「手仕事」を感じさせる風景は、心を穏やかにしてくれる。
それは、手仕事によって作り出されたものが、人の温もりをそのまま宿しているためだろうし、作り出されていくプロセスを自分の身体感覚として想像できるからだろう。
もう田舎でも残り少なくなってしまったが、茅葺屋根の集落や急斜面に作られた棚田を前にすると、それらが作り上げられていく様子が思い浮かび、その風景に注ぎ込まれた時間と人の思いを共有しているような気分になる。
また、手仕事によって作られた風景は、そこに和やかなコミュニティがあり、そのコミュニティがその土地の自然を基盤として成り立っていたことも、はっきりと伝えてくる。
その土地特有の自然環境と調和するために作られているから、他とは違った風景になる。逆をいえば、その風景から、四季折々の自然を想像することもできる。
同じ「人工」でも、合理的な設計で、機械によって造成された風景は、安らぎをもたらしてはくれないし、その土地の自然を想像することもできない。
だけど、「手仕事」を感じさせる風景もどんどん少なくなり、また残っている数少ないそんな風景は、観光の売り物とされて、無機質な人工物に取り囲まれ、風景を本質的に味わうことをしない観光客で溢れている。そうなると、開放型の博物館のようなものだ。
観光目当ての売り物にしたり、意識して集約的にそんな風景をつくり上げるのではなく、土地の個性を反映した手仕事の風景が、サステイナブルに生み出されていことを促すくコミュニティを再生させることが大切だと思う。それこそが、今後の時代の健全な形の観光資源になっていくだろう。
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