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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.160
2019年2月21日号
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◆今回の内容
◯「風水」概略
・風水とは
・四神相応と羅盤による見立て
◯お知らせ
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「風水」概略
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前回は『生活のコスモロジーと聖地』と題して、先人たちが生活を取り巻く風景の中に、聖地の法則性やリズムを感じ、それを意識して暮らしてきたことに触れました。
かつて、生活圏と日々の生活のリズムは、取り巻く自然と調和させるべきであるという認識が行き渡り、それが安定したコスモロジーとなっていました。ところが、社会の変遷とともにそのコスモロジーが壊れ、そこから様々な歪みが生まれてしまいました。すると、今度はそうした歪みを克服しようというムーヴメントが起こり、その中から、古来のコスモロジーを反映した風水の考え方などを見直そうという機運が高まってきました。
前回テキストとして取り上げた、イーフー・トゥアン『トポフィリア』も、そんなムーヴメントの中から生み出されたものといえます。それは、「風景と人」言い換えれば「自然と人」との関係を西洋合理主義的な「人対自然」ではなく、人が自然の中に含まれているという視点に置き換えて見直そうというものでした。今回は、もともとそんな視点に立脚して、実践術として用いられてきた「風水」について、人文地理学の立場から風水を研究した渡邉欣雄の『風水・気の景観地理学』を参照しながら考察したいと思います。
●風水とは
漢代に記された風水書の一つ『青烏経』には、「陰と陽が合体し、天(陽)と地(陰)とが相互に作用しあえば、内なる気は萌え生じ、外なる気は形を成し、内外の気が相乗して、はじめて、風水がおのずから生じてくる」とあります。
これは風水思想だけでなく、東洋思想の根源的な部分をも語っています。陰陽とは西洋的な神と悪魔あるいは善悪といった二項対立の原理ではなく、対置的な二つの根本要素だと考えられています。その陰陽の相互作用によって、「気」という動きが生じ、気の動きによって、森羅万象が生み出されるというのです。
風水とは「蔵風得水」という言葉の短縮された言い方です。蔵風得水とは、良い風を蓄えて良い水を得るという意味です。景観に現れている気の流れを読み、それにもとづいて、都市計画や生活する場所を決め、心地よく健康に、そして豊かに暮らそうという考え方を示しています。さらに、「水は天地の血であり、石は天地の骨であり、川は山の動脈であり、草木はその髪の毛であり、霧や靄はその顔色である」として、景観の中に不可視である気の流れを読む体系を明示しています。
背後と両側の三方が緩やかな稜線を描く山に囲まれ、前方は開けて、そこに水の流れがあるような景観の場所が風水に適った良い場所とされます。龍脈である稜線をたどってきた気は、その場所の中心にある「龍穴」から湧き出して、健康や繁栄の力の源になると考えられていました。
風水書では、そうした場所を母親が両腕の中に優しく赤ちゃんを抱く姿や、女性性器の形に例えています。とくに女性の性器は、そこから新たな生命が生み出されるところでもあることから、「母なる大地」のイメージに直結し、現実の景観の中に同じような形の場所が求められました。
私が長年追い続けているレイラインも、聖地を結ぶネットワークであり、目には見えない大地の中を流れる力を象徴的に表したものですから、広義には風水の一つとも言えます。拙著『レイラインハンター』で、私は自分が聖地を結んでオートバイを走らせている時に、ふと、自分が「気」そのものとなったような感覚を抱いたエピソードを書きました。聖地とは人体でいえば鍼灸のツボに当たり、それを結ぶレイラインは経絡に相当します。その経絡に沿って移動していく自分が、経絡を流れる「気」そのものになったように感じたのです。それは、ただイメージが重なったというだけではありません。自分も大地を結ぶ大きなネットワークを構成する要素の一つであるという実感をもったのです。そして、自分が流れていくのは自分の意志というよりも、大きな自然の意志によるもののように感じたのです。
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