最近、朝仕事をはじめると、表を向けたデスクの窓越しの物干しにヒヨドリが止まってこちらを見ているようになった。
賞味期限を過ぎたパンを千切ってあげているうちに、こちらを認識して、「餌をくれ」とねだっていたのだが、そのうち、餌とは関係なしに窓越しにキーボードを叩いているぼくとずっと向き合って1時間くらいそこにいる。
企画書を作ったり原稿を書いたりという孤独な作業を続けていると、ときどき行き詰まって考え込んでしまったり、さらには仕事の将来性や生活のことなど考えて不安にとらわれてしまうこともある。そんなとき、ふと視線を上げると彼(彼女)がいて、無邪気な目で見返してくる。思わず笑いながら、「おまえはいいねぇ、気楽で」なんて声をかけて気晴らしすると、孤独な作業も楽しくなってくる。
『止観』にこんな言葉がある。「人の重きものを引くに、地力をもって前(すす)まずば、傍らの救助を仮(か)つて、即ち軽く挙ぐることを蒙るが如し。行人(ぎょうじゃ)も亦然り。心弱くして障を排ふこと能わずは、称名して護りを請へば、悪縁も壊(やぶ)ること能はず」。
なんとか自力でがんばろうとしても、障害が立ち塞がってどうにもできないこともある。どうしてもダメだと思ったら、傍らの人に助けを求め、あるいは仏に祈りなさい。そうすれば、どんな悪縁も避けることができるからといった意味だ。
この止観の言葉ほど大げさではないけれど、ぼくにとって、朝のヒヨドリとの挨拶はそれに似たささやかなカタルシスになっている。
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