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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.284
2024年4月18日号
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◆今回の内容
○もっとも聖地らしい聖地
・虹の立つところに市を立てる
・アジールと縁切寺
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もっとも聖地らしい聖地
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一昨日から昨日にかけて、西日本から東日本にかけて激しい雷雨に見舞われ、大きな雹が降ったところもありました。私が住む茨城県の太平洋岸では、昼過ぎにゲリラ豪雨が一瞬通り過ぎただけでしたが、この時期の天気としてはやはり異常な気がします。
豪雨の後、海岸まで行ってみると、盛夏に見られるような巨大な積乱雲の群れが水平線を埋め、その手前には大く鮮やかな虹が出ていました。真夏のゲリラ豪雨がすっかり恒例となり、虹もたいして珍しくなくなってしまいましたが、それでも虹を見ると、神々しい気持ちが沸き上がってきます。海からの帰り道、スポティファイで高中正義の『虹伝説』のアルバムを聴きながら運転していると、虹にまつわる伝説が次々に浮かんできました。
ハワイでは、虹は「アヌエヌエ」と呼ばれますが、これは女神の名前でもあります。アヌエヌエは空と海をつなぐ女神であり、彼女の出現は、良いことが起こるというサインであり、旅行者や冒険者にとっては安全に目的地に到達できる女神の保証だともいわれます。
アイルランドでは、「レプラコーンの伝説」に虹が登場します。小人姿の妖精であるレプラコーンは、自分たちの財宝を虹の終わりに隠していると言われ、虹の終わりを見つけることができれば、その財宝を手に入れることができるとされています。
インドでは虹を「インドラの弓」(Indradhanush)と呼び、雷と嵐の神であるインドラが持つ武器の象徴とされます。そして、虹が空に現れるのは、インドラが平和と正義のために戦っているサインだとされます。
中国では、虹はときに龍に例えられ、また天界と地上を結ぶ橋ともいわれ、瑞兆とされるほか、陰陽五行の五色 (青、赤、黄、白、黒) を表し、見た者にバランスと調和がもたらされると信じられてきました。
また、中国で龍に例えられるのに似ていますが、オースラリアのアボリジナルや北米のネイティヴ・アメリカンは、虹蛇(Rainbow Serpent)と呼んで崇めてきました。彼らは、虹蛇が生命の源である水をもたらし、大地を豊穣に育む神と考えたのです。アボリジナルアートでは、必ずといってもいいほどモチーフにされ、その鮮やかな色彩に目を惹かれます。
そして、日本では、古くに「虹の立つところに市を立てる」あるいは「虹の立つところに市が立つ」といわれ、やはり虹が神聖視されました。私たちが、虹を見たときに神々しい気持ちを抱くのも、そうした記憶が掻き立てられるからでしょう。
●虹の立つところに市を立てる●
日本では、古くから河原や川の中洲、海と陸との境である浜、山と平地の境目である坂などに市が立ってきました。こうした場所は、虹が立ちやすい地形や環境であるため、結果的に「虹の立つところに市を立てる」といわれるようになったとも考えられますが、先にあげたように、世界各地に伝わる虹の伝説のように、日本でも虹は、あの世とこの世、神の世界と俗界とのかけ橋と考えられていたので、そこで交易をおこなって神を喜ばせるという観念が働いたと考えられます。
神が降臨した場所、あるいは神と通じる場所に人が集い、そこで賑やかに過ごし、神と共演し、共食することで神が喜ぶと。
実際、市場は、神の世界と人間の世界、聖なる世界と俗界との境に設定される独特な意味をもった場であり、日常の世界とは違い、聖なる世界、神の世界につながる場であると考えられていました。
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