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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.120
2017年6月15日号
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◆今回の内容
◯世界宗教の成り立ちと聖典 その4
―神道と日本神話―
・寛容の信仰としての神道
・日本神話というバイブルの成立と神道の変質
◯お知らせ
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世界宗教の成り立ちと聖典 その4
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去る6月11日は三嶋大社宝物館ギャラリーで、トークセッションをさせていただきました。7日から11日まで宝珠悉皆師・那須勲氏の個展が開かれていて、その最終日のイベントで、那須さんが宝珠に込める「聖性」という話を皮切りに、三嶋大社の祭神である三島大神が内包する聖性を分析してお話させていただきました。
この講座の第63回『三島神を巡るミッシングリンク』でも三島神をテーマにしましたが、三島神は火山神であり、来迎神でもあり、そして修験とも関係する多様性に富んだ神格であるのが特徴です。それは、伊豆という土地を軸にした様々な民族や信仰がミックスされたことを物語っています。
また、三島神のそうした特徴は、「神道」そのものの性質を良く表しているともいえます。
【寛容の信仰としての神道】
今回は「世界宗教の成り立ちと聖典」をテーマにした4回目です。これまでの3回で取り上げた宗教はいずれも世界の片隅で起こり、そこから急速に世界へと広まって、今は世界中で信仰されています。これに対して、神道は日本ローカルなものであって、けして「世界宗教」と呼べるようなものではありません。そもそも、「神道」という概念は曖昧なものであり、そこに確たる聖典も存在しません……あえていえば『古事記』『日本書紀』に記された日本神話が聖典のような位置づけをされていますが。
では、何故、神道を世界宗教の枠組みの中に入れたかというと、それが日本から世界に広がったのではなく、世界中の様々な信仰が神道の中に混入している、いわば「内向きの世界宗教」とも言えるからです。さらには、太古に世界中を覆っていたプリミティヴな信仰であるアニミズムの要素を神道が色濃く残している点も、私が神道を世界宗教という枠組みに入れた理由の一つです。冒頭で挙げた三島神の信仰に見られる多様性は、その端的な例といえます。
「神道」という言葉は、同じ日本人でも人によってその捉え方は様々です。私も「神道」という言葉からは明治以降に恣意的に形作られた「国家神道」をイメージしてしまい、本来は使いたくない単語です。しかし、他に適当な用語がないので、あえて「神道」という言葉を使いますが、その前に、「神道」という言葉の概念について、少し触れておきたいと思います。
津田左右吉は『日本の神道』の中で、歴史用語としての「神道」を6種類に分類しています。
1.古くから伝えられてきた日本の民族的風習としての宗教で、これには呪術も含まれる。
2.神の権威、力、はたらき、しわざ、神としての地位、神であること、もしくは神そのもの。
3.民族的風習としての宗教に何らかの思想的解釈を加えたもの(例:両部神道、唯一神道、垂加神道)。
4.特定の神社で宣伝されているもの(例:伊勢神道、山王神道)。
5.日本に特殊な政治もしくは道徳の規範としての意義に用いられるもの。
6.宗派神道(例:天理教、金光教)。
(以上は、伊藤聡『神道とは何か』p10の要約より引用)
津田の分類は、いわば神道のエッセンスに焦点を当てたものですが、これにさらに道教や仏教の影響が加わり、さらに各地に土着していた呪術的な信仰が混交していったものが広い意味での神道といえるでしょう。
三島神信仰は、火山を畏れ敬う自然信仰と、海が運んでくる外来の文物から連想される黄泉の国のイメージ、さらに修験道が組み合わさり、これにさらに日本神話的解釈が加えられていますから、津田の分類のほとんどがミックスされていて、広い意味の神道を体現しているといえます。
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