ソロツーリングの楽しみも、人それぞれいろいろあると思うが、ぼくは何といっても読書が一番の楽しみだ。昔は、普段はなかなか集中できない哲学・思想の本を何冊も持って旅に出かけた。食料やら着替えやらを削ってでも、本は持っていったものだけれど、今はKindle一つにすべて収まってしまうので、楽になった。
今年の取材の夜には、空海関係の研究書を何冊かと、柄谷行人、鎌田東二なんかを読んだ。それから、小説ではディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』とD.アダムスの『銀河ヒッチハイクガイド』を久しぶりに読み返した。それから、普段は日本の現代作家の小説など読まないのだけれど、知人が紹介していた小説の内容に興味を持って朝井まかての『恋歌』を読んだ。
雑音がなくて人にも煩わされないキャンプライフで読むには、哲学・思想関係の本は最適だ。今回は定期的に行っている勉強会で空海を取り上げることもあって、空海関連の本を読み返したり、新しい研究書を読んだが、テントの中でヘッドライトの明かりで読んでいると、文字がそのままイメージとして定着するようで、すんなりと頭に入ってくる。密教では、絢爛な曼荼羅世界を突き詰めていくと阿字一文字の中心点に収斂していき、それが宇宙の根源を表すとされるけれど、ヘッドランプの焦点の中の文字だけ追っていくと、阿字だけを眺めてイメージする「阿字観」を実践しているような気分になる。
朝井まかての『恋歌』は、何年か前に直木賞をとった作品とのことだが、この作家の名前も知らなかった。ただ、この作品の内容が、水戸天狗党を扱ったものだということに興味を惹かれた。
樋口一葉の歌の師匠であり、明治時代初期に歌塾を開いていた中島歌子を主人公に、歌子が水戸天狗党の志士に嫁いで、水戸の騒乱とともに明治維新の激動に巻き込まれていくという物語。
ぼくは、自分が旧水戸藩領の出身ということもあるし、「惚れっぽい、怒りっぽい、飽きっぽい」の「水戸の三ぽい」の性格も土地柄受け継いでいるので、水戸藩についてずっと興味を持っていた。ことに水戸藩が幕末に尊皇攘夷思想の先駆けとなりながら、藩内が尊皇派と佐幕派に分断されて、苛烈な内乱となって、薩長にお株を奪われてしまったあたりの経緯をずっと調べてもいた。
水戸藩初代藩主徳川光圀が『大日本史』の編纂を命じたのが、いわゆる「水戸学」のはじまりで、これが水戸藩の終わりまで、200年に渡って続く大事業になる。当初は、純粋に日本の歴史を皇統を軸に詳述していくものだったが、江戸時代後期になると、国学者がこれを日本の正統性として位置づけて、いわゆる万世一系の天皇という思想を打ち出す。これが尊皇攘夷思想となって、明治維新に繋がるわけだけれど、水戸学の中心である水戸藩は、はじめ天狗党と呼ばれる尊王攘夷派が実権を握って、倒幕への機運が一気に高まるのだが、一方で、徳川御三家の一角としてあくまでも幕府第一と考える諸生党が盛り返して、壮絶な内乱に陥る。
急進派である天狗党は、藩を追われ、朝廷に直訴しようと京都を目指すのだけれど、途中、敦賀で幕府軍に捕らえられてしまう。このとき、天狗党を指揮していた武田耕雲斎以下823人は、極寒の中、裸同然で鰊蔵に押し込められ、過酷な拷問を受けて半数近くは凍死する。残りの者は、武士の最後として切腹を懇願するのだけれど、許されず斬首となる。幕末のもっとも凄惨な事件の一つだ。
「咲く梅の花ははかなく散るとても 香りは君が袖にうつらん」。これは、武田耕雲斎の辞世の句だが、自分たちの尊王思想を水戸を象徴する梅の花に例えたもので、その後、薩長に思想が受け継がれて明治維新となっていく。そんな歴史が、『恋歌』では、とても身近に感じられる小説として描かれている。
敦賀には武田耕雲斎とその配下の天狗党烈士の墓がある。今までも何度か訪れたけれど、『恋歌』を読んだ後では、また感慨が深かった。新しい社会を作ろうと理想に燃えて決起したものの、同じ藩のかつての友人たちやさらには身内と刃を交えることになり、最後には武士としての名誉の死も許されずに散っていった天狗党の志士たち。新しい時代「明治」への礎を築きながら、その時代を見ることなく散っていった彼らの無念が胸に迫ってきた。
たくさんある墓石に刻まれた名前を丹念に読みながら巡っている間、二匹の蝶がずっと纏わりついて離れなかった。古代ギリシアでは、人の魂を「プシュケー」と呼び、それは蝶に化現するとされると言われたけれど、なんとなく、志士たちの魂とそこに一緒にいるような気がした。
キャンプライフのおすすめの話から脱線してしまったけれど、要は、キャンプに限らず、旅の最中の読書体験は、ひときわ強く、本の舞台や登場人物たちの面影をたどる気にさせるということが言いたかった。
ブルース・チャトウィンもパタゴニアやオーストラリアの荒野を巡る旅に、何冊も気に入りの本を持参し、一人の夜には読書にふけったと書いている。
新たな本でなくてもいい。何度も読み返している愛読書を一冊携えていって、ランタンの明かりの元で読むと、物語がよりリアルに感じられるので、ぜひお試しあれ。
<『ツーリングマップルメールマガジン』より転載>
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