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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.90
2016年3月17日号
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◆今回の内容
1.レイライン再考
・レイラインの発見
・レイラインの宗教的意味
・霊ライン?
2.お知らせ
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レイライン再考
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この講座を購読いただいている方はすでにご存知のように、私が「聖地」に関する私論を発表し始めたのは、2001年にスタートした「レイラインハンティング」サイトでした。じつはそれ以前に、地図出版の昭文社が開設していた「ツーリングマップルWEB」が初出で、その後、そのWEBサイトが閉鎖になったのを機会に、独自のサイトとして開設し、新たな情報を盛り込んできました。
昭文社の時代から数えると17年以上になります。当初は、聖地と聖地を繋ぐ狭義のレイラインを中心に探索を続けていましたが、次第に聖地の内部に見られる構造の中にも方位的に深い意味が秘められていることに気づき、広く聖地と方位の関係性を探求する広義のレイラインに関心が移ってきました。
最近では、「レイライン」というとどうしてもオカルト的あるいはスピリチュアル的なイメージを持たれることが多く、私が求めている客観的に証明できる事象とズレが生じてきていて、あえてこの言葉を使わず、「聖地の構造」とか「聖地観光」と言うことが多くなってきました。
「レイライン」という現象(あるいは概念)が見出されたのはイギリスで、それがヨーロッパからアメリカへと浸透していきましたが、現在では本場の欧米でもあまりこの言葉を使わなくなってきています。それは、「レイライン」の概念が曖昧で、様々な立場や意見の人が独自の解釈でこの言葉を使ってきたために、混乱してしまったという背景があります。日本では、1980年代に荒俣宏氏やコリン・ウィルソンの著作によって紹介され、それ以降、主にニューエイジ系の人たちが関心を持ってきたために、オカルトやスピリチュアルのイメージが強い用語となってしまいました。
この15年あまりは、私がWEBや著作でレイラインという言葉を使ってきて、いくばくか一般的にも知られるようになってきましたが、それでも捉え方は多様で説明しにくいために、あえてレイラインという言葉を避けたりしているわけです。
しかし、「レイライン」という言葉が、逆に一般にも定着してきている今、この言葉を普及させてきた人間の一人として、自分からこの言葉を捨ててしまうのも無責任なのではないかとも思っています。
そこで、今回は、私自身がレイラインという概念を整理する意味でも、レイラインという用語がどのような経緯で生まれ、どんなイメージでとらえられてきたのかを振り返ってみたいと思います。
【レイラインの発見】
まず、レイラインという言葉が生まれたのは、1920年代のイギリスでした。私もWEBや著作で、「アルフレッド・ワトキンスというアマチュア写真家がイギリス南西部のコーンウォール州のとある丘の上から見渡した風景の中に一直線に続く道を発見し、これをレイラインと名付けたと簡単に記しました。今回は、まず、このレイライン発見の経緯から、もう少し詳細に紹介をしてみます。
アルフレッド・ワトキンスは、コーンウォール州ヘレフォードシャーの醸造業者で、地方検事を兼ねいました。仕事柄、彼はヘレフォードシャー周辺を巡ることが多く、いつも馬に乗って駆け回っていました。彼は熱心なアマチュアカメラマンでもあり、暇があれば故郷の田園風景を写真に収めていました。1921年6月30日、ワトキンスが65歳のとき、ブレッドウォーデンという町の近くの丘の上で、何気なく景色を見渡したとき、古い教会や、直立石、人工の丘(マウンド)などが直線上に連なっているのに気づきました。
当時、イギリスではR・ヒプスレ―・コックスの『イングランドの緑路』(1914年)という本がベストセラーになっていました。この本の中で、コックスは、イングランド各地に見られるマウンドが、石器時代から青銅器時代に作られた直線路のネットワークの中間地点を示す標識だと紹介していました。また、ストーンヘンジのような巨石遺構は、そうした標識であると同時に天文台の機能も持っていたと記していました。
ワトキンスは、このコックスの著作に心酔していて、眼下に直線路を認めたときに、すぐにコックスが主張していた古代の直線路ネットワークを思い浮かべたのです。
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