**若狭彦神社、若狭姫神社に並ぶ神宮寺。この寺の境内にある「閼伽井」から汲まれた水が「お水送り」され、 東大寺二月堂の「お水取り」のときに東大寺の「若狭井」から湧き出すと伝えられる**
前回、若狭の不老不死巡りとして、若狭創生神話と八百比丘尼の伝説を紹介しました。じつは、 ここには他にも不老不死にまつわる人物の足跡や伝説が残されています。
若狭町にある三方石観音は、弘法大師空海が大きな花崗岩の岩に一晩で掘った観音様があります。この観音様は33年に一度のご開帳で、 普段は拝観できませんが、天井からたくさんの提灯がぶら下がる本堂で、扉の向こうの観音様に向かって拝むことができます。
**三方石観音の前に鎮座する鶏は、夜に岩を彫り始めた空海が鶏の鳴き声で朝が来たことを知って、 そこで作業を止めたという故事に因んだもの。寺の本堂の天井には、 おびただしい数の提灯が奉納されている**
この観音様は手足の不自由や怪我に霊験があるという信仰を集めていて、提灯はその御利益に預かった人が奉納したもので、 有名なスポーツ選手や芸能の人たちの名前が目に付きます。
ここはそもそも、空海が不老不死の妙薬を作るための原料を探すために見つけた場所で、 境内の隅に流れ落ちる滝がその原料を含んでいると考えられました。
さらに、ここから10kmあまり南下した瓜割滝も、空海が霊験あらたかな聖水としました。さらに、若狭創生神話に登場する若狭彦、 若狭姫を祭る二つの神社に並んである神宮寺には、これも霊水とされる水が湧き出す「閼伽井(あかい)」があります。
**左が三方石観音の聖水の滝。右が瓜割滝。いずれも岩が赤いのが特徴。空海は、これを「朱(酸化水銀)」 だと思ったのだろうか?**
これら三つの聖水に共通しているのは、いずれもその湧き出した部分の岩が赤く染まっていることです。空海は、 不老不死の妙薬を作るためにその原料である良質の水銀を求めて、各地をさまよいました。結局は大水銀鉱脈の走る高野山に本拠を定め、 ここで最後は水銀中毒で入滅します。
水銀は、地表にあるときは酸化していわゆる「朱」となります。 これら赤い岩を空海は朱が析出したものだと思い(実際は赤い藻の一種ですが)、ここに有力な水銀鉱脈が眠っていると考えたのかもしれません。
その空海が別当を勤めたことでも知られる東大寺では、3月中旬に「お水取り」という祭りが行われます。東大寺二月堂の傍らにある 「若狭井」からくみ上げられた水が、聖水として不老長寿をもたらすとされます。
この水は、じつは、若狭神宮寺の「閼伽井」からくみ上げられた水が「お水送り」され、10日あまりで届いたものと信じられています。 毎年3月2日には神宮寺で水が汲まれ、それが遠敷川に流される「お水送り=送水神事」が行われます。
……続く
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