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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.77
2015年9月3日号
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◆今回の内容
1 修験道について
修行で験力を身につける
擬死再生と六道体験
2 お知らせ
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修験道について
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前回も少し触れましたが、ツーリングのガイドマップの取材で、引き続き中部北陸エリアを巡っています。
季節を先取りしたように日本列島に横たわった秋雨前線のために、ずっと天気が優れず、氷雨に凍えたかと思えば、雨具の蒸し暑さに大汗をかき、難行苦行のような状態です(笑)。オートバイのウェアや装備も昔に比べると、格段に性能が良くなりましたが、その性能向上分を異常気象に相殺されているような感じで、悪天候時のツーリングはやはり「快適」からはほど遠い状態です。
そんな中、ふと立ち寄った道の駅で涼し気な音色が聞こえてきました。その声につられて行ってみると、小さなプラスチックケースが何十個も並べられていて、その中の鈴虫が競演していました。しかし、1ケース600円というのは高いのか安いのか? 鈴虫の声を聞くなら、秋風が吹き抜ける縁側でどこからともなく響き渡ってくるような風情がいいですが、それでもその鳴き声は心を自然に安らげてくれます。
さて、今回は難行苦行のツーリングにちなんで、自然の中に身を置いて修行する修験道について掘り下げてみようと思います。
【修行で験力を身につける】
以前、この講座で、神道や修験道が日本独特の山岳信仰をルーツにしているとご紹介しました。
日本人は、山岳を水分神(みくまりのかみ=山の神)の住む霊地として崇めていました。山の神は春になると岩魚の背に乗って里へと降りてきて、田の傍らにある桜の木の下まで来ると、岩魚の背から降りて、桜の木に宿り、稲作を見守ります。そして、秋に稲が実ると、村人とともに新穀を食べ、山が色づく頃になると帰っていくと考えられていました。
春祭りは山から降りてきた神を迎える祭りで、秋祭りは山へ帰る神を見送るという意味があり、それが神道という形に整備されていきます。水分神を祀り、祭儀を行う神職は、当初は秋に神とともに新穀を飽食して、そのまま山に入り、冬の間は山中の洞窟などに籠もって修行し水分神の力を体得しました。そして、春になると山を降りて、春祭りを取り仕切ったのです。
日本では、蛇、蛙、熊などの冬眠する動物が神の使いとされてきました。これらの動物も、冬の間に山中の大地に籠もることで山の神の力を得ると考えられ、神職同様に神の使いとされたのでした。また、山中でたまたま出会ったマタギなどが、これらの動物が死んでいるように見えながら、春には再生することから、その身に神の力が宿っているとも考えたのでしょう。
今でも、里宮と奥宮という里と山を結ぶ構造が残っていますが、元々は、神職が春から秋にかけて住まう場所が里宮であり、秋から春にかけて籠もる場所が奥宮だったのです。後に里宮の信仰が主となり、神職がここに常住するようになると、これが神社となり、神職が山ごもりすることはなくなっていきました。
そうした、原始神道での山籠りの習慣が廃れた後に登場してきたのが修験道でした。平安時代末期、日本的アニミズムである山岳信仰(原始神道)をベースにして、シャーマニズムや道教、密教がミックスされて、新しく出来上がった宗教形態でした。
原始神道では、神職はあくまでも水分神の奉斎者であり、祭りを取り仕切る司祭でしたが、修験者はよりカジュアルな機能を持ちます。修験者は、里人が「霊地」としていた山岳籠もって修行し、そこで超自然的な力=験力を身につけ、加持祈祷を行ったり、霊山へ里人を案内する先達の役割を果たします。「修験」とは、「修」行により「験」力を身につけることを意味しているのです。
道士のバイブルともいえる「抱朴子」には、道士が修行で山に入るときの作法が記されています。それによれば、七日間斎戒して諸神を祀り、入山当日は、吉日、吉方位が選ばれます。入山に際しては、首に鏡を下げ、入山符を身につけ、結界の手前で九字を切り、禹歩を踏んだ上で山に入っていきます。鏡には、魔を跳ね返すという意味があり、入山符は護符、九字は陰陽道でも唱えられる「臨兵闘者皆陣烈在前」の悪霊退散の呪文、禹歩は北斗七星型に歩く作法で、ついてこようとする魔をまく意味と、妙見北辰信仰に基づいた結界を形作る意味があります。この道士の作法からは、神霊が宿る山の神聖さとその清浄を保つために神経が注がれていることがよくわかります。修験道の入山でも、ほぼ同じような作法に則った儀式が行われます。
修験道の祖とされる役行者は、『金峰山本縁起』によれば、藤の皮の衣を着て、松葉を食し、花の汁を吸って30余年にわたって孔雀明王の呪を唱えて山中で修行し、鬼神を使役したり、飛行するなどの大験を得たとされています。これは道教の「仙人」そのものですね。
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