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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.281
2024年3月7日号
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◆今回の内容
○シンボルと聖地…意識を拡張するということ
・日常の「意識」を抜け出すこと
・シンボルと聖地
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シンボルと聖地…意識を拡張するということ
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毎年、この時期になると、憂鬱な気分になると書いているような気がしますが、今年もまた花粉症に確定申告と、おなじみの憂鬱の種のおかげで想像力まで萎縮してしまい、さて、今回の聖地学のテーマは何にしようかと考えあぐねていました。
そんな中、ぼんやりと本棚を見ていて、ふと目についたのはコリン・ウイルソンの『オカルト』でした。河出文庫の上下巻合わせて1100ページあまりの大著です。それを見るなり、「そうだ! この本の内容をベースに、人間が倦怠や塞ぎの虫を克服して、前向きな気持ちを持てるという話と、聖地がそういう気持ちを誘発する場所でもあるという話にしよう」とたちまち思いつきました。
すると不思議なもので、そんな発想が浮かんだだけで憂鬱な気持ちは薄れ、この本でウイルソンが語っている人間の精神の進化についての話が蘇ってきました。本国のイギリスで出版されたのが1971年で、邦訳は1973年。私がはじめて手にとって読んだのは、たしか1981年か82年頃だったと思います。単行本は学生の身としては高価で手が出ず、大学の図書館で借りて何度も読み返したのを覚えています。
今手元にある文庫本は、奥付を見ると1995年発行の初版ですから、これももう30年あまり前のものになります。原本が出版されてじつに半世紀以上経つわけですが、その内容はまったく古くなっていないばかりか、世界中が逼塞感で窒息しそうになっている今だからこそかえってここで語られるオプティミズムが重要になっていると思います。
タイトルから単純に判断すると、微妙な内容に思われるかもしれません。しかし、「オカルト」といっても、日本で使われているようないかがわしい意味ではなく、本来の「秘められたるもの」という意味です。ウイルソンはさらに懐疑主義的な立場を崩さずに様々な事例をあげて、オカルト的なものに意味があるのではなく、オカルト的なものに惹かれ、刺激される人間の心が精神の進化の新たな可能性を秘めていると示唆しています。
ウイルソンの著作の多くに、読んでいるうちに気持ちが高揚してきて、シンクロニシティを引き起こすような効果があります(このウイルソンの著作の持つ力のほうがよほど「オカルト」という気がしますが)。
久しぶりにこの『オカルト』を読み返し、ユングが錬金術の本当の意味に気づいた経緯を記した部分にラインを引いて、その写真を何気なくSNSにアップしました。すると、すぐに友人から「先週から、ちょうどデミアン→ユングの錬金術の本を再読していたところで、シンクロにびっくりしました」というコメントが入りました。
『デミアン』はヘルマン・ヘッセの作品ですが、ウイルソンはデビュー作の『アウトサイダー』でヘッセのこともアウトサイダーの一人として取り上げ、『デミアン』から『シッダールタ』『車輪の下』と続くヘッセの自己探求とその表現の意味を分析しています。コメントをくれた彼女は、『オカルト』を読んだことはなく、デミアン→ユングの錬金術という選択もまったく偶然でした。
それから、能登の地震の直後に配信したこの講座の第277回で、拙著『レイラインハンター』の「能登・イルカ伝説と泰澄」という話を取り上げましたが、これにもシンクロめいた偶然が起こりました。
この章では、活断層と寄りイルカの関連性を主題として、能登にある縄文時代の真脇遺跡でイルカが祀られていた可能性を考察しました。真脇遺跡からは大量のイルカの骨が発掘されています。その中には、特別な装飾が施されたものがあり、食用にされていただけでなく、アイヌのクマ送り「イヨマンテ」のような「イルカ送り」とでも呼ぶべき祭りが行われていた可能性が高いと推定されています。そこで私は、イルカを呼び寄せるシャーマンの存在に触れました。
イルカ呼びのシャーマンの話は、いくつかのエピソードの記憶があったのですが、具体的な出典としてはライアル・ワトソンの著作しか思い浮かばず、出典不詳として章を締めくくりました。なにしろワトソンは、彼が書いた「百匹目のサル」という話が膾炙した後、捏造話だと発覚して完全に信用を失いましたから、彼の著作にイルカ呼びのシャーマンの話があっても、それを出典とすることはできません。
出典が曖昧なままだったことがずっと気になっていたのですが、ウイルソンの『オカルト』の中に、それが明記されていたのです。それは、南太平洋のギルバート諸島(現在のキリバス)の弁務官だったアーサー・グリンブルという人が”A Pattern of Islands (邦題『島での日々』)”に記した逸話でした。
グリンブルは、イルカ呼びのシャーマンがいるという「クマ村」に招かれ、そこで、シャーマンは、夢の最中に霊が肉体から抜け出て、西の水平線の下にいるイルカ族を捜し出し、村で行なわれる祝宴に招待するのだと説明されてから、彼も祝宴に立ち会うことになります。
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