今日は、ほぼ一日中凄まじい風が吹き荒れていた。
昨日、初夏を思わせる日差しと芳しい新緑の香りを感じながら、ふと思い出したのは、新田次郎の『偽りの快晴』という短編だった。
一人で山に入っているとき、いつもこの作品で描かれていた天気の移り変わりを意識していた。
とくに穏やかな……穏やかすぎるといってもいいような状況にあるとき、そんなときこそ、気を許してはいけない。それは、最良の時、穏やかさのピークであって、そこからは、自然は豹変する。豹変するといっても、別に自然に意識があるわけではなく、ただ様々なファクターの重なり合いが均衡を保っていたものが、当然のようにバランスを崩すということでしかない。
平衡状態から、突然、均衡が破れてカオスに向かうことは、なんでもない自然の摂理にすぎない。
そんな自然の中に一人身を置いて、自分の命がカオスに巻き込まれて消し飛ぶことを避けるには、均衡が破れる予兆を五感を研ぎ澄まして察知しなければならない。
気象学者であり登山家であった新田次郎は、そんなことを論文ではなく、私たちのような素人でも、しっかりとニュアンスをとらえられるように小説という形で表現してくれた。
彼の小説とアウトドアでの実際の経験を何度も何度も重ね合わせていくうちに、自然と向き合う本能のようなものが醸成された。
昨日の夕方、空を見上げると、薄いオブラートを空にかけたように、星の光が霞んでいた。
ああ、上層に湿気を帯びた大気が入ってきたんだなと思った。天空全体に均等にいきわたっているから、すぐに大きく崩れてくるなと思った。
そのうち、風が吹き出した。
西風が、徐々に南へ移り、さらに東に変わってきた。大きな低気圧が東側を北上している様子が目に浮かんだ。
そして、未明、風は北東へと回り込み、低気圧の中心が間近に迫っていることを感じさせた。
いつもなら、その風は北から北西へと移っていって、数時間で強風は収まるはずなのだが、今日は昼間の間中北東の烈風が吹きすさんでいた。
この時期に、関東の太平洋岸のこの地方で、こんなに嵐が居座り続けることは、今までなら考えられない。
環境が大きく変化し、バランスも大きく崩れている。地球は、そのバランスを調和させようとしているだけなんだ。
今日の嵐も新型コロナウイルスの蔓延も、まったく同じ文脈上の、地球の生理反応に過ぎない。
環境バランスを大きく崩してしまったのは、ほかでもない、我々人類なのだ。この大変動の波に飲み込まれたくなければ、人類は生き方も、社会のあり方も変えなければならない。そして、なによりも、その意識を変えなければ。
嵐の一日を過ごしながら、そんなことを考えていた。
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