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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.76
2015年8月20日号
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◆今回の内容
1 取材の徒然
人柱供養堂
泉鏡花が感じたもの
2 お知らせ
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取材の徒然
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毎年、7月から9月にかけては、地図出版の昭文社から発行されている『ツーリングマップル』というオートバイライダー向けの情報マップの取材で走り回っています。
私が担当しているのは中部北陸地域で、もう15年あまり同じようなところを巡っていますが、時々、「あれ、こんなところにこんなものがあったのか」と、ずっと見落としていたものに気づくことがあります。すると、それまで特別な感慨も持たずに通りすぎていた土地が、急に息づいて、その土地の個性を語りかけてきます。
今回は、そんな経験から、徒然にエピソードを綴ってみたいと思います。
【人柱供養堂】
新潟県上越市と長野県飯山市を結ぶ県道35号線は、冬の間は豪雪で通行止めになりますが、夏は標高1000mあまりの関田峠周辺は涼しい風がそよぐ草原となり、遠く日本海まで見渡せる雄大な風景が広がり、気持ちのいいツーリングコースになります。
峠から新潟側に少し下った光ヶ原高原の分岐路に、不思議な看板を見つけました。そこには、「人柱供養堂」と書かれています。今まで通ったことのない道の先に、その人柱供養堂があるようです。
ちょっと寄り道していこうと、カヤの原を突っ切って行くと、道は下りになり、暗い樹林に飲み込まれていきます。そして20分あまり走ると、山間の集落に出ました。地名を見ると、上越市板倉区猿供養寺とあります。もしや、人柱にされたのは猿かとも思いましたが、どうやら地名とは関係なさそうです。
この集落の外れに、「地すべり資料館」という建物があり、それに隣接して「人柱供養堂」がありました。
昔から、この板倉地区は地すべりの多いところで、道が寸断されたり、農地が流されたり土に埋まったり、ときには集落そのものが流されて多くの人が亡くなったりして、なんとか地すべりが起きないようにすることが村人の願いだったのだそうです。
人柱供養堂には、その地すべりを鎮めた僧が祀られています。由来には、以下のように記されています。
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あるとき、一人の旅の僧が、猿供養寺集落を見下ろす黒倉峠にさしかかりました。すると、突然嵐が巻き起こり、僧は林の中に入って、やりすごそうとしました。
しばらくすると、下のほうからザワザワと人声のような音が響いてきます。下を覗くと、小さな池があり、そこに大蛇が集まって話をしています。
その話し声に聞き耳を立てると、
「丈ケ山に大ノケ(大崩れ)を起こして我々の住む大溜を作ろう。人間どもが、栗の枕木を造って姫鶴川に四十八タタキ(護岸工事)をして、人柱を埋められたら大ノケも出来なくなってしまうから、それを知られてはならんぞ」
と言っているのが聞こえました。
これを聞いた僧は驚いて逃げようとしましたが、慌てて物音を立ててしまい、大蛇たちに発見されてしまいました。
「今の話を聞かれたからには、この峠を超えて村へ下ることは許さぬ。おまえを取って食ってしまおう」
この旅の僧は、とっさに盲目で耳が聴こえないふりをしてとぼけました。
そして、
「私は仏に仕える身。私を取って食えば仏罰が当たるぞ」
と、大蛇たちに向かって言いました。
大蛇たちは怪しんでいましたが、
「もし、お前の耳が聞こえて、わしらの話を聞いていたのだとしたら、そのことを村人に話せは、取り殺してくれるからな」
と、僧を開放しました。
嵐の止んだ峠道を下り、村に降りた僧は、何度も地すべりに見舞われて荒れ果てた村の様子を見て、心を痛めます。
そして、村人を哀れんで、自分が聞いた大蛇たちの話をしました。
村人はそれを聞いて、さっそく栗の枕木で姫鶴川の護岸をしました。しかし、誰を人柱にするかがなかな決まりません。
その様子を見ていた僧は、大蛇との約束を破った自分の命は、もはや無いものと、自ら手を上げて、人柱となったのでした。
その後、村を地すべりが襲うことはなくなりました。
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人柱の話は、全国各地にあり、この話と大同小異のものですが、ここには後日談があります。
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