月に二回、第一と第三木曜日に発行している(ときどき間に合わなくて翌日になることもあるが)「聖地学講座」が、先週の木曜日に第160号目となった。
2012年の5月に配信開始してほぼ7年。毎号、自分でもバックナンバーを参照しやすいように100枚綴のツバメノートにプリントアウトした記事をはりつけているのだが、それもちょうど4冊目がいっぱいになった(最初から三冊目までは30枚綴を使っていて、それは一冊に合わせた)。トータル780ページで、1ページあたり400字詰めの原稿用紙5枚強だから、ほぼ原稿用紙4000枚分になる。
4冊を一度に手にするとずっしりと重く、なんともいえない感慨が湧き上がってくる。この重さが、自分が接して、それなりに消化した「知」の重さだと思うと、自信も湧いてくる。
思い返せば、1995年から「Outdoor Basic Technique」を立ち上げ、そこでコラムのようなものを書き始めて、blogシステムを使うようになり、2001年からは「Leyline Hunting (現在の『聖地観光研究所』)」のサイトの運営をはじめて、アウトドアの話題に聖地の話題もないまぜになった形でコラムを書き続けた。
2011年、3.11の災害を経験して、ショックを受けた。2万人もの人の命がいともたやすく失われ、現代文明の象徴(負の象徴ともいえるが)である原発をまるであざ笑うかのように破壊して、放射能を撒き散らした自然。そんな自然の途方もない力を見せつけられて、結局、人間は巨大な自然の力を前にしてできることといえば、祈ること以外にないのではないかと思った。そして、blogに「祈りの風景」のタイトルで、自分が聖地を巡る中で出会った祈りの光景と、そこで感じたものを長文で10回あまり書き綴った。
その後、しばらく気が抜けたようになってしまって、無力感に囚われていたが、ある日、ふと「祈りの風景」の延長ともいえる体系的なテーマで、新たな知見を加えつつ何かを書きたいという衝動が湧いてきた。
そして始めたのが、「聖地学講座」だった。「聖地」とは何か? 自分で聖地を巡りながら自問自答を繰り返していたけれど、なかなかその答えは見つからない。それならいっそ、「聖地」とは何かということの探求自体をテーマとして、自分が学び、考えながら、その過程やその時々の知見をシリーズで書き綴ってみたらどうだろうと思ったのだ。
隔週ぐらいがいいだろうと、かなり安易に始めてみたものの、ただエッセイのように短文で想いのままを書くのでは意味がないと思い、それなりのまとまりのある論文という形を自分に課したのが、すぐに重い負担になってきた。
一回ごとの原稿枚数は20から30枚で、月に二回だからすくなくとも毎月50枚は書くことになる。商業誌にライターとして寄稿していたときも、毎月こんなに原稿は書かなかった。有料メルマガとはいっても、マイナーなものだから、数十人の読者で、収入は月に数千円にしかならない。
はじめのうちは、これでは続かないかなと、断念しようかという考えも過ぎった。たが一年あまり続けてみると、メルマガの記事が様々な場面で活きることに気がついた。たとえば、講座やツアーのガイドをするときには、聖地学講座で取り上げた一つのテーマを整理して、それでレジュメを作れば、一から構成を考えてレジュメを作るのよりはるかに楽にできる。そして、すでに考察したテーマを反芻しながらまとめるから、講座で話す肝を押さえながら、さらに理解を深めることができる。
聖地学講座をはじめるまでは、その時々で興味のあるテーマが偏ることが多かった。何かひとつのことに集中すると、そこから離れられなくなる性格なので、興味を引くテーマを見つけると、それにどんどんのめり込んでしまう。ところが、定期的にメルマガを発行しなければならなくなると、当然、読んでくれる人のことを意識しなければならないから、いろいろなテーマを見つけていこうとする。いったんこだわっているテーマから離れて、新しい視点を持とうとすると、今まであまり注目していなかった分野で面白いものを発見して、結果的に視野が広がっていく。そんな「効能」も合わせて、次第にメルマガを書き続けることをルーティンとしてこなせるようになった。
以前のぼくのように、商業誌での寄稿が専門のライターが、仕事が減ってしまったために、自ら活路を見出そうとして有料メルマガをはじめてみたものの、負担ばかりが多くて微々たる収入にしかならないのでやめてしまったという話をよく聞く。堀江貴文さんのようなビッグネームで、みんなが関心を持つようなテーマを追っているならいざしらず、商業誌の仕事がジリ貧だからといって有料メルマガをはじめても、読者がつくはずがない。あくまでも自己研鑽の場であり、他の仕事に活かす方途だと思って、苦しくても長く続ける意思がないと、虚しいつまみ食いで終わってしまうと思う。
ぼくが発行している「まぐまぐ」のシステムでは、通算200号を迎えるか、200人以上の読者がつけば「殿堂入り」の称号をもらえるのだという。200人の読者はちょっとハードルが高そうだが、200号はそろそろ視野に入ってきたので、それを目標に、また積み上げていきたいと思う。
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