昨日2日は、若狭に春を告げる「お水取り」への参加と、不老不死ポイントを巡るツアーをご案内し、今朝は、聖地にまつわるトークをさせていただきました。ツアーは大型バスが満員になり、今朝のトークも20人あまりの方が参加してくださいました。
聖地がどんな背景を持って成り立っているのか、聖地と人はどのように影響しあうのか、あらためて様々なことを振り返った一日でした。
今回の聖地学講座は、聖地と人との関係、とくに街と聖地の成り立ちと人との関係について考察してみました。
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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.89
2016年3月3日号
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◆今回の内容
1.街と聖地
・ヨーロッパの街と聖地、そして資本主義
・日本の街と聖地、そして人間
2.お知らせ
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街と聖地
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前回ご案内した福島県いわき市での聖地調査報告会は、入場制限されるほどの大盛況となり、たくさんのいわき市民の方にいらしていただきました。JALの「光の道キャンペーン」の効果でもないでしょうが、レイラインや聖地といったものに対する関心が高くなったことを実感させられました。
いわき市での取り組みは、概要調査から次のフェーズに移ります。今度は、エリアを区切り、各エリアごとに深掘りしていく精査に入ります。
いわき市周辺は東北でも早くから開け、鎌倉から江戸時代にかけて都市整備が行われました。とくに江戸時代初期には、徳川家康の側近だった鳥居忠政が磐城平藩主となり、江戸に準じた都市整備を行いました。
そのため、いわき市の中心部周辺を歩いていると、どことなく東京の下町や門前町にいるように感じられます。
江戸時代以降、日本の地方都市の多くは江戸と同様の都市計画で街が形作られますが、それは、城とその周囲に配置された武家屋敷からその外側に町家、そしてさらにその外側に寺社という構造を成しています。こうした構造が心象風景として記憶され、見知らぬ土地に行った時でも、安心感や郷愁を呼び覚ますのでしょう。
この講座の第48回「『場所』の意味」では、エドワード・レルフの「場所の現象学」やエリアーデのエピファニー論などを参考に、ある場所がどうして聖地となり、それが人の心理にどんな影響を与えるのかを考察しましたが、今回は街の構造に目を向けて、街と聖地、そして人との関係を考えてみたいと思います。48回も合わせて読み返していただくと、より理解が深まると思います。
【ヨーロッパの街と聖地】
ヨーロッパの都市は、その中心に大きな広場があり、宗教上の中心であるカテドラルが置かれています。そのカテドラルのある広場から道が放射状に伸びて中心と周縁をむらなく繋ぎ、さらに郊外では街道となって他の町や村とを繋げています。
この構造は、街の隅々にまでキリストの愛が行き渡り、さらに街を中心にそれが広く放射されて、地方の町や村々まで行き届くというイメージを具現化したものです。
中核となる都市から発せられたキリストの愛は、さらに地方の町や村の広場にへと達し、そこにある教会で受け取られると、今度はさらに放射状の道によって田舎の隅々にまで浸透していくというイメージに連続します。だからヨーロッパの街でもっとも目立つランドマークは教会なのです。
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