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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.98
2016年7月21日号
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◆今回の内容
◯AIとアーカシックレコードと真言
・岩に記録されるアーカシックレコード
・真言にアクセスするための即身成仏
◯お知らせ
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AIとアーカシックレコードと真言
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今月に入ってから、AIが人間にとって脅威となるという話の本を何冊か読みました。テクノロジーの恐ろしいばかりの進化については、ポール・ヴィリリオなどもだいぶ前から警鐘を鳴らしていますが、この一、二年の間にAIが加速度的な進化を遂げて、自動運転やロボットの自律行動などがあたり前になってくると俄然リアリティが増してきます。
「シンギュラリティー」という言葉があります。「技術的特異点」と訳されますが、これはコンピュータの性能が今より何兆倍も向上し、人間が抱える様々な課題をすべてコンピュータ任せにして、人間自身は取り組まなくてもいいようになるポイントのことです。多くのコンピュータ科学者は、それが2045年頃に到来すると予測しています。
シンギュラリティを越えた先の未来というのは、いったいどのような社会になるのでしょうか? あらゆることが自動化されて、飢餓や貧困から、そして労働からも開放された人間は、ただ自分のやりたいことだけをやって暮らしていけばいいのでしょうか。
人工知能=AIは自らディープラーニングを繰り返し、遺伝的アルゴリズムによって自らのプログラムを書き換えてどんどん賢くなっています。量子コンピュータともなれば、いまのシリコンチップのコンピュータに比べて何万倍、何億倍も計算スピードが上がり、同時にデータ・ストレージの規模も幾何級数的に拡大します。
コンピュータは人類3万年の歴史的なデータをこの35年あまりで蓄積し、今は毎年、そのデータ量の数百倍のデータを蓄積していっています。それが日々加速していて、人類が蓄えた3万年分のデータと同じ量のデータをわずか一日で蓄え、さらに様々なシミュレーションデータや人間の通信記録やライフライブのデータを数分でストレージしていくようになるのもあとわずかです。そして、それらのデータは圧倒的なスピードで全データが検索され、結果が吐き出されるのです。
例えば、今Googleで検索すると、コンマ何秒かで何万件もの検索データが表示されます。これだけでもすごい事ですが、もうすぐにテキストを打ち込まなくてもAIと対話しながら、必要なあらゆるデータを呼び出し、それを自分のニーズに合わせてコンピュータが加工してくれるようになるでしょう。
以前、こうしたコンピュータの進歩が、神秘学者たちが唱えてきたアーカシックレコードをすでに現前させているのではないかと書きました。それは前述したように、一面では真実なのですが、アーカシックレコードという概念を掘り下げてみると、また違った局面が見えてきます。
それは、人間がイメージする世界というのは、今、コンピュータが処理している具体的なデータだけでなく、抽象的であり形而上的であるものがじつは膨大にある世界だということです。コンピュータは、そうした世界をまだ説明することはできません。形而上的な世界像をイメージする能力は、人間の心と脳との相互作用によってしか生まれないとすれば、シンギュラリティ後の人間は、その世界像を探求することに専念することが使命となるのかもしれません。
今回は、そんな観点から、場所の聖地性からは少し外れますが、アーカシックレコードや空海の「真言」という概念について掘り下げてみたいと思います。
【岩に記録されるアーカシックレコード】
アーカシックレコードもしくはアカシャ記録と呼ばれる概念は、ルドルフ・シュタイナーやブラヴァツキーなどの神秘主義者たちによって導入されました。この世の過去、現在、未来が全て記憶されたアーカシックレコードがどこかにあり、それにアクセスできれば、森羅万象が理解できるという概念です。
アカシャとはサンスクリット語のakasha(虚空蔵)のことです。空海は室戸の神明窟に篭って「虚空蔵求聞持法」を行ない、その満願に明けの明星が口に飛び込んで悟りを開いたとされています。「虚空蔵求聞持法」とは、虚空蔵経を百万遍唱えれば、あらゆる経典を一読で記憶しこれを理解して忘れることがなくなる秘法だとされています。
虚空蔵菩薩という仏は智慧を司り、その化身は明けの明星とされています。空海の悟りの瞬間、彼は自らの内に虚空蔵菩薩=智慧の真髄を取り込んだわけです。
西洋の神秘主義者たちは、東洋思想から多くのインスピレーションを得て、独自の概念を整備していきますが、アーカシックレコードも虚空蔵菩薩にまつわる空海の伝説などをヒントにして構想されたのでしょう。
シュタイナーは、アーカシックレコードは岩に保管されていると考えました。不動で沈黙している岩は、じつはその周囲で起こった様々な出来事や、地面を伝わる振動や風の動きに含まれる様々な情報を記録する形態場であり、人がそれを読み解く力を持てば、岩と向き合うことで、アーカシックレコードが開陳されると信じたのでした。
シュタイナーは、「オイリュトミー」と呼ばれる舞踏芸術を創造します。オイリュトミーは人が自らの体を一種の形態場と化して、アーカシックレコードと同化することによってこれにアクセスするための一種のボディランゲージで、はじめは巨岩の上に建てられた聖堂の中で踊られました。アーカシックレコードは、単純に人の言葉として記録されているものではなく、抽象的であり形而上的な意味を含んだ「運動」であり、それを理解するためには、自らがその運動の一部となればいいのではないかとシュタイナーは考えたのでした。
日本には「言霊」という言葉があります。今では、「口に出して言ったことは現実となる」というあまりにも単純化しすぎて陳腐な意味で用いられたりしますが、その原意はシュタイナーが考えた「運動」としての言葉に近いものです。
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