされる洞窟は、小浜市の空印寺の境内の外れにあって、 八百比丘尼の像と彼女が終生愛したとされる牡丹の木が植えられています。また、「お水送り」の儀式で知られる遠敷(おにゅう)には、 八百比丘尼の墓があります。
永遠の若さを持っていたとされる創生神話の神に八百比丘尼の伝説。それだけでも十分にロマンを掻き立てられますが、 若狭にはまだまだ不老不死にまつわる伝説が残されています。
晩秋の若狭に、そんな不老不死にまつわる伝説を巡る旅をしてきました。
……続く
八百比丘尼にはいろいろなバリエーションがありますが、いちばん好きなのは、夢枕獏の『陰陽師』の中のエピソードです。
求めずして不老不死という運命にとらわれた人の哀しさが身に染みて感じられます……。
投稿情報: uchida | 2006/12/01 12:15
wisさん
コメントありがとうございます。
まさに、命が軽々しくなってしまった時代にあって、不老不死にまつわる物語は、ある意味皮肉でもありますが、命の本質のようなことを教えてくれているような気がします。
投稿情報: uchida | 2006/12/01 12:14
自殺の相次ぐ中、
不老不死になった娘の、ようやくの死を得た安息の物語を、
不思議なコントラストを感じながら読みました。
いえ、死の是非というわけではないのです。
死生観という言葉を久しぶりに思い出し、たわいもなく考えてみたりしたのです。
寿命が短かった時代、不老不死は何よりの憧れだったのかもしれませんね。
「女性の寿命はまだ延びる」という記事が取りざたされる現代、
羽織る着物の丈は長くなりすぎて、
持て余す裾に、人は、煩わしささえ感じ初めているのでしょうか。
「身の丈にあった」そんな言葉さえ胸に浮かび、
短くて嘆き、長すぎて嘆く人のいのちへのあれこれを思ってみたのです。
けれど、内田さんの文章にあるように、
若狭の今尚澄み切った水とあまたに残る伝説は、
果てしないロマンを夜空のように胸を掻き立ててくれますね。
若狭湾の水の、なんと澄み切ったこと!
内田さんが写される写真は、
その視点と眼差しの奥の内田さんの思いを、いつも、そこはかとなく滲み出すようです。
投稿情報: wis | 2006/11/29 02:07