今年は台風の当たり年で、もう10月も半ばだというのに二つの台風が太平洋岸をうかがっている。
33年前の昭和54年も台風の当たり年だった。
昭和54年10月19日、空前の規模の台風20号が日本列島を縦断した。凄まじい風と雨、そして、台風の目に入った時のそれまでとは打って変わった不思議な静寂と陽の光を今でもはっきりと覚えている。
何故、この時のことを昨日のように覚えているかというと、ぼくは茨城県の水戸市中心部の病院にいて、父の最期を看取っていたからだ。
当時、ぼくは東京で大学浪人をしていて、前夜、父の危篤の知らせを受け、慌てて上野駅から特急列車に飛び乗った。前日の午後から風雨が強くなってきていて、夜には強風圏に入り、この列車を最後に常磐線は運休してしまった。他に交通手段はなかったから、この列車を逃せば、ぼくは父の死目に立ち会えなかった。
列車の窓には滝のように雨が叩きつけていたけれど、不思議な事に音の記憶だけがない。深夜、父の入院する病院に到着し、病室の窓にも雨が叩きつけ、時おり、千切れた樹の枝が打ち付けていたけれど、これも無声映画のような音の抜けた記憶だ。
音の記憶は、危篤状態だった父が、一瞬だけ意識を取り戻し、ぼくにかけた言葉だけだ。
たぶん、父が亡くなるまでは、激しい嵐の音をはっきりと聞いていたと思う。最期の父の言葉が、ぼくにとってあまりにも大切なものだったから、それを純粋に残すために、他の音の記憶を捨ててしまったのだろう。
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