ジャレ・ド・ダイアモンドは、『危機と人類』の中で、「地球温暖化という言葉は誤解を与える。それはごく一部の現象を取り上げているに過ぎない」と記して、図をあげている。
地球というエコシステムの均衡を破ったことで、予測のつかない異常が次々現れてくる。
温暖化もそうだし、逆に部分的な寒冷化もそうだし…。
まず、兆しとして現れてきたのが、激烈な異常気象で、それはまもなく常態化してしまう。
今回の新型コロナウイルスもそうで、本来は閉じた生態系の中にあったものが、人間がそれを侵食したことで立ち現れてきた。これもまた常態化することは必至で、これからの人類は過酷な自然に晒されながら生きていくことになる。
「今」を生きることはもちろん大事だけど、「今」だけを生きていては、未来がないことは明らか。
未来に希望を繋げるためには、過去に遡って、我々人類が何をしてきたか、その結果として何が起こって来たのかを振り返らないとはじまらない。
ダイアモンドは、戦後に奇跡的な復興を果たしたドイツと日本を好対照として比較している。
ドイツは第二次大戦でどれだけの蛮行を働いたかを、自身の目で見つめ、それを反省し続けていることが、強力なナショナルアイデンティティになっていると指摘する。
一方、日本は、自分たちの行いから目を背け、無かったことにしようとしている。きちんとした反省をしないなし崩し的な態度が、結果的に脆弱なメンタリティしか生み出していないと喝破する。
日本人のメンタリティはともかく、地球というエコシステムの未来を考えるのに、気候変動の歴史を辿ることはとても大切だと思う。
エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリの『気候と人間の歴史』は、まさにそれにうってつけだけど、全三巻の大著で、読み切るにはかなり根気がいる。
これは、アヌーチカ・ヴァザックが質問してラデュリが答える形の対話集なのでとっつきやすい。
しかし、質問の最後が2007年の異常気象で、そこから13年あまりで、過去1世紀分も変動幅が大きくなっていることに驚愕する。
コメント