感情と結びついた記憶だけを無くしてしまった主人公は、なぜか霧というテーマに取り憑かれていたことだけは覚えていた。
そして、記憶を取り戻そうとする手探りの行程の中で、しばしば霧と出くわし、それが忘れていた記憶の断片をつまみ上げていく。
エーコの遺作の霧のイメージは、私にはラヴクラフトの霧のイメージにダブってしまう。もちろん、エーコはラヴクラフトなど意識せず、イェーツやギリシアの賢人たちにイメージをダブらせていて、おどろおどろしさなど微塵もないのだけれど。
なぜか、霧というと、私はすべてラヴクラフトに結びつけてしまう。
故郷では、夏は決まって夕方になると海霧が陸に押し寄せてきた。そして今時分は、縄文時代には海が陥入していた緩い谷間に、夜の残滓を漂わせるように朝霧がしつこく残る。
子供の頃、そうした霧がとても怖かった。それらの霧は、意思を持った生き物のようであり、また、そのベールの向こうには異次元の世界があって、霧を突いて進むと、二度とこの世に帰ってこられないような気がしたからだ。
また、霧に飲み込まれると、異次元から伸びた冷たい触手に触れられるような気がした。
後にラヴクラフトを読んだときに、やっぱり自分が霧に対して抱いていた恐怖は正しかったのだと、妙に納得してしまった。
エーコにとっての霧はナポリの霧であったり、北部イタリアの内陸の霧で、霧すらもラテン的な潔いい乾いたものなのだろうけど、そんな霧でも、なぜか私のイメージの中ではラヴクラフト的な霧にすり替わってしまう。
心象風景として染みついてしまったそんな霧のイメージをなんとか払拭して、エーコのイメージにもっともっと接近しながら、珠玉の作品を読み進めたいのだけれど……。
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