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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.80
2015年10月15日号
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◆今回の内容
1 渡来民と土着の山の民
大陸の記憶
山の民の系譜
2 お知らせ
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渡来民と土着の山の民
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前回お知らせしたように、今、福島県いわき市での聖地調査を進めています。その調査で、いろいろと興味深い事象も見つけました。
いわき市も北部の三陸海岸地域と同様に大きな津波被害を受けました。とくに被害が大きかったのは、市の北東部に位置する久之浜(ひさのはま)大久(おおひさ)地区です。ここは広い入江の海岸部に住宅地と商業地がありましたが、地震と津波によって805棟の建物が全壊し、40人以上の犠牲者が出ました。壊滅といっていい状況です。
そんな大久地区の海岸線の最前線にありながら津波被害をまったく受けなかった神社がありました。この秋葉神社は、周囲の家屋がことごとく流されてしまったのにもかかわらず、社殿も鳥居もほとんど傷つかずにそのまま残ったのです。
岬の上や市街地の奥の方に置かれた神社なら、かろうじて津波が到達しなかったのだろうと想像できますが、この秋葉神社はほとんど海面と同じ高さにあったのです。さらに大久地区では流された瓦礫に引火して、入江は火に包まれましたが、その火も秋葉神社には回りませんでした。
秋葉神社といえば、火防せの神である三尺坊を祭神として、昔から火消しや消防関係者の尊崇を集めています。さらに、火防せとともに水難と剣難を防ぐことも霊験に挙げられています。この秋葉神社が津波と火事を逃れたのは、三尺坊の霊験あらたかなことを証明しているのでしょうか。
参考までに、Youtubeに秋葉神社の状況がよく分かる動画をアップしましたので、御覧ください。これを見れば、秋葉神社が残ったことが奇跡的であることが如実にわかると思います。
https://www.youtube.com/watch?v=LEgsgd_ZQxg
この講座の73回では、自然災害の危険を示す聖地を紹介しましたが、3.11の震災では、図らずもこの秋葉神社のように難を逃れた不思議な聖地が何ヶ所もありました。そんな場所にはいったいどのようなメカニズムが働いて被害を受けなかったのか、それを多面的に研究すれば、今後の防災に役立つことは間違いありません。さらに、そうしたメカニズムを知っていた昔の人たちが他にどのようなメカニズムを熟知していたのかを研究すれば、意外な分野に革新をもたらすことになるかもしれません。
ところで、秋葉神社の本社は静岡県の秋葉山にありますから、久が浜の秋葉神社はそこから勧請されたことになります。いわき市の沿岸部に点在する神社は、ほとんどが海の民の信仰を伝えているものですから、この秋葉神社も元は水難と船の火事を避ける願いを込めた分霊を携えた海の民が奉斎していたものでしょう。
しかし、不思議なのは、秋葉神社と名のつくところは周辺にまったくないことです。それは、静岡からやってきた海の民が、ごくわずかで、この久之浜地域のみに留まったのか、あるいはこの地域では特異な秋葉神社をここに据える特別な意味があったのか、それは、今後の調査で掘り下げていこうと思っています。
秋葉神社が珍しいのと対象的に、いわき市には諏訪神社と熊野神社が異様なほど目につきます。これをどうとらえればいいのか考えあぐねていましたが、いわき地域学會代表幹事・吉田隆治氏から興味深い情報を教えていただき、意味がわかりました。吉田氏によれば、北部の夏井川流域には諏訪神社が多く、南部の鮫川流域には熊野神社が多いというのです。一見、ランダムに入り混じっていたように見えたものが、じつは特定の河川の流域に集中しているという法則性があったわけです。
このことは、出雲に発した出雲・諏訪信仰が日本海岸を北上して津軽海峡を回りこんで太平洋岸を南下してきたことと、熊野信仰が黒潮に乗って紀伊半島から伊豆半島、房総半島、さらにそのまま茨城から福島の沿岸までたどり着いたことを物語っているといえるでしょう。
前回、いわきは様々な信仰の聖地が入り交じるプロムナードだと書きましたが、視野を世界的に広げれば、四囲を海に囲まれた日本も、同様に神々のプロムナードといえます。今回は、いわきの神社分布で明らかになった出雲と熊野の神の伝播から、視野を広げて日本全体を見渡してみたいと思います。
【大陸の記憶】
谷川健一は、「海の熊野」の中で、熊野はもともと山の信仰と海の信仰は別々であったものが、二つが出合うことで習合し、熊野三山の信仰となったのだと記しています。
たしかに、同じ熊野三山に数えられていながらも、修験色の濃い熊野本宮と海岸部にあって海を意識している新宮速玉大社はまったく信仰の体系が異なり、その趣も、地味で厳かな熊野本宮と派手で華麗な速玉大社ではまったく対照的です。さらに那智の滝をご神体とする那智大社は、修験から見れば滝行とその究極の姿である捨身修行の聖地であり、海から見れば海上での位置を知るためのかっこうのランドマークである山当ての聖地であり、山と海の聖地両方の性質を持っています。
修験はさらに遡ればプリミティブな山岳信仰に行き着きますが、それは古来の日本土着の民族に由来します。一方、海の信仰は明らかに日本の外からやってきたものです。
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